297 無限を信じる(19)だからこそ現代にも通じる「親鸞」と「清沢

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 297
297 無限を信じる(19)だからこそ現代にも通じる「親鸞」と「清沢満之

宗教や死生観というのはしょせん個人主義なのだろう。自分がそれで安心を得て、愉快で、満足納得した日々を過ごせればほかにいうことはない。
若いころ、面白半分で歎異抄をかじったとき、「親鸞って自分を頼ってくる信者まで冷たく突き放すのか」、「宗教家なのに、自分だけよければ、のエゴイストなのだろうか」とちょっと驚いた個所がふたつある。

まず歎異抄【2章】の趣旨はこうだ。
関東の信者、門弟たちがはるばる京都在住の親鸞を訪ねてきた。往生極楽の道は念仏しかない、という親鸞の教えはほんとうなのか。親鸞はほんとうはほかに方法を知っている、経典の言葉なども知っているのだろうと疑い、本心を質そうとやってきたのだ。常陸、下総、武蔵、相模、伊豆、駿河遠江三河尾張、伊勢、近江、山城など12カ国。当時はそれこそ命がけの行脚だ。

わらでもすがりたいという人たちに対し、親鸞はじつにそっけなく答える。「私は(親鸞におきては)念仏のほかに往生の方法を知らない。別に往生の道があると思う人は奈良や比叡山にはすぐれた学者、知識人がいるから、そこで聞かれるとよい。私はただ、師法然の教えを信じているだけのことだ。」

これに続くセリフが有名な「もし念仏を唱えて地獄に落ちるようなことになっても、後悔はしない。というのはもし、念仏以外の修行をして仏になるはずのものが地獄に落ちたのであれば、後悔もしようが、私は念仏以外、どんな修行もおぼつかない。弥陀の本願が真実なら、釈尊の教えは真実だろう、釈尊が真実なら善導が、善導が真実なら法然が、法然が真実ならこの親鸞のいうことも真実であろう。あとはみなさんの勝手である」と続く。

学問をし、苦行をし抜いた果ての親鸞の、この一方的で乱暴にも見える言葉。多くの解説書はここに親鸞の個性的な性格と信仰の強さを説いている。清沢満之の著名な弟子、暁烏敏も思い切った言動で知られるが、この個所について「わざわざ十余カ国の境をこえてきた人たちにずいぶんそっけないお言葉です。しかし、その力強さに今も昔も胸の血が湧く」と書く。
そして師清沢満之が、「宗教とは主観的事実だ。仏があるから信じるのでない、信ずるから仏があるのだ」と教えていたことを紹介している。この教えに従って弟子たちは「自分を離れた一般的な客観的な仏教」ではなく、「自分に触れた主観的な仏教」へ進んできたと強調する。だからこそ、親鸞は「仏教の精神・教義はこうだ」とはいわない。常に『親鸞におきては…』である。親鸞清沢満之も、ともに客観的、観念的な宗派の教義や規約に重きを置いていないところが共通している。自分の実験、経験、体験から得たプリミティブな信心を、自分の責任において語るのだ。

親鸞に関する著書や論文はたくさんあるが、いったいどの点において偉大であったのか、余人にかえがたいのか、それが具体的、明確に説かれていない。ひいきの引き倒し風の論述が圧倒的であると阿満利麿は、野間宏の「親鸞」(岩波新書)を例に批評している。
野間は冒頭に、親鸞は日本最大の思想家の一人であり、仏教徒だけでなく、あらゆる立場の人が親鸞について討議し彼を見直さねばならないと書いている。しかし、親鸞のどこが日本最大の思想家に値するのかがこの本を読んでもわからない、思想というのはそれを生み出した歴史的状況があり、それを乗り越えて現代もなぜ親鸞の思想を問題にせねばならないか、それがポイントなのに、同書にはその理由がずり落ちているというのである。
さらに、えらい、えらいと観念的に奉った聖人・親鸞には興味がない。興味があるのは人間・親鸞であり、「人間・親鸞がどのようにして自分の救済の問題を長い生涯かかって追い求めていったのか」という点にあると書いている。

これはボクも同感だ。親鸞から800年後に生きるボクがいま、日常的に具体的に実感できる親鸞のえらさがわかってこそ評価の対象になる。いまのボクにわからないえらさなどどうでもいい。聖人という呼称に意味があるのでなく、同じ人間として彼の喜びや悲しみ、あるいはがまんや計算やずるさや絶望をボクもまたある程度察知することができてはじめて彼のえらさ、真実をボクは感じとることができるのだ。

多くの関係者がいっていることだが、思想的には法然が切り開き、親鸞はその教えを人間的に実践した。親鸞は知恵の人というより行動の人なのだ。20年間比叡山で修行したが、悩みは解決されず、法然を訪ね、他力本願の教えで回心した。34歳の時、法然の念仏弾圧に連座して死刑を宣告されたのち島流しにあった。以来、非僧非俗を貫き、妻帯し、83歳の時、教義上の問題で長男の裏切りにあい、義絶。89歳で没するまで主著『教行信証』の推敲を続けた。
親鸞の異例に長い生涯は阿弥陀仏を求め、ごつごつと衝突し、体臭や肉片をまき散らした道のりだった。だからこそ、現代の人たちもいま、彼の無数の傷跡を探りながら、その道のりをたどることができるのだ。それは自らの一生を実験台として絶対者を追求した清沢満之の血みどろの生きざまとつながっている。(つづく)