26  不妊手術

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 26

26 不妊手術

広い野外駐車場を舞台に三毛は順調に育っていった。道に面した駐車場の端っこのゴミ捨て場の陰にひそみ、ボクたちが近付くのを確認すると、さっと中央の人目につきにくい車の下にもぐって待っている。律儀で賢明な三毛らしかった。ボクたちも餌が外からみえにくいようにタイヤの陰にそっとおいてやるのだった。こういう日々が永く続くといいなあと思っていたが、ある日、妻が「三毛が妊娠しているのでは」と心配しだした。安心して、たくさんの餌を食っているからだと思っていたのだが、たしかに三毛は大きくなり、肥ってきた。
人鳴き猫の三匹の子猫をかかえて、そのうえに三毛に量産されては!
「肥っているだけだろう。三毛は男嫌いに違いない。交尾なんかしていないよ」
ボクは自分に言い聞かすようにつぶやいた。われながらばかばかしいことを言っているなとおもいながら、しだいに気分が落込んできた。ほんとうに妊娠ならどうしよう。といっていまさら三毛に餌をストップなんかできない。

思い余って知り合いのエミさんに相談した。ふつうの主婦だったが、10数年前から動物保護の活動に取り組み、いまではグループのリーダーとして市議や行政機関とも積極的に交渉をもっている。
「一日も早く不妊手術をすることです。そうしないとみんなが迷惑します。手術をしているとわかれば、近所の人にも言い訳がたつでしょ。きっと大目にみてくれますよ。」
餌やり場の見取り図をおくれば、ノラ猫の捕獲から不妊手術までいっさいを取り仕切ってくれるという。ありがたかった。対象となるノラ猫は、三毛、人鳴き猫、三匹の子供、チビ、尻尾、の7匹だ。ほかにデビル、脱兎もいるが、これは常連ではない。だから、責任をとらなくていいだろう。
手術料金はふつうなら、ネコの雄は1万5千円(良心的な獣医なら1万円にまけてくれる。)、メスは2万円(同上、1万5千円)だそうだ。ちなみに、犬の場合は4万5千円と新聞に載っていた。

書き忘れていたが、人鳴き猫の子供3匹のうち、虚弱児は母親にべったりだが、元気な2匹はほどなく小学校の餌場から姿を消した。心配していたら、直線距離にして200メートルほど離れた国道沿いのローソンにいるのを発見した。店の前の広い駐車場で車やオートバイの間を出没し、お客さんから竹輪などをもらって人気者になっている。2匹は昼間から出没して、たいてい午後七時ごろにはいなくなる。餌をもらって満腹状態になってねぐらにもどっていくのだろう。
こんなハッピーなことがいつまで続くのかと案じながら、ボクたちはなるべくみつからないようにしていた。元の餌主を見つけると、こちらに依存してくる。お客さんたちにかわいがってもらえよ、と祈るような気持ちだった。そのうち、「えさをやらないでください。ほかのお客さんのご迷惑になります」という張り紙がでた。駐車場にはネコの居心地を悪くするためだろう、しょっちゅう、水がばらまかれた。客数人が2匹を取り囲み竹輪などを与えているような光景はなくなり、駐車場の端っこのほうにだれのしわざか、魚の内臓が大量に放り投げられているようなことがあった。これではたまらんだろうと店側に同情した。

エミさんに送った見取り図には、ローソン、小学校、高台の畑、野外駐車場の4箇所を記入した。当日は2台のライトバンに捕獲籠や餌を満載して、4人がきてくれた。いちばん手こずるのはおそらく三毛だと思った。賢くて気が強い。だが、私の携帯電話にまっさきに捕獲の連絡がはいったのは三毛だった。籠を設置したのはボクだった。三毛はどこかでそれをみていて、ほかならぬボクゆえに安心しきっていたのであるまいかと都合のいいように解釈した。
 一時間ほどのうちに三毛、チビ、正体不明猫、と次々捕獲された。しかし、ローソンの2匹は籠に近付いても警戒して入ろうとせず、虚弱児は溝の中から鳴くばかりで路上に姿を現さない。人鳴き猫は、籠の周辺をうろうろしていたが、よく馴れていた妻が素手でつかまえた。正体不明猫ははじめ、尻尾かとおもったが、あとで脱兎とわかった。尻尾は三匹の子猫たちの父親と思われるが、数日前から姿を消したままだ。
 ノラたちはわが家で一泊し、翌日不妊手術を受けた。三毛、人鳴き猫、チビの3匹がメスだった。出産ラッシュになるところだったな、と妻と安堵した。三毛は妊娠していなかった。しかし、獣医をいちばんてこずらしたと聞き、やっぱり三毛らしい、となんだか嬉しい気がした。これらのなかから1匹をわが家で引き取ることにした。2匹いた飼い猫のうち、1匹が死んで余力ができたからだ。

 三毛は付き合いが最も古くて愛着もある、
 人鳴き猫は人懐っこくて猫盗りの餌食なりやすいと東京のおばさんから警告を受けている。
 思案の末、人鳴き猫を選んだ。三毛には悪かったが、不妊手術をしているのだから、これからは大手を振って餌をあげるからね、と詫びて放した。