292 無限を信じる(14) ボクらは自由で無責任、みんな無限者にお

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 292
292 無限を信じる(14) ボクらは自由で無責任、みんな無限者にお任せ

精神主義は前回の満足主義に次いで、万人の自由、他力主義へとつながっていく。こじつけのように感じられる個所もあるが、ざっと説明しておく。

自分は世間・外物・他人に追随しないからつねに自由である。だがその自由は他人もおなじようにもっている。自分だけ自由で、他人は不自由というのではない。絶対無限者の目から見た万物一体の見地に立つ自由だ。全体の調和のためには服従を苦としない、つまり服従への自由も含んでいる。いいかえれば、「天下と苦楽を共にする」生き方だ。

この世にはいいこともある。また自力ではどうしようもないつらいこともある。しかし、絶対無限者の慈悲を信じきることだ。そのとき、「精神主義は過去の事に対するあきらめ主義となり、現在の事に対する安住主義となり、未来の事に対する奮励主義となる」という。
「過去」のことを悔やんでももうかえってこない。くよくよするよりあきらめることだ。絶対無限者が私たちを教え導くために設けた手段と受け止めよう。
「現在」はちょうど母親に見守られているこどものように安心して「未来」に向けて余裕綽々として努力すればいいのだ。

万物一体の見地から…といえば、私たち一人一人の責任は途方もなく大きそうだ。しかし、そうではない。清沢満之精神主義が他力主義を前提にしていることをつぎのように過激に表現している。
「宇宙の一切の出来事に関して、私はひとつも責任を持たない。みんな如来(絶対無限者)の導くところである」
「すべては如来の仕事。それなのに、これは自分の責任だ、あれは自分の過ちだ、などと考えるのはおこがましい。如来の仕事を盗むようなもの」
精神主義とはこのように無責任主義に安住し、私どものような力の足りない者が、他力の無上の力によってその力を進めることだ」

清沢満之は亡くなるまでの2年半の間に精神主義関係の論説を約五十篇発表している。賛否ともに反響は大きかった。仏教界からも「内観的感情的満足のみを求め、理性の満足がない。消極主義、あきらめ主義だ」と批判の声が出た。これに対して論客で鳴る満之はどう答えたか。弟子たちはつぎの三つのエピソードを伝えている。
? 東京上野で開かれた仏教徒懇話会の席で演説の指名を受けて立ちあがった先生は「精神主義に対していろいろの評判があるが、それに対して一言もない。というのはこの主義はまったく自分の無力・無能を表明するに過ぎない。私はどの方面に向かっても閉口、閉口、閉口…。これがすなわち精神主義なのだ。みなさん、わかってください」と言われただけだった。
? 別の場所の演説で先生は「私たちの精神主義に対して、各方面からご意見をくださる。まことに感謝に堪えないが、私たちは何かを主張するというのでなく、ただ自己の罪悪と無能とを懺悔し、如来(絶対無限者)の前にひれ伏すばかりだ。要は慙愧の思いを言葉にあらわすだけだ」と話された。その時の先生のおごそかな表情、そして『自己を弁護せざる人』として先生を忘れることができない。(のちに高名な宗教学者となった若き日の曽我量深はこれをきっかけに満之を生涯の師と仰いだ。)
? そのころ、東京は積極主義が沸騰していた。それなのになぜ精神主義は消極主義でよいのか?
弟子のひとりが質すと、先生は「東京市中で行われている積極主義は金銭のため、名誉のため、衣食のために奮闘、妄動している。名声と利益のためにだけ積極的なのだ。こういう積極は少しも尊くない。このゆがみを救うには消極主義あるのみ。消極主義によって名誉金銭への思いが挫折し、我欲の殻が破れたとき、残るのは如来(絶対無限者)の指導のもとに活動することだけになる。それは金銭、名誉、衣食を目的としない。そのとき初めて真の大活動、真の積極主義に到達するのだ」と言われた。

満之の消極主義はもとより弱々しいあきらめ主義、引っ込み思案ではない。明治の近代都市を謳歌する立身出世の風潮を痛打する不屈の対決姿勢であった。
外物・世間・他人は相手にしない。自由にして、しかも無責任と言い放つ。「それでは鉄面皮主義ではないか」と非難されれば、「その通り。精神主義のよるときは心身ことごとく鉄石となる」と答える。
この腹の据わり方、捨て身の決断、そのよりどころとなっているのはむろん如来(絶対無限者)であり、世俗主義を否定する精神だ。

念のためだが、満之のいう、如来とか絶対無限者は、人を指すのではない。人間を超えた働きを指す。
また、精神主義は外の物や他人をただ排斥するのでない。自分の精神のありよう、心の持ち方によって自由にその意味を変えることができると信じることをいう。
生まれることも病気になることも死ぬことも人間の努力の届かない世界で起こる。絶対無限の働きの中で終始する。それを自覚するとき他力の信心が生まれるのだ。
死が近づいたころ、満之は日記に「如来の奴隷となれ、その他のものの奴隷となることなかれ」と記している。
次回は満之の絶筆で、『昭和の歎異抄』といわれる「我が信念」を中心にすすめる。(つづく)