286 無限を信じる(8)改革運動は挫折、病身にまつわる人情の迷路

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 286
286 無限を信じる(8)改革運動は挫折、病身にまつわる人情の迷路

清沢満之ら改革派の運動は急ピッチで盛り上がり、当局も一応、要求を受け入れた。法主の側近人事の異動が行われた。教学振興や教団運営の民主化に向けて革新全国同盟会も結成された。だが、数か月たつと、みるみる熱気が萎えてきた。深い問題意識がなかったり、人事だけに関心があった、一時的に興奮した、目先の利害関係だけで運動に結集した、そんな人たちが多かった。当局の切り崩しに反改革派に鞍替えする裏切り組も少なくなかった。同盟会は結成して1年後に解散した。満之らの改革運動は終ったのだ。

満之は責任を問われて宗門から除名処分を受け、僧籍も取り上げられた。
「うまく行くと思ったが、ひとつ見落としがあった。少数の者がいかに急いでもあがいてもだめだ。東大や真宗大学を出た人たちが多少いても、全国7千の末寺の人たちが以前の通りでは改革はむりだ。このことがわからなかった。これからは一切改革のことは放棄して自分の信念の確立に尽くそうと思う」と仲間に言い残して愛知県の西方寺に帰っていった。

 運動に破れ、喀血は止まらず、身も心もずたずたの満之を待ちかまえていたのは、家族に張り巡らされた人情の迷路、だった。

 西方寺の当主である義父は体格も言動も堂々として、大きな寺の住職にふさわしい風姿。門徒の信望が厚かった。それにくらべ、満之は小柄で色も黒く、結核を患っている。痰壺を片手に法話をするのだが、信徒にはむつかしすぎる。法要にいっても門徒から追い返され、塩をまかれることもあったと伝えられている。肺病を人々はいやがった。檀家総代の会議ではこの際、満之を離縁してしまおう、との強硬案が決まりかけたこともあった。
 寺の仕事は義父のほかに、別に婿養子の住職が手伝っていた。満之がいなくてもとくに不自由はなかったのである。人一倍責任感の強い満之は自分を厄介者、と思い詰めることもあった。

 もう一つ大きな悩みがあった。
 京都に独り残してきた実父のことだ。病身の満之には実父を養う貯えはなかった。売り食いが続いていた。健康を回復すればどこかへ就職するつもりだが、病状ははかばかしくない。
じつは満之の結婚縁組にははじめからトラブルが付きまとっていた。西方寺は直系の男子がいないので養子を望み、斡旋した東本願寺もそのつもりでいた。一方、満之は入寺して寺の仕事は当然手伝うが、当初は養子にいくつもりはなかった。とくに実父は旧士族で足軽頭を勤めた意志の強い人だった。家系相続についてはことのほか頑固で、満之を養子にもらったのだという西方寺に対し、長男の満之を養子にはやれない、とあくまで反対を唱えた。正式に入籍したのは結婚して7年後、2人の間にできた子ども達は戸籍上は私生児扱いだった時期もある。実父が折れたのは満之の療養費を出してもらっているという経済的事情があったらしい。
 
裕福な大寺の義父と、経済的にも困窮し竹かごでお茶などを売って歩いた昔気質で世渡りのへたな実父。
2人の父親の葛藤に巻き込まれた病身の満之の苦衷は察するに余りある。
自分だけでも迷惑をかけているのに、頑固者の実父まで世話になるのは…。実父もまた長年対立関係にあった養子先にいまさら頭をさげてやっかいになりたくない、という気持ちが強かった。
 満之の友人たちは事情を察して自分たちが実父を引き取ろうと申し出たが、これには西方寺の義父らが反対し、結局、満之父子は西方寺に世話になることになった。

 満之は夫であり、父であり、実子であり、養子であり、僧侶でもあった。それに伴う義務と責任、気兼ね。煩悶は尽きなかったろう。しかし、なんとか乗り越えたい。それにはなにより素直で単純な心になることだった。煩悩の渦にあって満之は仏典『阿含経』を読み、丹念に書き抜きをつくった。
 このころの心境を死の四か月前、友人にこう語っている。

 「私の考えが変わってきた。――私はこの寺の世話になるはずの因縁を受けているのだ。寺の親も同行も私を世話すべき因縁をもっているのだ。世話になるはずの因縁ある者が世話をすべき因縁あるところに世話になるのに何も不思議はない。遠慮気兼ねは無用である。素直にこの因縁の約束に従うべきことと思い出してからはたいそう安心になって、自分が寺で勤めないから気の毒とか、世話をかけることが多いからすまぬという感じはさっぱり起こらなくなって伏せっている。これもやはりあなたのいうように、わが本堂のご本尊が私を引き寄せたまう御働きでありましょう。強い因縁です。」

 本心からこのように純粋、単純に生きられたら、いいな、とうらやましい。
どこか無責任で自己中心の気もするが、おもえば、仏陀にしても、キリストにしても、家族をきれいさっぱり切り捨てている。それだけでなく、本質的に宗教には国家を超えたもの、反国家性といってよい価値観がひそむらしい。清沢満之も日本が熱狂的な愛国主義に燃えているさなか、孝行心も愛国心も捨てねばならない、と言いきっている。そのことは後述する。(つづく)