281 無限を信じる(3)大いなるものーー九条武子 清沢満之

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 281

281 無限を信じる(3)大いなるものーー九条武子 清沢満之

 神や仏ではないが、それに似た漠然とした何か大きな大きな存在といえば、前回あげた童謡の『お月さま』のほかにもうひとつ心当たりがある。九条武子の和歌に出てくる「大いなるもの」である。

おほいなる もののちからに ひかれゆく
わがあしあとの おぼつかなしや

この歌を教えてくれたのは父である。後半生の父は公私ともにおもしろくないことが重なり、よく外で酒を飲んで帰ってきた。そんなとき、この歌をつぶやき、まだ中学生ぐらいだったボクに語りかけるように解説した。

武子は伯爵家の令嬢で絶世の美人、頭もよく歌の才能もあった。しかし、結婚した相手はなぜか武子を疎んじ、ほかに女をつくり、英国で暮らした。それでも武子は日本で浮いた噂ひとつなく貞淑に夫を待ち続けた。それを支えたのは何か大きなものだった。その大きなものの力に導かれてただしい道を歩いているのだが、ときに心が乱れる、その恥ずかしさ、人間の無力さ…。
そこまでいって父は黙った。

父はどんな宗教も信じず、布教にきたある新興宗教の信者に「へえ、そんな神さんがいるというのなら、神さんの糞でも証拠に見せてくれませんか」と困らせて得意がったりした。その神も仏も信じない父が神妙に言う「大いなる力」とは何だろう。子供心にもいぶかしく思ったものだ。

いまネットで九条武子を調べると、父の無知、勘違いがよくわかった。
武子は西本願寺第21代法主大谷光尊の次女で仏教婦人会の創設に参加したという。だからこの「大いなるもの」は仏に近い存在であるのは間違いない。

そのほか、武子についてつぎのような記述がある。
「侯爵家出身の銀行員、九条良致に嫁ぎ、夫とともにロンドンに随行したが、1年半で武子は帰国、夫はそのまま英国に残り、別居状態が十数年続いた。これには美貌・教養・家柄(大谷家は伯爵家)の誉れ高い武子に、良致がなじめなかったからではないかなど、夫婦不和の憶測もあったが、武子は離婚どころか浮いた言動一つとらず、良致の帰国をひたすら待ちつづけた。1920年末に良致が帰国し、夫婦同居が実現した。武子は関東大震災の復興に奔走し、築地本願寺の再建、負傷者・孤児の救援活動などさまざまな事業を推進した。その無理がたたり42歳の若さで念仏のうちに往生した。2人の間に子供はなかったが、よき夫婦関係であったと伝えられている」
好奇心をそそられる人間像が浮かぶ。

さて以上のような変遷を経て、ボクが最近たどり着いた「何か大きなもの」は清沢満之の説く『無限』の概念である。清沢については多少の知識はあったが、先日『清沢満之語録』(今村仁司編訳・岩波書店)を読んで肉声に触れた思いがした。

清沢は「今親鸞」と呼ばれ、彼の絶筆『我が信念』は「明治の歎異抄」ともいわれるらしい。元祖・歎異抄は現代のボクらにとってはとっつきにくい。読みづらい。時代背景がいまと違いすぎてぴんとこないところがある。その点、明治時代に活躍した清沢版歎異抄は現代のセンスに通じるところが多々ある。彼は東大哲学科を抜群の成績で卒業し、西洋哲学にもくわしい。私生活は不遇なことが多く、悲惨で短い生涯だったが。

まず清沢は有限と無限を並べて定義する。
有限なものとはーー「依存、相対、単位、部分、不完全」などのイメージだ。具体的にいうと、「世間、星、国、人間、動物、植物、昆虫、石、雨滴、分子、原子」など、宇宙内のすべての物体、個物を指す。いいかえると、他のなんらかのものによって制限を受けている、あるいは依存し合っているものである。

一方、無限とは他のなにものによっても制限を受けない、依存し合っていないものである。
たとえば、「全体」「絶対」「一者」「完全」「独立」「リアリティ」「実体」「イデア」などのイメージ。清沢は「神」「仏」もこのなかに入れてよろしい、としている。しかし、敏感な人はこのあたりから宗教的うさん臭さ、決めつけのようなものを感じるかもしれないので、「神・仏」は後回しにして話をすすめよう。

どんな物でも他の物から区別されて、いまの物(形態)となっている。いいかえるとおたがい他の物に否定され、制限されて、いまの物、いまの自分が成り立っている。つまり宇宙内のものはすべて「有限」な存在である。
では、宇宙全体はどうか。
それは「無限」に決まっている。宇宙を限定するものが宇宙の外にはないからである。宇宙はひとつで全体を形成し、それだけで完全なのである。

有限者はすべて他の有限者に依存している。しかし、無限はそれを限定するものを必要としない、独立者である。
有限であること、あるいは依存は複数の事物の関係である。どれでも相対的なものである。
一方、無限なもの、独立的なものは他の事物との関係をもたない、だからそれは絶対的なものである。(つづく)