2012-01-01から1年間の記事一覧

321 生老病呆死(57)「死」を超える対策その6 非業の死を思い描き

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 321 321 生老病呆死(57)「死」を超える対策その6 非業の死を思い描きつつ 「ナンデモナイ、ナンデモナイ」と身を縮めておまじないを唱える。その一方で、歴史上のいろいろな他人の悲惨、非業の死を思い描きながら、…

320 生老病呆死(57)「死」を超える対策その5 ニヒルな視線 

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 320 320 生老病呆死(57)「死」を超える対策その5 ニヒルな視線 前回の補足。 遠藤周作は亡くなった人たちと死後の再会を夢見ているが、それは自分が死ななくては実現しない。だが、ボクの場合は死ななくても自在に会…

319 生老病呆死(56)「死」を超える対策その4 生死の境界をあいま

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 319 319 生老病呆死(56)「死」を超える対策その4 生死の境界をあいまいに 前回の補足。 「自分の物語」をもつとは、この世の自分の生涯を解釈し、言い訳し、正当化することにほかならない。どうしようもなくボクに与…

317 生老病呆死(54)「死」を超える対策その3 「自分の物語」をも

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 318 318 生老病呆死(55)「死」を超える対策その3 「自分の物語」をもつ 前回の補足。 威勢よく満天の星に飛び込むのもいいが、こどもが予防注射を受ける時のように、なんでもない、なんでもない、と自分に言い聞かせ…

317 生老病呆死(54)「死」を超える対策その2 満天の星に飛び込

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 317 317 生老病呆死(54)「死」を超える対策その2 満天の星に飛び込む 数十年前、父は癌の痛みに苦しんだ。ボクが赴任先から電話を入れると、家族が「痛そうなの。この声聴こえるでしょ!」と受話器を父に近付けた。…

316 生老病呆死(53)「死」を超える対策その1  麻薬中毒志願

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 316 316 生老病呆死(53)「死」を超える対策その1 麻薬中毒志願死を「自然」に託すイメージや思考回路は前回みたように人さまざまなのだ。 :唯物論者で無宗教のマルクスや毛沢東。 :宮沢賢治は詩人で法華経の信徒…

315 生老病呆死(52)生を「小さく刻んで」、あとは「死ねば死にき

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 315 315 生老病呆死(52)生を「小さく刻んで」、あとは「死ねば死にきり」死を「追いつめる」に似た発想で、時間や感情を「小さく刻む」も、吉本隆明のお得意の方程式だ。 たとえば、老人はほぼ例外なくうつ病であり…

314 生老病呆死(51)死の方向から現在の自分を照らし出す

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 314 314 生老病呆死(51)死の方向から現在の自分を照らし出す 死を超える、死の恐怖を除く、あるいは減らすためには、死にまつわりつくイメージや虚飾、もやもやをとるに限る。それには死の実体を刻むように追いつめ…

313 生老病呆死(50) 資本主義の未来と、「往相還相」

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 313 313 生老病呆死(50) 資本主義の未来と、「往相還相」 肉体の死を医学的物理的具体的に説いている最中に、降ってわいたように親鸞の『往相還相』が出てきた。吉本隆明は自らを無宗教、無信仰といい、あの世は信じ…

312 生老病呆死(49)<死は分布>フーコー説に詩と宗教を飛翔させ

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 312 312 生老病呆死(49)<死は分布>フーコー説に詩と宗教を飛翔させてタイプD<身体の死は時間的・空間的に散在する>フーコー 現代の代表的な思想家のひとり、フーコーは死を肉体に限定して考えた。これまで述べた…

311 生老病呆死(48)死とは? サルトルの結論はじつは出発点

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 312 311 生老病呆死(48)死とは? サルトルの結論はじつは出発点 タイプC<死を自分の生き方に意味づけるのはナンセンス>サルトル 無神論的実存主義の主唱者で、戦後日本の思想界にも大きな影響を与えたサルトルは三…

310 生老病呆死(47)思想家たちの死の追いつめ方

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 311 310 生老病呆死(47)思想家たちの死の追いつめ方宗教では、死後とあの世が隣り合わせに存在する。死ぬと一足飛びに「あの世」へ行くという設定で、死ぬ怖さがなくなり、安心を得る仕組みになっている。宗教以外の…

309 生老病呆死(46)<死>の怖さを共有・公式化できないわけ

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 309 309 生老病呆死(46)<死>の怖さを共有・公式化できないわけさきほど亡くなった吉本隆明は日本の戦後最大の思想家といわれるが、死についても多くの考察を残している。『新・死の位相学』に収められた論文「<死…

308 生老病呆死(45)人間はなぜ寂しいのか

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 308 308 生老病呆死(45)人間はなぜ寂しいのか帯津良一さんの死後論『虚空への旅人』説は威勢がいい。 死ぬときこそエネルギーが最高潮に達し、燃料も満タンになる。だから年を重ねていくほど身体の衰えとは逆に生命…

307 生老病呆死(44)いざ、150億年の虚空の旅へ

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 307 307 生老病呆死(44)いざ、150億年の虚空の旅へ 前回、岸本先生の「死後の世界はない。死後に<無>のイメージも持ち込まない。死は日常の普通の別れと同じ。あとはそれっきり」という死生観を引用した。これ…

306 生老病呆死(43)「無」をイメージできない、だから死がいっそ

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 306 306 生老病呆死(43)「無」をイメージできない、だから死がいっそう怖い 宗教は天国、地獄、極楽浄土など死後の世界を説いている。しかし東大で宗教学を教える岸本英夫は死を前に「死後の世界」が存在する証拠が…

305 生老病呆死(42) 来世があるなら死は怖くないのだが……

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 305 305 生老病呆死(42) 来世があるなら死は怖くないのだが…… 「死」は私たちが日常経験する、ありきたりな普通の「別れ」なのだ、といういわば「平凡な」結論にいたるまで岸本はいろいろな模索を重ねている。その跡…

304 生老病呆死(41)死は「別れのとき」

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 304 304 生老病呆死(41)死は「別れのとき」晩酌をしながらテレビの古い時代劇やサスペンスものをみるのが最近の楽しみになっている。残り少ない人生の時間をこんなものでつぶすなんて、と思わないことはないが、しか…

303 友の遺作(1)小説もどきを書くきっかけは寝たきり認知症の同

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 303 303 友の遺作(1)小説もどきを書くきっかけは寝たきり認知症の同級生 先日亡くなった、高校時代からの親友、梶陽一の奥さんが見舞いにきてくれた。帰るとき、一枚のフロッピーを置いていった。梶が生前ボクに渡…

302 無限を信じる(24)福澤諭吉の「二重視点法」と親鸞の「往相還

302 無限を信じる(24)福澤諭吉の「二重視点法」と親鸞の「往相還相」とりあえずは現実世界のルールに従って浮世を奮闘する。にっちもさっちもいかない状況にくると、どうせ浮世じゃないか、我らウジムシじゃないか、と虚無のルールに切り替え現実を軽くみ…

301 無限を信じる(23)ウジ虫の独立自尊――福澤諭吉の二刀流

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 301 301 無限を信じる(23)ウジ虫の独立自尊――福澤諭吉の二刀流「天の領分に侵入し、その秘密を摘発しその真理原則を叩き、叩き尽して…」と、乱暴とも思える言葉遣いで宇宙・無限に挑む福澤諭吉だが、別の個所では宇…

300 無限を信じる(22) 人は無限と対等になるーー物理学的宇宙観

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 300 300 無限を信じる(22) 人は無限と対等になるーー物理学的宇宙観宗教を軽視していた福沢諭吉だが、晩年になってほんの少し仏教を評価し始める。「神道は宗教の体をなしていない。儒教ごときはいまの人心を維持で…