2011-01-01から1年間の記事一覧

299 無限を信じる(21) 「生物と無生物」の間の無限

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 299 299 無限を信じる(21) 「生物と無生物」の間の無限人は自分の及びもつかない「超越」を意識したとき、宗教や哲学への思いが芽生える。むろん、超越は宇宙とか無限とか、大きなものとは限らない。 「生物と無生物…

298 無限を信じる(20) 親鸞、西田幾多郎、梅棹忠夫の無限と虚無

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 298 298 無限を信じる(20) 親鸞、西田幾多郎、梅棹忠夫の無限と虚無親鸞という宗教家は「自分だけよければよい、のエゴイストなのだろうか」とボクがいぶかったもう一つの場面。 それは歎異抄の【後序】に出てくる「…

297 無限を信じる(19)だからこそ現代にも通じる「親鸞」と「清沢

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 297 297 無限を信じる(19)だからこそ現代にも通じる「親鸞」と「清沢満之」宗教や死生観というのはしょせん個人主義なのだろう。自分がそれで安心を得て、愉快で、満足納得した日々を過ごせればほかにいうことはない…

296 無限を信じる(18)2つの人生不可解――清沢満之と藤村操

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 296 296 無限を信じる(18)2つの人生不可解――清沢満之と藤村操 清沢満之は明治36年6月に40歳に満たずに亡くなったが、1か月ほど前に、旧制一高(東大教養学部)の学生だった藤村操が〈人生不可解〉の遺書を残…

295 無限を信じる(17)二つの平等――国も捨てよ 

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 295 295 無限を信じる(17)二つの平等――国も捨てよ 宗教、信仰の個人主義化、近代化を進めた清沢満之だが、一方で「反近代的」でもあった。脇本平也先生は「明治の近代が産み出した悪に対しては反対批判の姿勢を失わ…

294 無限を信じる(16) からだを張った実験主義・信仰の個人主義

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 294 294 無限を信じる(16) からだを張った実験主義・信仰の個人主義清沢満之が駆け足でこの世を去ったのは明治36年6月6日。まだ39歳だった。『我が信念』を脱稿したのは死の一週間前だったが、その1年ほど前から…

293 無限を信じる(15) 鴎外漱石より読みやすい「明治の歎異抄」

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 293 293 無限を信じる(15) 鴎外漱石より読みやすい「明治の歎異抄」 数多い類書のなかでも定評ある『評伝 清沢満之』の冒頭には満之の絶筆「我が信念」の全文がぽんと置かれている。全文といっても約4千字、原稿用紙…

292 無限を信じる(14) ボクらは自由で無責任、みんな無限者にお

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 292 292 無限を信じる(14) ボクらは自由で無責任、みんな無限者にお任せ精神主義は前回の満足主義に次いで、万人の自由、他力主義へとつながっていく。こじつけのように感じられる個所もあるが、ざっと説明しておく…

291 無限を信じる(13)ボクもノラも絶対無限者なのだ!?

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 291 291 無限を信じる(13)ボクもノラも絶対無限者なのだ!?清沢満之らは雑誌『精神界』を通じて精神主義運動を広げていった。拠点の「浩々塾」に行けば悩みは解決されるとまで噂され、訪ねる人たちが日増しに増えた…

290 無限を信じる(12)子猫の母子 子猿の母子

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 290 290 無限を信じる(12)子猫の母子 子猿の母子前回の清沢満之の論説『倫理以上の安寧』は簡単にいうと、「倫理の世界では、あれも自分の責任、これも自分の責任というような煩悩に陥り、心に苦悶の絶え間がない。…

289 無限を信じる(11)先生は痰壺片手にカルタ取り 

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 289 289 無限を信じる(11)先生は痰壺片手にカルタ取り 清沢満之がたとえばキリスト教の内村鑑三や、弟子の暁烏敏に比べても知名度が低いのは、短命だったことのほか、自分の内側、内面にこもり、外側――社会的な活動…

288 無限を信じる(10)思うようになるもの・思うようにならないも

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 288 288 無限を信じる(10)思うようになるもの・思うようにならないもの 奴隷の哲人エピクテトスについては本ブログ41回の「なぜボクはロックフェラーの家に生まれなかったのか?」にちょっと触れている。 「世の中…

287 無限を信じる(9) エピクテトスとの出会い

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 287 287 無限を信じる(9) エピクテトスとの出会い 妻の実家、西方寺に隠退した清沢満之だが、数カ月後、本山の新法主の招きで再び上京することになる。明治31年秋、満35歳だった。それから没するまでの5年足らず、…

286 無限を信じる(8)改革運動は挫折、病身にまつわる人情の迷路

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 286 286 無限を信じる(8)改革運動は挫折、病身にまつわる人情の迷路清沢満之ら改革派の運動は急ピッチで盛り上がり、当局も一応、要求を受け入れた。法主の側近人事の異動が行われた。教学振興や教団運営の民主化に…

285 無限を信じる(7)病身をおして改革運動に乗り出す

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 285 285 無限を信じる(7)病身をおして改革運動に乗り出す清沢満之の禁欲生活は徹底していたらしい。 食事は菜食主義に。さらに進んで塩を絶ち、そば粉を水にとかしたのを主食に松ヤニをなめる。 修行者に興味を持ち…

284 無限を信じる(6)エリート文学士も校長職も捨てて禁欲主義へ

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 284 284 無限を信じる(6)エリート文学士も校長職も捨てて禁欲主義へ 前回紹介した『宗教哲学骸骨』は清沢満之の代表作である。しかし、後年彼自身がこの著作を批判している。「書かれたのは単に学問だけだ。知識の羅…

283 無限を信じる(5)哲学は無限を探求し、宗教は無限を信じる

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 283 283 無限を信じる(5)哲学は無限を探求し、宗教は無限を信じる 清沢満之は議論好きだったらしいが、無限に対する哲学と宗教の違いについても述べている。 ――無限を対象に考察するのは宗教、あるいは信念だけなの…

282 無限を信じる(4)宇宙と人体と無限

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 282 282 無限を信じる(4)宇宙と人体と無限理数系が得意という清沢満之は、無限と有限の関係を数式のようにこれでもかこれでもかと連ねている。少々、うんざりだが、〈無限〉の枠組みが機械的に絞られていく。ボクの…

281 無限を信じる(3)大いなるものーー九条武子 清沢満之

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 281281 無限を信じる(3)大いなるものーー九条武子 清沢満之 神や仏ではないが、それに似た漠然とした何か大きな大きな存在といえば、前回あげた童謡の『お月さま』のほかにもうひとつ心当たりがある。九条武子の和歌…

280 無限を信じる(2)童謡に息づく何か大きなものの存在

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 280 280 無限を信じる(2)童謡に息づく何か大きなものの存在言葉であらわすことのできない何か大きな存在――そのイメージを探っていたら、本ブログ168回に紹介した童謡を思い出した。 「十五夜お月さん」 ♪十五夜お月…

279 無限を信じる(1)言葉も記号も1万年後の人には伝わらない

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 279 279 無限を信じる(1)言葉も記号も1万年後の人には伝わらない一見したところ、ヒッピーの兄ちゃん風のイエスさんをまさか神の子とは信じられない。他人のために自分の命を捨てて尽くした人であることは事実らし…

278 死の哲学(19)「イワシの頭も信心から」とどこが違うか?

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 278 278 死の哲学(19)「イワシの頭も信心から」とどこが違うか? 二人の文通が始まって五年たったころ、田辺元は野上弥生子に初めて『死の哲学』の構想を伝える。ここで〈復活〉の概念が登場する。 「キリスト教徒で…

277 死の哲学(18)老いらくの恋〜〜しずこころなき昨日今日かな

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 277 277 死の哲学(18)老いらくの恋〜〜しずこころなき昨日今日かな 田辺元は60歳になった昭和20年3月京大を退官し、敗戦がまじかな7月に北軽井沢に移った。以後ここで隠遁的生活を過ごし、五年後文化勲章を受けた時…

276 死の哲学(17)3人の学者の妻・それぞれの愛と死

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 276 276 死の哲学(17)3人の学者の妻・それぞれの愛と死 日本の代表的な哲学者、西田幾太郎はおびただしい家族の死に囲まれている。 肉親の最初の死を経験したのは明治26年、4歳上の姉がチフスで病死した。幾太郎は…

275 死の哲学(16)亡妻の後押しで田辺は西田に再接近した!? 

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 275 275 死の哲学(16)亡妻の後押しで田辺は西田に再接近した!? あれほど尊敬し、慕い、傾倒した西田幾太郎になぜ田辺元は反旗をひるがえしたのか。後年、学説の違いが生まれ、そこから感情的なものに発展したとい…

274 死の哲学(15) 西田幾太郎に傾倒し、やがて対決する田辺元

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 274 274 死の哲学(15) 西田幾太郎に傾倒し、やがて対決する田辺元田辺元と、西田幾太郎とのぎくしゃくは、日本の哲学史のなかでいまも語り継がれる異色の一頁だ。京都学派の内輪もめなので関係者はだれも声高にはい…

273 死の哲学(14)結婚直後に気付いた夫人の不健康 

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 273 273 死の哲学(14)結婚直後に気付いた夫人の不健康 田辺夫妻を媒酌したのは哲学者安倍能成(のちの文相、新制の学習院院長)である。田辺夫人は安倍夫人の従妹である。なにかと口の端にのぼりながら、ヴェールに…

272 死の哲学(13) 田辺先生は2度泣いた

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 272 272 死の哲学(13) 田辺先生は2度泣いた教え子が戦地に赴くとき。 妻の寿命が短いと宣告されたとき。 田辺元は2度、涙を見せた。 その場面に居合わせた上田泰治・京大名誉教授はこうスケッチしている。●学生と…

271 死の哲学(12)現実社会の向上をめざす宗教哲学

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 271 271 死の哲学(12)現実社会の向上をめざす宗教哲学 田辺元という哲学者は、西田幾太郎に比べて、思想が浅い、宗教性が薄い、たびたび思想を変えて一貫性がない、などと批判される。西田とのぎくしゃくはのちに触…

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 270

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 270 270 死の哲学(11)ハイデガーと並ぶ亡き妻 いかめしい、格調高い哲学書の、それも最大の山場で、ふいに「死んだ妻」の話が出てくる。「死の哲学」の主役は田辺元の亡き妻だという。まるで小説のようだ。これには…