2011-05-01から1ヶ月間の記事一覧

268 死の哲学(9)〈死〉から〈死者〉へ。時間論の転換。

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 268 268 死の哲学(9)〈死〉から〈死者〉へ。時間論の転換。ひとくちに〈死〉といっても、そのイメージには、「死・死後・死者」、とある。死も、死後も、自分では経験できない。しかし、死者は、死者の記憶は、否応…

267 死の哲学(8)亡き 妻と二人三脚の「死の哲学」

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 267 267 死の哲学(8)亡き 妻と二人三脚の「死の哲学」「死の哲学」を完成させるためにはほんものの〈死〉の実感が必要だった。どうすればよいのか。行き詰まっていた田辺元にふいに展望が開けた。妻の死がきっかけだ…

266 死の哲学(7)〈死〉を実感し〈哲学〉する方法を求めて

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 266 266 死の哲学(7)〈死〉を実感し〈哲学〉する方法を求めて 「死」は哲学でいちばん重要なテーマなのに、つねに「永遠の課題」であり、いまだに未解決のままなのはなぜだろう。 その答えは簡単だ。だれも自分の死…

265 死の哲学(6)『実存協同』をボクも実践していた!?

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 265 265 死の哲学(6)『実存協同』をボクも実践していた!?『メメント モリ』のなかで田辺元は「死の哲学はまだ未熟で、簡単に要約することもむつかしい。だから禅の公案を手引きに説明してみよう」と切り出している…

264 死の哲学(5)2人称の死と小林秀雄

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 264 264 死の哲学(5)2人称の死と小林秀雄 田辺元の「死の哲学」はおもに『生の存在学か死の弁証法か』と『メメントモリ』の2つの著作で構成されている。前者は恩師ハイデガーの「生の哲学」への反論のために書かれ…