303 友の遺作(1)小説もどきを書くきっかけは寝たきり認知症の同

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 303
303 友の遺作(1)小説もどきを書くきっかけは寝たきり認知症の同級生

 先日亡くなった、高校時代からの親友、梶陽一の奥さんが見舞いにきてくれた。帰るとき、一枚のフロッピーを置いていった。梶が生前ボクに渡すようにいっていたという。高校時代、作家志望だった彼はその後一流大学の経済学部に進み、結局、大企業のそれなりのポストに着いて定年退職した。定年後は、作家になれなくてもせめて小説のひとつでも残して死にたいと、なにかこつこつ書いていたようだ。彼とボクは月に二度ほど誘いあって繁華街の居酒屋で飲んだ。ちょっと酒がまわると、彼は「年とって見栄もはったりも必要なく、お互いそこそこの小銭があって、こうして昔の友人同士で遠慮なく飲めるなんて最高だね。日本が滅びても、地球が消えても関係ないよ。そのちょっと前に二人とも地球から脱出しようぜ」と口癖のようにいった。一カ月ほどの病で彼はあわただしく脱出していったが、病気のことはだれにも言うな、と家族に口止めしていた。葬儀もひっそり家族葬で営み、もっとも親しい友人であったボクにも訃報が届いたのはかなりあとになってからだ。

フロッピーの冒頭にたぶん、ボクあての長いメモのようなものがあった。
「去年、中学の同窓会があり、欠席者には近況を書いてもらった。そのうちの一通に『私はいま老人施設にはいっています。同窓会には一度も行っていないので、ぜひお会いしたいのですが、体が不自由で出かけることができません。とても残念です。みなさまによろしくお伝えください。これはヘルパーさんに代わりに書いてもらいました』というのがあった。Kからだ。驚いた。高校は俺とは別のところへ進んだが、筋骨隆々の器械体操の選手だった。訪ねて行った。
施設は大阪・和歌山の境界にあり、Kは四畳半ぐらいの個室に寝ていた。そばに車いすがあった。はじめ、きょとんと見上げていたが、俺が名前を告げると、泣き顔になり、すぐ元に戻った。思い出話をいろいろするうちに、器械体操とか、同級生の名前が出るときは、すぐ泣き顔になった。自分はうまくしゃべれないが、記憶の琴線にふれると泣き顔になる。病名とか症状を聞いてもまったく反応がない。身体の不自由のほか、すでに認知症が始まっている感じだ。別れるときは少し長く泣き顔が続いた。広い胸、高い鼻。中学生時代の面影がそのまま残っている。俺と同じ年。70歳を超えたばかりというのに、心も体もおかしくなっている。

一年後、中学時代の同級生数人と再び出かけた。去年の老人ホームとは違って、今度は近くの整形外科病院に付設する老人施設だった。大部屋でKの枕元には、床ずれ防止のために二時間ごとに体位を変えること、食事を与えるときはとくに誤嚥に注意、といったヘルパーさん向けの表示があった。一年の間に排せつも食事も、寝がえりをうつことも自分ではできなくなったのだ。声をかけても去年のように反応がない。無表情でこちらをまじまじと見つめているだけだ。「器械体操の選手だったなあ」といったとき、一瞬泣き顔になった。まだ記憶のかけらは残存しているのか。
ひいき目でみるのでないが、同室の老人たちの中で、Kは抜きんでて、聡明そうで鋭い風貌をしている。だが、ほかの老人はテレビをみたり、ベッドに上半身を起こしたりできるのに、Kだけは行儀よくヘルパーさんになされるままなのだ。

高校時代、気晴らしにときどき彼の家に行った。国道に面した二階家で、階下は自転車やオートバイの部品工場に貸して生計を立てていた。父親は早く病死し、母と兄の3人が二階の2間でひっそり暮らしていた。母親には苦労をかけたから自分自身より大切にする、近所に好きな小学生の少女がいる、彼女と結婚できなかったら、一生結婚しない、などと言っていた。それからはお互い大学にはいって以来、ずっと会っていなかった。
しかし彼のうわさはよく耳に入ってきた。関西の私立大学を出て中堅企業の広報マンとして張り切っている。文章が得意だそうで、俺の方は大学入学とともに作家をあきらめたが、彼はずっと、「芥川賞をとるまで、同窓会には出席しない」と公言している。四十代半ばになると、さすがに芥川賞は諦めたらしいが、今度は「梶よりえらくなってやる。彼を見返すまでは同窓会にも出ない」と俺をライバル視していたそうだ。けっこう負けず嫌いなのだとあまりいい感じを持たなかった。退職後は中国への一人旅を楽しんでいたが、同級生が同行を誘っても断ったそうだ。

あれもこれも風の彼方に流れ、彼の名前さえ忘れかけていたとき、老人施設での近況が飛び込んできたのだ。
あんなに避けていた同窓会に、ヘルパーさんの代筆で近況を寄せてくるなんて。彼の負けず嫌い、プライドはどこへいったのだ。こんなことなら元気なうちに一度でも同窓会に出て、みんなとはしゃいでほしかった。
病院は個人情報に関することだからと多くは教えてくれなかったが、彼は生涯独身で、母も兄も数年前に死んで肉親や家族はひとりもいない。中級の認知症で、他人が後見人になって入院手続きをした、などがわかった。
かっこうのいい鼻柱に、大きな鼻の穴、深い洞察をたたえたまなざしで、ベッド傍の俺をじっと見上げている。まだ意識のしっかりした部分があるという。それだけに多くの老人とともにここで死を待っている心境をおもうとつらかった。次々目標を立て、実現できないまま、奮闘し続け、きっとあまり楽しくない日々の果てに、寝たきりの認知症老人として没しようとしている。

Kよ、君の生きてきた存在証明はどこにあるのか。君が出会った人たち、できごと、そのとき君の感じ、考えたことを…、といいかけて、これはなにもKだけの問題でないことに気付いた。俺自身もいずれKのようになる。俺の生涯で出会った人やできごと、時代をたっぷりフィクションを凝らしていまのうちに小説もどきに書き残しておこう!
これがこの小説を書き始めた俺の動機だ。」以下略。
次回から梶の遺作、小説もどきを奥さんの了解を得て書き写す。(つづく)