315 生老病呆死(52)生を「小さく刻んで」、あとは「死ねば死にき

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 315
315 生老病呆死(52)生を「小さく刻んで」、あとは「死ねば死にきり」

死を「追いつめる」に似た発想で、時間や感情を「小さく刻む」も、吉本隆明のお得意の方程式だ。
たとえば、老人はほぼ例外なくうつ病であり、心身症だ。なぜか? 
これから先、もう生きる時間が乏しい。あと死を待つのみ。生きていてもいいことなんか何も残っていない、やがて足腰が立たなくなって病気になって死ぬだけしか残っていないじゃないか。哲学者も文学者も実業家も政治家もサラリーマンも老人になると、みんなある日そんな思案に入る瞬間を免れない。
いったんそのコースに入ると、どんどん鬱の下降線をたどる。目的地は死だ。死を克服するため学問的にどんなに分析し整理し分かったつもりになっても、実感的にはうつ状態は消えない。吉本自身もそうだった。老いることは<死の軌道>に乗ることを意味する。さて、問題はその軌道からどのようにして脱出するかだ。

吉本が自身の脱出成功例として紹介しているのは時間や感情を細かく刻む生き方である。うれしい、かなしい、憂鬱だ、といった出来事や感情の起伏をこまかく意識する。街を歩いていて、こぎれいな女性がきた。「ああ、すごいな、今日はいい日だ」と思うことにする。
会社で上役に嫌なことを言われた、同僚とけんかした、とおもしろくない日は、「今日は不幸だった」となる。
昨日までは3百メートル歩くと腰が痛くなった、それが今日は4百メートル歩けたからハッピーだ、と思うことにする。

若い時は、幸福や不幸、成功や不成功、ついてる、ついてない、など環境や運命を長いレンジでとらえることができた。しかし、年をとってからでは長い周期ではなにごとも実感がともなわない。だから「今日は楽しかったなあ、しかし明日はわからない」と短い時間帯で切り替えながら生きることにする。それが死へ続く慢性のうつ下降線に変化をつけるコツだという。

会社役員を退職した友人にこの話をすると、なるほど、とひどく感心していた。以来、幼馴染や学生時代の友人、会社時代の仲間などときめ細かく打ち合わせをし、行事や会合で予定表を埋めるのを心がけているようだ。目前の雑用に忙殺されるだけのやりかたは何かかんじんなものを忘れてきた会社人間の残骸に見えるが、しかし、形而上学的に死を追いつめるとともに生を小さく刻む方法を併用するのは効果的かもしれない。暗い老いの日々や死がまだら模様ながら夕日に照らしだされる気がする。

もうひとつ、老人が<死の軌道>から脱出する方法として吉本があげているのは「死は自分のものでない」とする考え方である。
病院で、管をいっぱいつけられ、点滴され、顔をゆがめて苦しそうな病人――のような状態になるのはいやだから、早く死なせてほしい、などという人が多い。しかし、それは科学的でない。もうこの段階になると、痛みや苦しさを本人が意識することはできない。親鸞が浄土を本物の死のひとつ手前に設定(正定聚)したように、<死の軌道>からほんものの死を外す。本人は自分の死をもはや経験できないのだから、自分の生涯に死は存在しない。そう思うことは、死にまつわる鬱状態を離れるひとつの方法という。

しかし、これは最初の方法に比べると、効果は弱そうだ。自分の死は自分では実際に経験できない。そんなことはだれもわかりきっている。そういわれてもやはり死は怖いのだ。私たちは死そのものが怖いというより死を思うこと、死にまつわりついている衣装が怖いのだ。死というゴールが怖いのでなく、死に至るプロセスが怖いのだから。
いくら考えても、手を尽くしても、死の恐怖は残る。死を追いつめても、時間や感情を小さく刻んでも、自分の死は経験できないのだからと自分に言い聞かせても、最終的に死の恐怖は消えない。吉本も実感的には「論理通り」にはいかない。死の恐怖は残る、ただ、緩和するだけだ、と書いている。
そして申し訳のように、死の恐怖が残る理由の1つは、生まれてきたときの恐怖の再現だからだ、という。このあたりになるとボクはあまり信用する気にならない。何を根拠にそういうのか、それこそ科学的に裏付ける論理がほしいところだ。

死を追いつめる、生を細かく刻む。そういう実務的な作業を終えて、さて、死後はどうなるのか。
吉本は高村光太郎の「死ねば死にきり 自然は水際立っている」という言葉が大好きだという。人は死ねばそれっきり、なにもない。人が死んでも自然はなにもかわらず、いままで通りの秩序が続く。唯物的な考え方だ。
ボクはふと山田風太郎の言葉を連想する。

『(死のイメージはたとえば)路傍の石がひとつ水に落ちる。無数の足が忙しげにその傍を通り過ぎていく。映像にすればただ一秒。』
有史以来、無数の人間が死んできた。その中のひとり分の自分の死なんてという雰囲気が出ている。ラッシュアワーの雑踏を我先に急ぐ群衆。その足元にポンと小石が一つ落ちた。でもだれもそれに気づかない。ポンと小石ひとつが落ちる一秒間の死の静寂である。

吉本はそのほか、マルクスの「人間はただ自然物の1種類だ」、毛沢東の「自然には勝てません」、宮沢賢治の「人間は自然の1部です」という言葉を並べ、それぞれの<自然>を説明している。
高村の場合は「自然とは何ぞや」という形而上学的な意味合いと、「人間も自然の一部だ」という唯物的な意味が両方はいっている。
マルクスの自然は動物とか植物とか人間はすべて区別なく自然の中のそれぞれの部分なのだという意味合い。
毛沢東の自然は、人間も年をとると足腰が不自由になり目がかすむなどしてくる。逆らおうとするけれど、自然と同じような法則でやはり衰えていくというニューアンス。
宮沢賢治の場合は農村の人で自然の風景とずっと接していたし、自然物に没入できる資質があったから、まさしく実感的な意味の自然――。(つづく)