305 生老病呆死(42) 来世があるなら死は怖くないのだが……

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 305
305 生老病呆死(42) 来世があるなら死は怖くないのだが……

 「死」は私たちが日常経験する、ありきたりな普通の「別れ」なのだ、といういわば「平凡な」結論にいたるまで岸本はいろいろな模索を重ねている。その跡をざっとなぞってみよう。
 
死についてはだれもが考えるが、その立ち位置はふたつある。
 ひとつは、一般的な死の問題として考えをめぐらす。死とは何か、という観念論である。
 もうひとつは、岸本がそうであったように、自分自身が実際に死に直面し、切羽詰まった状況で死と向き合う。
この段階になると、それまでの一般的な死の観念論などは吹っ飛んでしまう。ひたすら生への原始的な欲望だけが爆発する。この状態を岸本は「生命の飢餓状態」、と呼ぶ。
 生命の飢餓状態の中で、自分を襲ってくるのは、肉体的な苦痛と、死そのものに対する恐れ、のふたつである。身体の痛みや苦しみもたしかにつらいが、それよりつらくて恐ろしいのはこの自分の意識が、なくなってしまうと想像することだという。

 こんなときもし、宗教の説くようにあの世―ー天国とか浄土があれば、どんなに楽だろう。死後の生命の存続を信じることができれば、これは死に立ち向かう上で最強の武器になり得るのだ。岸本はクリスチャンの家庭で育ち、子ども時代は信仰をもっていたが、青年になって奇跡をおこなう人格神信仰は信じられなくなった。そしてキリスト教の天国も、仏教でいう浄土も信じられない。
 岸本が健康なころ、そういうと、ある保守的な宗教家は「今は健康で死の実感がないからそんなことがいえる。実際に死に直面すると、あなたも多くの人と同じように神にすがり、来世を信じて死んでいくに違いない」と批判したという。

 のちに癌になって文字通り死の淵に立った。死後の理想世界を信じればどれだけ楽だったしれない。しかし、信じることができなかった。そのことを岸本は「私の知性がゆるさなかった」。「私は自分の知性の強靭さに誇りをもった」と強い調子でほこらしげに書いている。
 (この点についてボクは多少の異議があるが、そのことはあとでまとめて書く。)

  むろん岸本自身も死後の世界の有無については悩んだらしい。こんなことを書いている。
「死後があるかないかよりも、ほんとうにこわいのはじつは、あるかないかわからないままに、生命欲に圧倒され、無理にあると自分に言い聞かせて慰めようとする、しかしどうしても疑いが生じ、煩悶する、それが一番恐ろしく悲惨なのだ」。

これは信仰深い人でも同じことらしい。本ブログ147回にスペインのキリスト教作家ベルナノスを引用した。「信仰というものは90%の疑いと10%の希望だ」という言葉である。敬虔なクリスチャンだった作家遠藤周作はこの言葉がよほど気に入ったとみえ、あちこちで引用している。

あの世も天国も浄土も、この世の肉眼では見えない。どんなに強靭な近代的知性でもこれがほんとうだ、と<科学的に>突き止めることはできない。それが人間の宿命であり、限界なのだ。天国・浄土を信じようと信じまいと、どちらが正解かはだれも決められない、わからない。あるときは存在説に傾き、またあるときはそんなもの存在する証拠がどこにもない、とゼロに戻る。
その迷い、自分自身の分裂が、いちばんつらい、と岸本はいう。

これを避けるために岸本はどうしたか。
あの世は存在する、しない。どちらかひとつにきめてしまおうと覚悟したのである。ふたつあるから迷い、苦しむのだ。そしてどうせなら、証拠もないのに空安心するようなことはせず、苦しくても悪いほうにきめてしまおう、つまり、死後の世界はないというほうに賭けたのである。
あの世はあるという仮説で自分を救おうとしないで、死後はないという背水の陣を敷き、そこで耐えていく。生命飢餓感と闘っていくことにした。
 
では、どう闘うのか。
 目の前の仕事に打ち込むことで「死」を忘れよう。死を見ないようにしようとしたのである。死んだらどうなるかという恐怖をごまかすために、とにかくがむしゃらに働いた。闘病しながらの仕事ぶりはすさまじく、同僚教授から「手負いの猪」といわれるほどだった。だが、それでも死は念頭から離れず、思案は続いた。

 ある日、ふとふたつのことに気付いた。(つづく)