304 生老病呆死(41)死は「別れのとき」

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 304
304 生老病呆死(41)死は「別れのとき」

晩酌をしながらテレビの古い時代劇やサスペンスものをみるのが最近の楽しみになっている。残り少ない人生の時間をこんなものでつぶすなんて、と思わないことはないが、しかし、こういう無駄な時間も人生を味わう、一つの部分なのだ、と自分に納得させている。そういう年齢になったのか。
先夜も古いサスペンスをみていて、ふと考えさせられるセリフに出会った。

その初老の女性は若いころ夫との間に一子をもうけていたが、夫に愛人ができ、夫と愛人のふたりからイジメを受け、幼い娘を残して家を出る。病院の掃除婦、ラーメンの出前持ちなどいくつもの職業をへて、いまは末期がんで入院している。大きくなった娘と偶然再会し、二人は名乗りあげないが、それとなくお互いがわかっている。娘は実母をなんとかホスピスにいれてやりたいと願うが、高額な資金が必要だ。そんな折、実母を追いだした2度めの母に生命保険が掛けられていることを知り、ホスピス入居の資金欲しさに殺害を計画する…という設定。
ストーリーは他愛ないが、死を待つ実母の気持ちをなんとか引き立てようとする娘に母が穏やかにつぶやく場面がいい。うろ覚えだが、こんな趣旨だった。
「生きていく苦労に比べれば、死ぬのは気楽だよ。(じっと寝ているだけでいいのだから。)それに、あんな立派なホスピスで死ねるなんて、人生の最後にこんな幸福なことはない」
そういって、弱々しいが、真実うれしそうにほほ笑むのである。
改まって書くと、このセリフだって目くじらたてるほどのことでないように思われるが、当たり前にみえる言葉に、妙に実感がが伴ってくるのは年齢のせいだろうか。

これに関連して思い出されるのは本ブログ143回に引用した東大宗教学教授岸本英夫の文章である。
「死を見つめる心」の著者岸本英夫の密葬には『別れのとき』と題した彼自身の文章の抜粋が朗読された。岸本は悪性の皮膚癌を発病し、10年間に20回の手術を受けて亡くなった。この間、死を凝視しながら、たくさんの文章を発表し、講演もおこなったが、最後まで宗教は救いにならず、「死は別れのとき」という心境に達して穏やかに旅立ったと伝えられる。
宗教学者が宗教を信じないとは…と当時、宗教関係者からは冷たい目でみられたが、いわゆる無神論的な文化人、知識人の多くに広く支持された。
岸本の基本的なスタンスはーー<死>などとおおげさに思うから怖くなる。死といっても私たちが日常何度も経験している<普通の別れ>だと思えばいいという。このくだりを抜き書きしよう。

「人間は長い一生の間には長く暮した土地、親しくなった人たちと別れねばならない時が必ず一度や二度はある。もう一生会うことはできないと思って別れなければならない。このような別れは常に深い別離の悲しみを伴っているが、いよいよ別れの時がきて、心を決めて思い切って別れると何かしらほっとした気持にもなることすらある。人生の折にふれての別れとは、人間にとってそのようなものである。人間はそれに耐えていける。死は、このような別れの大仕掛けなものでないか。死に臨んでの別れは全面的であるということ以外、本来の性質は時折人間がそうした状況に置かれ、耐えてきたものとまったく異なるものではない。」

じつはこの文章をボクはこれまで何回か読んだ。しかし年齢も若かったせいか、ピンとこなかった。凡庸な発想だ、当たり前のことじゃないか、なぜこんな文章があちこちに引用されるのか、わからなかった。もっと気のきいたことをいってほしいと思った。
しかし、先日久しぶりに病の床で読んだとき、ふと現役時代に何度も経験した転勤の場面をこの<別れのとき>にだぶらせてみた。
地方から本社へ戻るとき、気取って船で支店の人たちと別れを告げたことがある。みんな思い思いに甲板のボクにテープを投げてくれた。入社して間もない気立てのいい女子社員、よく衝突した古参社員、馴染みのスナックの女性たち一同もきてくれていた。感傷的なミュージックが流れる。本社勤務では味わえない思い出の数々が通過する。
「きっとまた会おう!」とお互いに叫び合い、ボクも心底そうなるように願ったが、一方で再び会うことはまずないだろうという冷めた確信もあった。これが人の世なのだと自分に言い聞かせていた。
――そうだ、岸本がここで言っているのは、あのときの心境なのだ、とひらめくものがあった。やっと心にしみるようになった。

安物のスリラーのセリフと、碩学が命がけで10年かけてたどり着いた境地を並列させるのはおかしいかもしれないが、ボクの素直な感想だ。