287 無限を信じる(9) エピクテトスとの出会い

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 287
287 無限を信じる(9) エピクテトスとの出会い

 妻の実家、西方寺に隠退した清沢満之だが、数カ月後、本山の新法主の招きで再び上京することになる。明治31年秋、満35歳だった。それから没するまでの5年足らず、満之は生涯の総仕上げを急ぐように公私ともに濃縮した時空を生きる。
目次風にいえば、真宗大学(のちの大谷大学)の再建、「西洋第一の書」と感銘した「エピクテトス語録」との出会い、弟子たちとの自由で充実した共同生活と精神主義活動、そして妻や子どもたちとの相次ぐ死別、である。

 本山から真宗大学の再建を任された満之は、大学に一定額の経費を無条件で支出すること、教育方針や学科の編制などに本山が介入しないこと、東京に移転すること、などを条件に引き受けた。満之の宗門教育への情熱はいまも変わらなかったのだ。東京巣鴨に新校舎が落成し、満之は名目上の学長に就任したが、実務責任者は後輩の関根仁応・主幹だった。「この大学は世界第一の仏教大学にしたい。自己の信念を確立し,その信仰を他に伝える、そういう人材を養成する」と清沢は開校の精神を述べている。
満之はこのほか、新法主の教育係りもつとめた。

 純粋すぎる、と思われるエピソードがある。
 開校に際し、大学を文部省の認可学校にすると、卒業生には教員免許が与えられる。卒業後の就職を安全にするためにこの措置をとろう、という話が出たとき、満之は「卒業生は純粋に宗教方面に向かうべきだ。しいてそれ以外に進路を開くべきではない」と反対した。「学生に遠大な志が乏しい。いたずらに成功を急ぎ、早くもパン問題に走っている」とも嘆いている。
 ちなみに、ボクの知り合いのさる私立大学教授によると、いまの学生は学習意欲は乏しいが、性格が素直で、セックスとカネに異常な関心を抱いているという。

 さて満之の理想主義的な教育方針を受けて実際に一手に切り盛りしたのは関根主幹だった。その敏腕ぶりが一部の教職員の反発を買った。一方学生たちも、教員免許状の問題をめぐって大学運営の実際面に対する不満がくすぶっていた。加えて大学院から若い俊秀を教員に登用したことに対し、もっと名の知られた学者を招け、と反発が広まった。こうした学生と、一部教職員の不平分子が連合して関根主幹の排斥運動に燃え上がった。
 1年ちょっとで関根主幹は辞表を提出、その翌日、満之も「関根君のしたことは自分のしたことだから」と続いて辞表を出した。これには学生たちが驚き、茫然とした。満之に対する学生たちの尊敬、信望は絶大で、泣きだす学生もいた。関根主幹と清沢満之学長は別だ、とあわてて120名の学生が連名で学長留任の運動を起こしたが、満之の心は変わらなかった。

 のちに東北大や京都大の総長をつとめた沢柳政太郎とは親友だった。東京で彼の自宅に居候したとき、書棚でみつけたのが『エピクテトス語録』だ。エピクテトスはローマ帝政期の奴隷の哲人で、主人の暴力に対して自分の体はいわば衣服にすぎない、とみなして耐えたとされる。運命を受け入れ、感情に左右されない不動心を説く。本人は著作を残さず、この語録も門弟が伝えた。

 満之は肺病に加え、宗門革新運動の挫折、新しい大学のトラブル、そして西方寺をめぐる人間関係の煩わしさ。全力を尽くしているはずなのに彼の周辺はすべてごたごた続きだ。うまくいかない。満身創痍だ。自分の内側をさらに凝視してみる、そして自分に絡む外側、「他」の存在というものについても考えを深めていった。
「自」と「他」。いや、「自」と「他」をまるごと包み込む、もっと大きく宇宙的、絶対的な「他力」という存在…。どんどん満之の思索は沈潜していった。

このころ満之は日記の表題を「臘扇記」と名付けている。臘扇(ろうせん)とは「12月の扇」(不要なもの)という意味である。その表題の上に小さく「黙認堂」と記した。――不要な自分、ただ黙認するーーということなのだろうか。
日記には「他人の嘲笑を気にしていたずらに心を悩ますのはやめよう。たとえどのようなものであれ、自分はかけがえのない存在だ。与えられた自分の素質を慎み保って、ありのままの自分として生きよう」などの文言が見える。

エピクテトスに出会うのはまさにこんな時期だった。
 のちに満之はこの書を、「阿含経」、「歎異抄」、と並んで自分の「三部経」だといった。臘扇記には英文のままの書き抜きが連日のように丹念に記されている。満之がこれほどエピクテトスに傾倒した理由について弟子のひとりは「2人はともに理知に富み、意志が強いという共通点があった」と述べている。その理知と意志の限りを尽くしても解決できない人生の難問に満之はあえいでいた。人生の先輩、奴隷哲人エピクテトスもまた似たような宿命を生きたのだ。残されたそのひとこと、ひとことは珠玉の心得として満之に沁み込んでいったのだろう。(つづく)