314 生老病呆死(51)死の方向から現在の自分を照らし出す

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 314
314 生老病呆死(51)死の方向から現在の自分を照らし出す

 死を超える、死の恐怖を除く、あるいは減らすためには、死にまつわりつくイメージや虚飾、もやもやをとるに限る。それには死の実体を刻むように追いつめることだ。吉本隆明フーコー流の解剖的手法を援用して、死をいろいろなレベルに分類し、課題を示し、その課題を解決することで死はある程度超えることができる、死は克服できる、という。
死について解決すべき課題は、家庭的な問題、社会的な問題、精神的な問題などいろいろあるが、吉本はもっとも現代的なテーマである「高齢社会」と「往相還相」を次のように組み合わせて追求の実例を示している。

日本の老人は働きたいという人が先進諸外国に比べて多いという統計結果がある。経済的理由のほか、事情はいろいろあろうが、高齢社会の緊急課題としては老人に社会が門戸を開くとか、働き口をつくるなどは高齢社会の緊急課題(往相)にあてはまる。
一方、高齢社会における永遠の課題(還相)とは何か。それは「どのように死を超えるか、克服するか」である。この課題も、社会的な分野から個々の内面の分野までいくつかにわかれるが、一つ一つ整理して追いつめていく。

○社会的な分野で死を超えるとはどういうことか。
ここにひとつの統計がある。経済的、知識的、環境的にも恵まれた働く高齢者層900人を対象にしたアンケート調査で、第一の質問は「いま自分がしている仕事をどう思うか」。これに対し70%の高齢者が「これからも第一線で続けたい」と答えた。第二の定年制についても80%が「65歳に延長すべきだ」と回答。
このほか家庭生活について。「老後は経済的にも精神的にも子どもから独立するべきだ」と考えている人が95%。「子どもへの干渉は一切しないようにするべきだ」、「夫婦単位の生活がいい」がそれぞれ60%。

これらのデータを踏まえて吉本はつぎのように結論付ける。
これらの人たちは老齢を迎えていかに死を超えるか、という問題について社会的レベルではもはやかなりの部分が解決していることを意味している。このような望ましい生活態勢を確保したときには、自分の家族の様式を保ちながら、子供たちにも精神的、経済的にも頼らず、やがて老後の終わり「命が果てたら、それが死だ」という構えを半数以上の老人がとっている。
これはごく少数の恵まれた老人たちのケースだが、大部分の老人たちがこういう考え方を持つようになり、それを自分の生活様式として確立することが実現したら、それは社会的な層で「死を超えた、死を解決した」といえる。むろん、子どもの家族が経済的に困窮しているとか、精神的に家族とうまくいかない、などのケースもあり、そのときには死を超えたとはいえない。だが、少なくとも社会的な課題としては解決したというのである。

○つぎに精神的な課題について吉本はつぎのように説明している。
私たちは本能的に死がいやだ、こわい、とさまざまに悩む。その解決法のひとつとして、死後の天国や浄土を想定した。この発想はこちらからあちらへ。つまり現在の年齢の方から死の年齢へだんだん向かっているという方向で死を考えている。「やがておれたちはもっと年をとり、やがて病気になり、死ぬと決まっている」。言ってみれば「往きの道」(往相)で死を考えている。鎌倉時代の僧侶たちは、早く死んで浄土に往くのがいちばん、と断食したりしたが、これはいわば緊急課題として死を見ている。

もうひとつ別の見方。時間を逆にして、死の方から現在を見るという考え方がある。老人が、自分はこれから死の方に向かっていく(往相)というだけでなく、向こうの方からこちらへ向かってくる視線で自分とこれからのことを照らし出す(還相)。
こういう考え方を獲得することができて、老人が精神的に自在に向こうからの視線で現在の自分を見、こちらからの視線で死の方を見る。こういうことが可能になれば、死についての精神的な問題は解けるのでないか。そして、たぶん精神的な解決策はこれしかない。これが死をいかに超えるかという永遠の課題である、と吉本は言いきっている。

ボクが死についていちばん関心のあるのは精神的な課題だ。それ以外の社会的、家庭的、経済的課題・諸条件もたしかに重要だが、やっぱり端役だ。その最重要な精神的課題についてもっと具体的に聞いてみたいが、しかし、死はなにものにもまして個人的な出来事だ。千差万別の個人の環境、思想、歴史が集約される場所だ。一般論しか書けないだろう。吉本の空白部分は各人がそれぞれ穴埋めしていくほかはない。一般論に限っても上記の往相還相の考え方にボクは強く惹かれる。本ブログ301、302の2回にわたって書いた福沢諭吉の二重視点法に共通する考え方だ。当時はまだ親鸞の「還相」についてよくわからず、福澤諭吉の方からアプローチしたが、今回は福澤諭吉親鸞ともにそれぞれよくわかるようになった。生きる極意を教わったような軽い興奮がある。いずれ、この発想を応用したボク自身の実生活での死を超えるための実践ぶりを書いてみたい。

○つぎに吉本は、これらの課題が解かれた後、死の問題で残るのは<身体の偶然性>だけだという。これは<自然>を完全に解かねば解決できない。人間には不可能な問題だ。だから永遠の課題からも漏れてしまうとしている。
他人の死は見たり経験することはできるが、自分の死はだれも経験することはできない。これらをめぐる死の形式については古来哲学や宗教のさまざまなテーマになってきたが、むろんまだ何も解決されていない。(つづく)

313 生老病呆死(50) 資本主義の未来と、「往相還相」

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313 生老病呆死(50) 資本主義の未来と、「往相還相」

 肉体の死を医学的物理的具体的に説いている最中に、降ってわいたように親鸞の『往相還相』が出てきた。吉本隆明は自らを無宗教、無信仰といい、あの世は信じないといっている。そして「親鸞もほんとうはあの世なんか信じていなかった」とも書いている。吉本は親鸞の影響を強く受けている。それは自身がつねづね述べていることだが、無宗教の吉本が、死を科学的に定義しようとするとき、仏教者親鸞を、そしてあの世この世・浄土がらみの『往相還相』の思想を援用しようとしているのだ。ふいをつかれた気持ちがした。

 『往相還相』はとても有名な言葉だが、長い間ボクは理解できなかった。
 あちこちの文献を読みあさった。
 仏教辞典には「浄土教における2種の回向のあり方。仏教者が自己の功徳を自分以外の方向に向けて、生きとし生けるすべての存在にあまねく施し与えてゆき、ともどもに浄土に往生せんとする願を立てるのが往相、それとは逆に浄土からこの罪に汚れた現実世界に帰ってきて、生きとし生けるすべての存在を導き救って仏教の真理に向かわせるのが還相である」――これは中国の曇鸞や、老子荘子の考え方を根底に置いているそうだ。

ボクがわからないのは<浄土から帰ってきて…>の文言である。素人向けの解説書をいろいろあたったが、ほとんどが上記の辞典と同じように紋切り型の説明だけだ。なかにはたとえば、「仏の心をもって人々に対応する」とか、「俗世間の価値観を超えて」といくぶん柔らかい解説もあったが、やっぱり抽象的でピンとこない。

吉本隆明の本もいろいろ読んだが、ボクのような素人がずばりわかる「往相還相」のストレートな説明はなかった。ただこれに関連してひとつわかったのは「正定聚」という概念である。これも親鸞の言葉で「信心が固まったとき、その人は必ず浄土へいける。それが保証されたポジション」を指すそうだ。それまで一般にいわれていたのは、浄土とは死んで初めていける場所だった。親鸞はそれを否定し生存中であっても、信心が定まったとたんに浄土行きが確保される位置の存在を主張したのだ。吉本は「それはいわば、皇太子の位を指す。この位に達した人は死後、天皇の位=浄土に行く=になるのが決まっているような位置」と書いている。
一方で吉本は「親鸞は死後の浄土など信じていなかった。あの世よりこの世の幸福をこそ願っていた」と言っている。
なるほど、親鸞のいう浄土は正定聚を指すのか。死後の世界ではなく、この世とあの世の中間点にあるのが、親鸞のいう浄土なのだ。この世をある程度生きてきてそれなりに酸いも甘いも経験し、ぼつぼつ死が近づいてきた年代をいうのだろうか。それはそれで興味があったが、しかし、かんじんの往相還相に結び付けて具体的にイメージすることはできなかった。以来最近まで20年以上もあいまいなままずるずる過ごしていた。

それが先日、紀伊国屋書店にいくと、亡くなった吉本隆明の特設コーナーがあり、吉本の著書が一堂に集められていた。そこで『吉本隆明が語る親鸞』という手造りのような体裁の粗末な本をみつけた。発行所は糸井重里事務所となっている。プロローグに吉本とコピーライターの糸井さんが2011年7月に行った対談が掲載されている。それによると、糸井さんの主宰するウエブサイトで吉本の「親鸞の話」を連載しているが、とても評判がよい。ふだん、親鸞なんかとは縁遠い人たちにも読んでもらおうとこの本を企画したという。
たしかに読みやすく、わかりやすい。ボクもなんとなく往相還相の現代的解釈ができたような気になった。

 この本で吉本は、往相とは「緊急課題」で、こちらからあちらへいく課題。
 還相とは「永遠の課題」で、時間的に言えば未来、親鸞的にいえば浄土、あるいは死からの光線で照らしだしてみなければわからない問題だと規定している。これでもまだもやもやした定義だが、もともと宗教用語だ。なんとなくわかったことにしよう。往相とは当面の現実問題として取り組まねばならないもの、還相は当面のことよりさらに未来にさかのぼる本質的なテーマとして考えねばならないもの、という風に解釈しておきたい。

 吉本は両者を比較する現実的で、この世的な具体例をひとつあげている。
 たばこや酒、麻薬がからだに悪い、良くない、と説くのが「緊急課題」(往相)。
人類は古くからこれら嗜好品や麻薬がからだに悪いと知りながら、なにかきっかけがあるとそれをたしなむようになるのはなぜか。それは人間性にとってどんな意味があるのか、何なのかを探るのが「永遠の課題」(還相)。
 
ある社会的出来事、ひとつの課題の中に両者の問題点が必ず入っている。一見、表面的な緊急課題にみえても、そこには永遠の課題が入ってきている、それが非常に重要なのだ。緊急の課題については緊急に応じればよいが、永遠の課題もそれで解決されると思うのは間違いだ。たとえば、バブル期にある人が金を儲ける、「俺は豊かになった。まあ困らない」で緊急課題は終わるが、永遠の課題は残る、といった具合である。
 現在は、往きの過程(往相)で見たらそれでよい、還りの過程(還相)で見たらそれで済んだというのでなく、両方の見方を同時に行使しないと事の本質はわからないという問題が多く出てきている。
 グローバル経済のシステムの中で資本主義が今後どのように発展拡大していくのか、その見通しがどれくらいまではわかり、どのくらい以降はわからないのか。かつて親鸞マルクスが考えたようにだれかがいまの時代を見ながら過去、未来を照らしながら考えていくやりかたをしないとだめだ。従来の考え方をそのまま適応できないのだ。

親鸞マルクス、資本主義が同じ舞台に登場するのはちょっとした驚きだ。 
さて、吉本は高齢社会が提起する還相(永遠の課題)は何か、と問うて、それは「死をどうやって超えるか」であると話を進めている。(つづく)

312 生老病呆死(49)<死は分布>フーコー説に詩と宗教を飛翔させ

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312 生老病呆死(49)<死は分布>フーコー説に詩と宗教を飛翔させて

タイプD<身体の死は時間的・空間的に散在する>フーコー

 現代の代表的な思想家のひとり、フーコーは死を肉体に限定して考えた。これまで述べたとおり死の追跡・研究には死に特有の体験の分裂、矛盾がある。他人の死や、死につつある状態は見ることができるが、自分自身の死は体験することができないというあれだ。また死後のことはだれにもわからない。だから、死はこれだ、と万人を納得させる定義が打ち出せないのだ。すべての死の追跡はこの矛盾を何とか融合させようという考え方に根ざしている。医者でもあるフーコーは、精神を抜きにして肉体に限る、つまり医学的に死を規定するところから死の解明を始めようとした。

 人間(肉体)はいっぺんには死なない。死に方には順序がある。まず死が始まるのは粘膜性のところーーー口、食道、胃壁、腸管などだ。つぎに臓器の類。最後が筋肉の順に死のプロセスが進む。
 つまり、その人がまだ生きているのに例えば腸の粘膜だけはもう死につつある。逆にその人は死んだというふうに言えても、まだ生きている部分がある、死んだ人の毛髪は伸びるといったような。
 ひとくちに、「死んだ」、といっても人はいっぺんには死なない。ほんとうの死はまだこないのに、体のある部分には死がきていて徐々に体全体に広がっていく。逆の場合もある。いいかえれば、死は肉体のなかで時間的にも、空間的にもあちこち散らばっている。死は分布している。肉体に限っても、死はそんなに簡単ではないのだ。臓器移植の問題などでいまは周知のことかもしれないが、これを最初に言い出したのはフーコーである。

 こんなことを心得ておけば、私たちは家族の死でも他人の死でもそれを看取りながら「いまはどういうふうに死につつあるのだ」ということを、悲しみと同時にはっきり見ることができる。死につつある順序を知ることで、死の構造や思想をうかがうことができる。なにより死にまつわる迷妄がどれだけ除かれるかはかりしれない、と吉本隆明フーコーの功績を評価している。

 (さて、ここから吉本隆明自身の「死」の話だ。工学、詩、宗教にくわしいこの人らしい筋の進め方で死のイメージが広がっていく。その語り口をほぼ原文のまま抜き書きしよう。)

 フーコーが示したように肉体的に限れば、死は時間的にも空間的にも身体の内部であちこちに分布するものだ。「ここからが死です」、と一挙にはいえないのが人間の死である。この考え方は肉体以外についてもあてはまる。無宗教の立場から言うと、死の向こう側には世界がないはずだが、どんどん死を追いつめて追いつめて、ぎりぎりのところを追いつめながら、なんだか知らないけれど死の向こう側へいっちゃうところまで追いつめて、死の境界、ここで死と対面しているんだというところ、私たちは必然的に死を一点のように考えるわけだが、その一点も消えちゃうというかたちで、死は一種の<分布>なんだというところまで死を追いつめていくことができる。

 このように死を追いつめていくと最終的に、死の境界、死はこれだというイメージはじつはあいまいなことがわかる。死についての考え方が死の向こう側へ空間的に分布していったかと思うと、また向こう側からこちら側に還ってきたりというようなかたちで、死を境界あるいは一点のようにイメージするのはまちがいだというところまで追いつめていくことができる。
要するに、死というのは一種の分布なのだ、思考力としての分布の問題なのだというところまで死を追いつめていくのが理想のような気がする。

 これまで述べてきたえらい思想家・哲学者というのは死を非常に凝縮させるところまできたが、死は<覚悟>の問題でもないし<偶然の事実性>でもない、それは一種の<分布>の問題、思考の<分布>というか、死についての考え方の時間的・空間的<分布>、あるいはその往き還りの道をつけて、死がひとつの点のようにイメージされる考え方を破っていくということが死をほんとうに知る、もしかすると死を超えられるかもしれない問題なんだ、というところに考え方の方向性をもっていくのが大事なのでないかと考える。

 つまり、死は一種の分布で、時間的にも空間的にも死の向こう側へ考え方がいって、またその考え方がこちらに還ってくるような、そういうことをやることによって死は点だ、線だ、境界だという考え方を取り払うところまでいくのが理想だとおもう。

 (しかし、吉本は周到に「こういう考え方はこういう次元で成り立つが、死にはほかにも社会的な問題、家族的な問題などさまざまな次元が重複している。それらはまた別の次元で考えねばならない。」と念を押している。ここで吉本が述べているのは、身体的な死に対比する精神的・観念的な死の追いつめ方ということになろうか。
 具体的、医学的、物理的に死の構造を詰めていくのはフーコーに重なる工学者としての一面、その実証的なデータを駆使しながら死のイメージを飛翔し、あの世とこの世を往復させているのが詩人としての一面、さらに吉本は「仏教には一度極楽へ往って、そこからまたこの世の人の世界に還ってきて、そこで慈悲をおこなうのがほんとうの慈悲なんだ」と親鸞のことば『往相還相』を用いて、あの世とこの世の往来する場所に死を浮かばせている。(つづく)

311 生老病呆死(48)死とは? サルトルの結論はじつは出発点

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311 生老病呆死(48)死とは? サルトルの結論はじつは出発点

 タイプC<死を自分の生き方に意味づけるのはナンセンス>サルトル

 無神論実存主義の主唱者で、戦後日本の思想界にも大きな影響を与えたサルトルは三十代に「死」についてとことん考え抜いた。その結果は「死は偶然の出来事にすぎない」というものだ。サルトルパスカルのパンセにある有名なたとえ話を持ち出す。

「獄舎に多数の死刑囚が鎖につながれ、そのうちの何人かが毎日他の人々の前で処刑される。、残った者は明日は自分の番かと互いに顔を見合せながら悲痛と絶望にくれている。これが人間の条件を示す図柄である」

一般には死の恐れはこうした状況からやってくると考えられている。サルトルもこの状況を認めつつも、全面的にそうとはいえない。死そのものの恐怖と、想像された死の恐怖とは別物だ。死を覚悟した死刑囚が実際には処刑されるまえにたまたま監獄にスペイン風邪が流行し、ポックリ死んでしまったーーー死というものはそういうものだという言い方をしている。
列車の例もあげている。シアトル駅を何時何分に出発するとパリ駅に何時間後に着くと時刻表に従って期待できる、あるいは希望、予想することができる。だが、偶然、途中で事故が起こり到着時間が大幅にずれることだってある。死もこの偶然の事故と同じようなものだ。死はそんな風にしか存在しない。だから論理的にいろいろ思考を働かせても、あるいは宗教のように来世とか極楽・天国がある、そんなことを救済のように考えることはいっさい意味がない。

 「死にさらされた存在である自分を意識することによって人は初めて自己本来の在り方を確立することができる」とするハイデッガーと対極の考え方だ。
ハイデッガーはひとりひとりの死を個別化し、死を「だれも私に代わって為すことのできないもの」とした。だが。サルトルはそれは死だけでない。愛する、感動する、などの行為もその機能や効果という面でみるなら同じことだ。他人だって、私に代わって彼女を愛し、家庭を営み、子どもを産ませることができるという。
また、ハイデッガーは「死の覚悟」をいうけれど、私の死は予期されない。だから予期されないこととして考慮しよう、というだけの話である。
「死の事実、死の予測が人生を貴重にする」というハイデッガーの思想をサルトルは批判した。「誕生を受け入れたように、死を受け入れるほかはない。そして人は死ぬまで生きているだけだ」と切って捨てる。

 吉本隆明サルトルがよく考え抜いたうえでこの結論にたどりついたことは認めつつも、「サルトルは結論としてそこに到達したのだが、これだったらすでに何千年も前から人類はそういうことはよく知っていた」と批判する。
 
むかしから人類史上の偉大な思想家たちが死とは何かについて一生懸命考えてきた、私たち一般大衆も死の恐れをどこかで救ってくれる人はいないかと思案したり、宗教を信仰したりしているーーその始まりは<死は偶然の事実>だというところから出発している。その偶然の意味や裏側をさぐろうとしてみんなこれまでやってきた。サルトルの結論はじつは出発点に逆戻りするだけの話。ちっとも死の問題の解決になっていない。そこからまた考えをスタートせねばならない。ハイデッガーも宗教も、いわばサルトルのこの結論からそれぞれの考えをすすめたのだ。

(ボクはサルトルの死の理屈を聞いても、ちっともためにならないし、なんの参考にもならない。死の怖さは減らないし、生きるうえでの腹の足しになるようなものは得られない。好事家のひとりよがりの趣味に付き合わされている心境になるだけだ。

 岩波の哲学・思想事典によると、死についてのこの考え方は、古代のエピクロス、近代のモンテニュー、現代のサルトルとつながる系譜らしい。エピクロスは『死はちっとも恐ろしくない。なぜなら私たちは生きているかぎり、そこには死はない。また死が出現したとき私たちは生きていないのだから死を経験することはない。死に出会うことはない。死は生とは関係がなく、なんら恐ろしいものでない』という有名な言葉を残した。モンテニューは『死は自然のどうでもいい出来事』ととらえた。

 ボクはモンテニューのこの言葉を最近まで知らなかった。モンテニューの死の言葉と言えば、『なにものにもまして死を念頭におき、死に馴れ親しもう』『いたるところで死を待ちうける』『あらかじめ死を思う』を鮮烈に印象付けられていて、心に刻んでいた。しかし、その後晩年になって理屈っぽい哲学的な思索を退けて自然にまかせる見方に変わっていったのだ。「あなたが死ぬことを知らなくてもよい。自然はその場で十分に死ぬことを教えてくれるだろう。そんなことであなたは気を病むにはおよばない。自然に任せておけばよい」となる。モンテニューのこの変容についてはのちに改めて触れたい。)(つづく)

310 生老病呆死(47)思想家たちの死の追いつめ方

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310 生老病呆死(47)思想家たちの死の追いつめ方

宗教では、死後とあの世が隣り合わせに存在する。死ぬと一足飛びに「あの世」へ行くという設定で、死ぬ怖さがなくなり、安心を得る仕組みになっている。宗教以外のやりかたでは、基本的に死の怖さはなくならない。なぜなら他人の死や死につつある様子は見ることができても、だれも自分自身の死を体験することができない。死の体験は自分と他人で分裂・矛盾しているのが特徴だ。だから「これが死なのだ」、と統一的な公式や見解をまとめることができない。
死は怖そうに見えるが、本当に怖いのか、怖くなさそうに見えるが、ほんとうに怖くないのか、そこのところはだれもわからない、なんともいえないというのが真実である。死のこの特性がこんなに科学が進んだ現代でも、もやもやと怖さのベールを取り除くことができないのだ。
とはいえ、死は怖い。宗教以外で、なんとか得体のしれない死の恐怖を乗り越える方法はないものか。世界のすぐれた思想家たちは「中途半端で漠然とした自分の体験や知識」で死の実体を自分なりに追究してきた。これらを吉本隆明は4項目に分類して説明している。

タイプA <諸体験を通じて自分なりに死をつかむ>
たとえば実際にしろ、疑似体験にしろ、重い病気になる、事故にあうなどして、もはや死は避けられない、という条件を自分に設定する。死に直面した以上、死について考え抜くほかはないと自分を追い詰める。そこからさらに一歩進めて、自分はどうすれば確信を持って死を捕まえ、確信を持って死ねるか、を考える。出来る限りのルートから死を見つめ、考え、最終的にそれを確信することにする。自分なりに納得できる死の在り方、死の規定を固めてしまうのだ。
この場合、前に述べたように本来自分と他人で分裂し、矛盾する死の体験はいわば1つに融合されることになる。
(ちょっとややこしいが、ボクは305回に述べた岸本英夫先生の『死は別れのとき』の考え方に重ねてみた。すると合点がいった。吉本隆明はほかのタイプにはそれぞれ代表的な思想家の名前を出しているのに、この項目だけは、たとえばひとりの思想家の死の追いつめ方は…、という表現をしている。このタイプは大同小異、一般的に多いということだろうか。
岸本先生のケースを簡単に振り返ってみよう。
悪質な癌に冒され10年間で20回の手術を受けながら死の恐怖に対抗するすべを求めた。第一段階は、あの世の存在をめぐって自分が分裂することの恐怖である。宗教は来世はあるというが、自分の知性は否定する。だからといってないとも言い切れない。その分裂葛藤がなにより苦しい。だから、思い切ってないほうに賭けることにした。そしてがむしゃらに目前の仕事に打ち込むことで死の恐怖を忘れようとした。
だが、第二段階に「無」の恐怖が待っていた。死後の世界はない、死ねば「無」と割り切ったのはよいが、無とは何か。無をイメージする、無の概念を考える…。それはとてつもなくしんどい、むなしい作業だった。おもえば、私たちは日常生活の中で無を体験したことはない、具体的に無についてなにも知らないのだった。その無と、死を結び付けるからよけい死の恐怖が増幅するのだと気づいた。だから「死」から「無」を切り離した。無という未知の得体のしれないものを取り除くことで、死の恐怖を減量することにした。
第三段階は、自分が日常経験していることだけで、死を考えることにした。死もまた日常の体験とみなす。私たちがふだん出会っている出来事の一環として死に対応するのだ。それなら、死もまた私たちが日常に経験している普通の別れのとき、とかわらないではないか。慣れ親しんだ土地から引っ越していくこともあろう、親しい友との別れもある、サラリーマンなら転勤を考えればよい。この世は死別に限らず、さまざまな別れがある。むろん悲しいこともあろうが、時間がたつとそれは薄らぎ、人々の記憶の中に生きる。死もまたそういった日常的な別れのとき、なのでないか。だから仕事もがむしゃらにするというのでなく、自分とともに人々の幸福を考えながら、限りある人生の日々を味わいながら仕事に励む、という考え方に最終的に納得したのだった。)

タイプB<死の最前線に自分を置いて腹をくくる>ハイデッガー
自分を死の直前に置くという設定はタイプAと同じだが、それから先の発想が異なる。
Aはいろいろな体験、疑似体験を通して自分なりに死の概念、規定を具体的に固めていく。
一方のBは「自分はいつでも死を控えた存在である」という覚悟を持つことに重点がおかれる。つねに死の可能性が見えているという心の状態で生きていく。それができたら、死についての考え方を極限までよく知った、ということになる―――これはドイツの哲学者ハイデッガーの考え方だとしたうえで、「自己意識を明敏にしたまま死について考えるということになると、このあたりが限度だとおもう。これ以上追い詰めると、あとは宗教の領域にはいってしまう」と吉本は述べている。
(宗教の領域に入る…のくだりについて。
死を考える際、哲学、思想的な立場ではあくまで人間の論理や既知の要素で構成するのに対し、宗教は非論理的な神仏とか、人間には未知で絶対的な存在を導入することを指しているのだろう。)==(つづく)

309 生老病呆死(46)<死>の怖さを共有・公式化できないわけ

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 309
309 生老病呆死(46)<死>の怖さを共有・公式化できないわけ

さきほど亡くなった吉本隆明は日本の戦後最大の思想家といわれるが、死についても多くの考察を残している。『新・死の位相学』に収められた論文「<死>の構造」に彼の考え方がわかりやすくまとめられている。ボクが勝手に小テーマをつけて要約してみよう。

『無信仰者も死を知ることで死の恐れが薄らぐ理由』
むかしから、人間はどうしたら死の恐怖を超えられるか考えてきた。その代表的なものが宗教で「死んだ後の来世はもっと幸福で楽しいんだというイメージを信じよう」という試み。それはいまも続いている。宗教以外のやりかたでいくら理念的に考えても死への恐れは基本的になくならないとおもう。偽の安心感でもいい、とにかく死への安心感がほしいというのであれば、いまの宗教を信じることで解決する。ある意味でそれは幸福だ。しかし、私のように宗教を信じられない者はそんな安心感とは縁がない。
では無信仰の者には死への恐れをなくす、あるいは減らす方法はないのだろうか。
ひとつ言えるのは無信仰の立場からでも、死についてよく考えれば少しずつ恐れが薄らいでくるという作用がある。死の恐れには一種の迷信とか迷妄がつきまとっている。それが恐れを増幅させている。死を限りなく知ることで、そうした迷信からくる恐れはなくなっていくのでなかろうか。それが宗教とは違ったかたちで死を知ることの効用といっていい。
むろん、死について知り迷信その他を払いのけても、いざ死にかけたときには大騒ぎするかもしれない。私だってちょっと熱が出るともうくたばったみたいになって子どもたちにおおげさだといわれる。人間にとって死とはそういう存在のしかたをするものだとおもう。そしてまたそういう人間と死との関係を知ることも死の恐れを和らげる手助けになる。私は宗教による幸福な来世は信じないが、死を知ることが限りなく死の恐れを少なくしていくだろうということは信じる。実際、すぐれた世界中の思想家、哲学者は若いころ、30歳代くらいからとことん死について考え抜いている。考えたからといって決定的に解決するわけではないが、少しずつ死から迷妄なところが除かれていく。そしていくら考えてもやっぱりここの点はわからない、ということを知る。それが宗教とは違うやりかたで、死への恐れを減らしていくのだとおもう。

<誕生>と<死>の怖さは同じ

 例えば、母親のお腹に胎児でいる自分を想像してみよう。4,5カ月から6カ月で少し意識が出てきて、羊水のなかだから言葉はしゃべれないが、嫌なときは嫌という反応をする。10カ月ほどで胎外に出る。栄養を補給していたヘソの緒が切られ、自力でおっぱいに吸いつく、外界も見えるようになる。環境が一変し、感覚や意識の働き方の範囲がとても広くなる。胎児の自分としてはすごい世界に急に出ていったことになる。これは生から死の世界への推移と同じくらい強烈な変化で、相当に恐いことにちがいない。赤ちゃんが、ギャーッ、と泣いて生まれてくるのはすごく怖い体験をしているからだろう。いま私たちが死ぬのを怖いとおもうのと同じくらいの怖さだとおもう。人間がほかの世界へ行ったように怖いことというのは、たぶん生まれるときと死ぬときの二回だろう。宗教は死は胎児が胎内からこの世に出てきたのと同じで、死後はもうひとつの世界があるというふうに考えている。私はそうはおもわないが、<死>の怖さと<誕生>の怖さというのは構造は同じだとおもう。

本人の意識と外見が食い違うのが<死>の特徴

ただ、生まれたとき胎内のことはもう覚えていないが、胎外へ出てからの生活はおぼろげでも覚えている。しかし、死についてはまったくわからない。自分の死は記憶もないし、体験もできない。なのになぜ怖いと思うのだろうか。それは自分の家族や他人が衰え、死んで行く様子をみて疑似体験するからだ。自分の死は知ることはできないが、他人の死に方はいろいろ見たり、体験できる。これが死のいちばん根本にある構造だ。
宗教、哲学、思想をふくめてすべての死についての考え方はこの構造によりかかっている。あらゆる死の考え方はここから始まってまたここに還ってくる。その繰り返しなのだということを頭に入れておこう。
ところで自分の死は体験できないが、病気や事故で、死にそうになるという体験は自分でもできる。この<死につつある体験>はそれぞれ固有なものだ。たとえば傍で看護している人にはとても苦しそうに見えても本人はそうでもなかったり、逆の場合もある。本人は死ぬかと思って怖くてしかたがないのに傍の人にはそれほど怖さを感じていないように見える場合もあり得る。つまり<死につつある体験>の特徴は本人の意識と、はたから見ている外見とは大きなギャップがある。

自他の体験を統一しようと多くの思想家が死を追い詰めてきた…

このように、いずれにせよ「死」の体験は自分と他人の間に大きな開きがある、二律背反しているのが大きな特徴だ。これをなんとか統一できないか、融合できないか、というのが死をめぐる思想の根本だ。自分の認識・体験と他人の認識・体験がばらばらに分裂していては「死の思想」がまとまらない。死とはこういうものだ、と確信をもって断言できないところがある。自分の中途半端な、漠然とした体験でもって、「死とはこういうものだ」、と多くのすぐれた思想家が死を追い詰めてきたーー。

このいろいろな追い詰め方を吉本隆明は4タイプに分類して説明している。(つづく)

308 生老病呆死(45)人間はなぜ寂しいのか

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 308
308 生老病呆死(45)人間はなぜ寂しいのか

帯津良一さんの死後論『虚空への旅人』説は威勢がいい。
死ぬときこそエネルギーが最高潮に達し、燃料も満タンになる。だから年を重ねていくほど身体の衰えとは逆に生命のレベルが高まるのだという。高齢者のボクらにとってはありがたい説だ。

150億年彼方に死後の世界はある。だからたとえば3年前、奥さんが急死したとき、遺体に対面すると取り乱すのでないか、と危惧したが、いざその場になると、「またすぐに向こうで会えるから」と奥さんに語りかけていた。心底そう思って、寂しいとか悲しいという気持ちは不思議になかったという。
ただ、日ごろ自分が仕事に追われ、この世でたいしていい目を見させてあげなかったなあなどとかわいそうに思った。それが不憫で墓をつくることにした。ただしその墓のあるお寺は近くに飲み屋の多い場所を選んだ。墓参りのあとはちょっと一杯やれるようにとの計算――などと陽気で前向きだ。もっとも、150億年の彼方へ旅立った奥さんに、すぐまた会えるのだろうか、もう少し時間がかかるのでないか、という疑問は残るが、ともあれ、ボクも親しい人の死に遭遇した時、こんな風になれたら、と願う。

万事、陽気な帯津節のなかでひとつだけ物悲しいくだりがある。
患者さんをみても、蕎麦屋でひとり飲んでいる人をみても(ご本人も蕎麦屋でひとり酒を飲む)みんなさみしそうだ。人間はどちらかというと明るく前向きにできていない。その理由はーー例の「虚空の旅」のせいである。人間はビッグバン以来、片道150億年の長い旅を一人でやってきた。連れはいない。みんな一人旅だ。その寂しさ、哀しさを遺伝子のどこかに遠い記憶として抱えているというのである。患者さんにもそのように言っているそうだ。多分、帯津さんは自分自身にもそう言い聞かせているのでないかしら。この話もボクは好きだ。

こんな帯津先生と岸本先生の死の見方をまぜあわせて、ボクはなんとなく気が楽になっている。もっとも、岸本先生には青臭いことは承知であと2,3、言いたい。
岸本先生の霊が休息する予定の「永遠」は、無限・絶対・超越などと同様に人知をこえたものだ。これはわかりきった話。また、宇宙や、いや、われわれの人体だって、その仕組みは科学が進めば進むほどその精妙なこと、その不可思議なことはますます増えている。わからないことのほうが大きくなっていく。これは生物学、医学、宇宙論量子論などの最新の成果が示している。とかくこの世はわからないことだらけなのだ。
先生はご自身の「強靭な知性」を自負され、知性からはみ出たところは切り捨てているが、知性でわからないことのほうが大きく多いことが次々明らかになっている。そのことをどう理解されていたのであろうか。

 心優しい先生は「自分だけの幸福というエゴでなく、ほかの人の幸福も大事だと思えば、幸福に生きるかどうかが人間の終局的な問題」であるとし、
「富、地位、名誉など社会的地位、個人の容貌、知恵、肉体的健康など外側の要素も死の前に立たせてみると、色あせて本当の幸福とはならない」
――本当の幸福とは「自分だけでなく、すべての人の幸福を含む仕事に一筋に打ち込む、その中にうまれる生き甲斐こそが幸福だ」という。
 一例として乗客も乗組員もみんなを避難させた後、沈んでいく船と運命をともにする船長の姿、あるいは金儲けだけのためでなく、履く人の幸福を心に描きながら一生懸命に靴をつくる職人をあげている。

これらは本当によくわかるし、素直に心に伝わってくる。だれにもわかるようにとやさしく表現されたのであろう。
しかし、たとえば、「われわれはどこからきて、どこへいくのか、そして生きる意味とは?」
この哲学の永遠のテーマについて、死を前にした宗教学者がどう考えていたのか、知りたかったが、触れられていない。先生は与えられてしまった生を区切って、そこだけの過ごし方を説き、与えられた意味や死後は頬かむりしていらっしゃる。
普通の人間はもっと煩悩雑念妄想に苛まれているのでないだろうか。こんなにすっきり生の前と後を切り離せるものだろうか。先生はご自分を「私は宗教を外側に立って研究することを専門にしている」と紹介しておられる。しかし、これは特定の信者でなくても、万人の関心事のはずだ。
いや、案外、先生の柔らかな温かい心の底に、「もともと生きるなんて、無意味なことだったのだよ」、というクールな諦観と虚無がひそんでいたのかもしれない、ふとそんな気もする。
もうひとつ、『祈り』についてである。
このたびの東日本大震災でも、あちこちで多くの祈りがささげられた。祈ったからといって死者がよみがえるわけでないし、放射能が去ってくれるわけでもない。しかし、人々は祈る。祈らずにはおられない。日本人だけでなく、世界各地で人々が祈りをささげた。祈りはどんな意味があるのか、どんな効果が、どんな機能が、それは先生の「強靭な知性」とどうマッチするのか、問うてみたい。

ともあれ、死への心構えを思案するボクにとって、死を前にした先生の述懐はじつに具体的で、含蓄に富む。読み返す度に新しい示唆を得る。