20警官出動ー餌やりはあわれな子猫をふやす

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 20

20 警官出動--餌やりはあわれな子猫をふやす

 古家コースにさしかかると、すぐに人鳴き猫が走ってきた。つづいて近くの、1階がガレージになっている家の白い子猫が恐る恐るといった感じでついてくる。「飼い猫はやっぱりおっとりしているわね。あなたもおなかすいてるの?」
 子猫は虚弱児のような感じでいつもガレージの中から外をみていたが、最近はときどき私たちについてくるようになった。妻がしゃがんで、電柱の下や空き家の溝に餌を置いていると、ヘッドライトが射し込んだ。
 乗用車が近付いた。あわてて去っていく妻の背後に男は車を停め、ドアをあけて「こらぁ、なにをしてやがる」と怒鳴った。「餌をやってるのはお前だな!」私は少し離れて立っていたが、乱暴な口のききかたにカチンときた。
 男に近付いて「なんや、あんた、どこの人や」とこちらもドスをきかす言い方をした。逆に男はびっくりしたみたいで、「あそこのガレージの家や」と普通の声でいったあと、「ネコに餌なんかやるな!」とまた大声でいった。
 「そんなにネコが嫌いなら保健所にいって処分したらええやないか」
 「なにをいう、警察にいうたる」。言葉遣いの割には小心そうな中年男だった。
「言ったらいいじゃないか。110番せえよ。とにかく、あんたの家にいこう」
 私は数メートル先のガレージに向った。いつも外から眺めている見慣れたガレージの中へ私のほうが先にはいった。男はガレージ隅の階段から2階に向って「A子、A子、餌やってるやつをつかまえたからきてくれ!」と叫んだ。それから外へでて、携帯電話で110番通報しているようだ。さて、これからどうなるのか。妻も心配して引き返してきた。  

 そのときの心境はーーとりとめもない光景が浮かんだ。もう時効だが中年期を過ぎようとする頃、若い女性と山陰地方の港町をあてもなく歩いたことがある。半ば冗談で「このまま駆け落ちしようか」といったら、女は「私はいいわよ」とまともにこちらを見据えた。あのときの不安と捨て鉢な覚悟みたいなもの。??いや、これはちょっとおおげさだけど。

 少し間をおいて2階から奥さんが降りてきた。男より年上に見え、落ち着いた物腰と整った容姿をしている。
 「あなた方はいいことをなさっているつもりでしょうが」と前置して、近所のノラ猫事情をゆっくり話しだした。要約すると次のようになる。
 
 お向かいの洋館の一家が3年前、子猫数匹を放置して引っ越した。子猫たちは家を出てそれぞれ自立していったが、一匹だけ取り残され、鳴き続けている病弱な赤ちゃん猫がいた。かわいそうなので、獣医と相談してこのネコ一代だけは飼おうと決めた。治療し、二万円払って不妊手術もした。ところがこの冬はーーー。
 ノラ猫がはいってきて、うちのシロの餌を横取りする。襲われるのかシロの毛が散らばっていた。シロはおびえて眠るときも自分の寝床にはいらない。猫のこの臭い、たまらないでしょ。ガレージは裏へ抜けているので、ノラは自由自在に出入りする。近くの溝や電柱の下にあなたらの餌が残っているので、ほかのノラがこないように箒で掃いて捨てている。ご近所からは私が猫好きで餌をやっているようにいわれて…。
 獣医がいってましたよ。餌をもらわないノラのメス猫は子供を1匹しか産まないが、餌をもらっているとたくさん産むって。かわいそうな子猫をつくらないためにも餌はやらないほうがいい。「あなた方はいいことをしているつもりでしょうが…」
 
 警官がスクーターでやって来た。私たちが静かに話しているので拍子抜けしたようだ。「ノラ猫のことでもめていると110番があったのですが」
「いや、もういいんです。ご苦労様でした」と私が言った。男が外から入ってきて、「こいつが悪いんや」と私を指した。
 私と妻は奥さんに、どうもご迷惑をおかけしました、と頭を下げてガレージを出た。「いいことをしているつもりでしょうが」という前置フレーズの繰り返しはよけいなお世話だったが、奥さんの話は説得力があった。
 それにしても、なぜあの家はガレージのドアを開けっ放しにしているのだろう? 夕方まで家人は不在で、その間ずっと飼い猫もノラも一階ガレージは出入り自由なのだ。「ひょっとすると、あの家も古家と同じようにノラの隠れたスポンサーでないのだろうか。餌も適当にやっていたりして。私たちを怒鳴ったのはむしろ近所へのポーズ。あの奥さんもまさしくサムシングロングの渦中で……」。妻とそんな推測を話しながら帰った。