25   3匹の赤ちゃん誕生

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 25

25 3匹の赤ちゃん誕生

Yさん、Hさんの話を聴いているうちに少し気が楽になった。そうだ、なるようになるのだ。くよくよ気に病むことはない。もともと人類を含めて生物の歴史は誕生と飢えと殺戮と悲惨を繰り返してきたのだ。日本のノラは戦火にみまわれないだけましだ。それに自然環境だって温和なほうなのだ。
神戸のポートアイランド周辺にはノラ猫、捨て猫が大集合している場所があるというではないか。わが家の近くにだってあるぞ。
いつか、隣町の山すそにある人家から離れた小さな神社を通りかかったとき、中年の冴えない男性の周りに、縮こまっている老猫、目やにをつけてメーメーとヤギのように鳴いている赤ちゃん猫たちがたむろしていた。男性は勤務先から帰ったばかりなのかくたびれた背広姿でいくつかの茶碗で餌を与えているようだった。翌日同じ頃にいくと、やっぱり男性が餌やりをしていた。私はつい、「ご苦労さんですね、ネコたちはほんとうに喜んでいる!」と話しかけた。男性は不機嫌に「ご近所に迷惑をかけないようにと思っているんですが…」とあいまいにいった。私に話しかけられるのを嫌がっているようだ。

その気持ちはわかる。餌やりをだれにも知られたくないのだ。蟻の穴から堤も崩れるというではないか。ネコ嫌いの人たちにみつかってはたいへんなのだ。男性は餌をやり終わるとさっさと神社を降り始めた。神社の下の細い道に小さな古ぼけた家が並んでいる。そのひとつが男性の家だった。ボクはのこのことついていった。玄関前の空地がガレージになっていて、軽自動車がとまっていた。ネコが1匹フロントにしゃがんでいる。
 「こいつ、猫同士でけんかしましてね、腰を痛めて、やっとこのごろ歩けるようになりましてん」
 男性ははじめて自分から話した。怒ったような角張った口調だったが、顔は穏やかだった。一週間後、ボクはその家の近くに用事があるついでにキャットフード1袋をもって訪ねた。男性は留守で、おかあさんが「まあまあ、うちは残飯しかやっていないのですよ」と恐縮しながら受け取ってくれた。

 ボクは2日ほど中断していた餌やりを再開した。トラブルのあった事件家の付近は避け、小学校の裏門や、石垣の高台にある畑を拠点にした。すぐにノラたちが集まってきた。人鳴き猫も戻ってきたが、ある日、こなくなった。もともと餌に執着のないネコだった。「やはり飼い猫だったのかしら」と妻がちょっとさみしそうだった。

 数ヵ月たった小雨のぱらつく午後、国道沿いにあるローソンに寄ろうとしたら、隣接している工事現場から鳴きながら人鳴き猫が走ってきた。溝に頭をこすりつけている。懐かしかった。痩せて小さくなり、乱れた毛が雨に濡れている。私はローソンで竹輪を買ってきてちぎりながら投げてやった。帰宅して妻に話すと、「ひょっとして出産したのじゃない?」といった。まさか、とボクはいった。人鳴き猫はいつもスリムだったじゃないか。

 だが、妻の勘が当たった。2週間ほどしていつものように小学校の裏門に餌やりにいくと、ノラたちに混じって人鳴き猫が走ってきた。子猫を1匹つれている。やっぱり!! 
 翌日はまるで夢を見ているような光景だった。小学校のはるか手前にさしかかると、下り坂になった川沿いの道を人鳴き猫を先頭に子猫たちがまっしぐらに駆けおりてくる。淡い電灯に照らされた夜の空間を浮き沈みしながら押し寄せてくる光景はちょっと壮観だ。何匹いるのか数えられない。人鳴き猫の家系だけに鳴き声がけたたましい。人にみつかるとヤバイ。ボクたちは餌を両手に迎え撃つように小走りに向った。
 ネコたちが足元にまつわりついてくる、つまずきそうになりながら小学校裏門へ。はじめはもっと多いようにみえたが、落ち着いて数えると、子猫は3匹だった。親子4匹分の餌を門の中に置く。母子が群がったが、1匹の子猫がはじき出された。その子猫は様子をうかがいながら再び近付こうとするが、仲間の子猫の唸り声でまたも逃げ出した。どうも虚弱児らしい。
 少し離れた場所に別に餌をやった。虚弱児と母親の人鳴き猫の2匹がそちらに移る。おどおどした虚弱児も母親のそばだと安心なのだろう、ゆっくり食べ始めた。ボクは重大任務を終えたようにほっとしながら、同時に明日からのことを思うといっぺんに重苦しくなった。
「これはお前たちのせいで生まれた命たちだ。どうするつもりだ。責任をとれよ!」。
 まだ経験はないが、外の女に生ませた子供の認知を迫られるときもこんな心境になるのだろうか。

 事件家の奥さんの言うとおりだった。三つの新しい命をボクはこの世に誕生させてしまった。その厄介な気持ちは重くのしかかったが、一方で、子猫たちとのあわただしい、賑やかなやりとりに心癒される日々が続いた。