269 死の哲学(10)哲学がはじめてとりあげた「死者論」

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 269
269 死の哲学(10)哲学がはじめてとりあげた「死者論」

 キリスト教の〈復活〉はキリストという特別な神の子に起こったできごとだった。264回の十字架上のイエスと神との問答も、神とイエスというスーパースター同士のいわば一騎打ちだった。
しかし、田辺元が「死の哲学」で示した禅の公案による〈復活〉(亡き師の教え・慈悲)はどこにでもいる師弟の間で起こったできごとだ。神話でも奇跡でもない。市井の一般の人々の間のできごとだ。むろん死後の世界の現象でもない。死者が生者である私の内に復活するのである。こうして過去は現在に反復される。ではどうしてこのようなことが可能になるのか。

田辺はわかりにくい文章でこう書いている。
「自己のかくあらんことを生前にねがっていた死者の、生者にとってその死後まで不断に新たにせられる愛が、死者に対する生者の愛を媒介にして絶えずはたらき、愛の交互的なる実存協同として、死復活を行ぜしめるのである」

死者が生者である私の内に復活して実存協同が実現するには二つの条件が必要だといっているのだ。
1、 死者は生者をいまも愛し続けていること。生前も、死んだ現在も。
2、 一方、生者の方もいまなお死者を愛し続けていること。
 両者の愛の交互作用が死者と生者の「実存協同」を可能とするというのである。

 「死の哲学」のさわり、に接したとき、死んだ親が自分の内によみがえってくることも可能か、そんないい方法や考え方があるのか、とちょっとマジックのような錯覚にとらわれていた。しかし、「死の哲学」はマジックではない。地道な常識的な考え方の積み重ねだ。
 末木文美士東大名誉教授はこう説明する。「生者の側のはたらきは、死者の世界に飛び込む往相的な方向と、そこからよみがえって実存協同に生きる還相的な方向の両面をもつ。」

 「往相・還相」の説明。仏教辞典では「仏教者が自分の功徳を自分以外の生きとし生けるすべての存在にあまねく施し、ともに浄土(煩悩やけがれのない仏の国土)へいく(死ぬ)と願うのが往相。逆に浄土から罪に汚れた現実世界に帰って来て、生きとし生けるすべての存在を導き救って仏教の真理に向かわせるのが還相」となっている。

 田辺元は、大死一番(自我を捨てて仏道に身をささげるという仏教語。転じて死んだ気になって精いっぱいやること)という言葉を用いて、「生者はその覚悟で死に突き進み、再び実存協同のために向上復帰する」と表現している。
 末木先生は、これまでの宗教的な「死んだつもりになって」というレベルよりもっと深く具体的に死者との交わりの世界に飛び込む。死の復活は死者その人に直接起こる客観的事件ではなく、生者もまた死んでよみがえるという体験をもつ。その両者の緊張関係が必要だという。
 こうして得られた実存協同の愛は、次から次へ未来へも繋がって継承されていくのだ。

 田辺はキリスト教の「聖徒の交わり」を例にあげる。教会のいまの信徒も、亡くなった信者も、全メンバーがひとつの共同体として交わり続けていることを指す。
われわれはだれもが人と出会い、死別を経験する。そういう意味でだれもが死者との実存協同が可能なのだ。キリストと神のようなスーパースターでなくても市井の人々が次々と粒子のように実存協同の助け合いと愛の輪を広げていくことができる。
 しかし、田辺は実存協同を成り立たせる愛はキリスト教の愛よりも仏教の菩薩道をより高く評価した。キリスト教は自らの生の充実を目標にする、一方の菩薩道は自分より他者・大衆のために尽くそうとするからだという。

 難しいおとぎ話のような気もしてくるが、末木先生は田辺元の死の哲学をつぎのように総括する。
現代は核兵器、内乱内戦、環境破壊、などまさしく「死の時代」だ。田辺は、それにふさわしい哲学として従来の〈生の哲学〉に代わる〈死の哲学〉を提唱した。それまで「死」といえば、自らの死だけを問題にしてきた。そのなかで田辺ははじめて「死んだ他者」へと問題をシフトさせ、死者との実存協同という決定的に新しい視点を提出した。革命的な新しさゆえに半世紀にわたってほとんどその意義を無視されてきたが、いまようやく真の意義が見出され、現代の問題として受け止めることが可能となってきたと。

「死の哲学」はまだほんの見取り図で、まだこれからが課題のようだ。田辺自身が「なお未熟であり、簡単にそれを要約することも容易でない。他日を期すほかはないのである」と述べている。
末木先生も「死の哲学」の先駆性を認めながらも、空想的な理想論である一面を指摘し、さまざまな問題点をあげている。しかし、「死者論」をはじめて哲学の立場において提起したことは大きく、今後改めて継承、議論されなければならない。「田辺元はまさに死して、よみがえろうとしている」と結んでいる。