253 宗教を科学する(39) 凱旋将軍で150億年かなたの故郷へ

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 253
253 宗教を科学する(39) 凱旋将軍で150億年かなたの故郷へ

川口さんの終焉の地、松山ベテル病院での日記を続けよう。

「朝、食事時にスプーンを何度も落とす。もともと握力がゼロに等しいので当然だが、いままではまがりなりにも指ではさめていた。せばまっていく機能。それだけ天国が近付いている。その方の準備も進めていかなければと思う。よろこびでもあり、寂しさでもある。よろこび勇んで凱旋できる日はいつか。これからの日々の生活が、試練が、私に問われる本当の闘いである。」

死出の旅立ちを〈凱旋〉とは川口さんもなかなかおしゃれだ。中野好夫の訳であったか、たしか『人間最後の言葉』という本の中で、外国の将軍が似たような表現をしていた。だいぶ前に読んだのでうろ覚えだが、将軍は死に際して「この世では思う存分がんばり、連戦連勝であった。この功績をバックに、わしはあの世へ凱旋将軍として乗り込むぞ。沿道ではさぞ群衆が歓呼の声をあげて迎えてくれよう」と上機嫌でこの世を出発したという。凱旋将軍という言葉がとても印象的で、その日がきたら、ボクもこのように旅立とうといまも心に期している。

もうひとつ、似たような話。これは最近、病院長帯津良一さんの著書『あるがままに生き死を見つめる7つの教え』で読んだ。そのくだりを要約しよう。

「死後の世界はどうなっているのだろうか。この人類始まって以来の難問、悩みにだれも答えられない。死後の世界は感じるしかない。自分なりに確信する以外にない。私はあると思っている。死というのはこっちから向こうの世界へ行くだけと思っている。大きな期待が八分、ただ行ったことがないので多少の不安が二分というところ。
これは宇宙飛行士が出発する前の気持ちに似ている。未知の世界への大いなる楽しみ、でも、過去に2,3度事故が起きていると思えば不安もある。家族や親しい人との別れも辛いだろう。でも、私たちはこの地球上で旅立つ日に備えて宇宙飛行士として鍛えられているようなもの。打ち上げの準備をしている、それが生きていることだと思っている。私たちの日々は生命のエネルギーを高めるための修行だから苦労があって当たり前。そうして頑張ってきて、いよいよ死を迎えるときがきたら、〈宇宙飛行船が出発するんだ!〉という気になればいい。」

さらに帯津さんは楽しい言葉を連ねている。
「若い人が亡くなっていくとき、気の毒に思うけど、打ち上げの訓練も燃料もすべて準備OK。一足先にふるさとへ帰っていったとも考えられる。こちらから見ると、長生きしている人を羨ましがるが、あちらからみると、『お気の毒にまだ旅立てないでいる。何をぐずぐずしているのだろう』ということに…。生きているうちに相当な覚悟をしていろいろなものを身につけて、勢いよく飛び立とうと思っていたほうがいい。」

●なるほどと感心した。ボクは臆病なので、死ぬとわかったときはじたばたするだろう。そのとき、心を落ち着かせ、死ぬのは怖くないんだよ、と自分を言い聞かせるためのいくつかの情景やキーワードを貯めることにしている。「凱旋将軍」も、「宇宙飛行士」も、ボクのそんなコレクションに入っている。この世でいろいろなものを身につけ、と帯津さんがいっていることのなかに、あるいは〈苦悩で太る〉ことも含まれているのかもしれませんね。

ついでに帯津さんは「死の瞬間」についてこんなことを書いている。
「知り合いの整体術指導者がスリランカの大津波にあい、危うく一命を取りとめた。彼は3回、大波に底へ持っていかれて意識を失いそうになる。そのとき、じつに甘美な気持ちになり、これで死ねる、という気持ちになる。そしてまた浮かびあがると、こうしちゃいられないともがく。また引き込まれて甘美な気持ちに。これを三回繰り返したという。この体験談を聞いて死の瞬間は甘美な感覚があるのかなという気になっている。私も交通事故とか飛行機事故に巻き込まれて死の瞬間がきたら、ふるさとの虚空へ戻る私の燃料が満タンになったんだ、という気になれる」

●「ふるさとの虚空」という表現について説明しておく。私たちはビッグバン以来の生命をずっと引き継いでいる、その往路を150億年をかけてひとりでこの地球に降り立った。それが出生だ。今度は復路150億年かけてひとりでふるさとである虚空へ帰っていく。それが死だ。私たちのふるさとは150億年向こうの虚空なのだ、と帯津さんはいうのである。人間はしょせん虚空の旅人、それも一人旅ーーだから人間はみんな哀しさ、淋しさを遺伝子のどこかに遠い記憶として抱いている。だから、「哀しいのは当たり前、と割り切って、その哀しみの大地にしっかり希望や生きがいの大木を育てよう」、と帯津さんは日ごろ、患者さんを励ましておられるという。いい話だなあ。(つづく)