252 宗教を科学する(38) 初めはいやいや、だんだんよくなる聖書

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 252
252 宗教を科学する(38) 初めはいやいや、だんだんよくなる聖書?

 川口さんの信仰告白を続けよう。

 「正直言って聖書は疑問だらけでしたが、不自由な体でむさぼるように読み続けた。ふしぎにふだん感じる苦痛もなく、むしろ背後から何ものかが支えてくれるのを感じた。聖書の『丈夫な人には医者はいらない。医者を必要とするのは病人である。私が来たのは義人=利害を顧みず正義を重んじる人=を招くためでなく、罪びとを招くためである』という言葉通り、私をひそかに支えてくれたような気がした。それからはキリストが身近な存在に感じ、いままで得ることができなかった神の愛を知った。」

●ボクは聖書を何度も読みかけたが、どうしても退屈で、投げ出した。キリスト教の独特の臭気が鼻につき、親しみが抱けなかった。仏教の古典文献も同じように難行苦行で挫折した。宗教は形のないもの、心や直観、あるいはあの世のことまで、さらに無限な時間と空間までを視野にいれて語らねばならない。科学や哲学からはみ出し、しかも人間を深いところで支えている、非合理的なもの、論理化できないものの一切を取りこむのが宗教だ。それを言葉という記号で伝えようというのだから無理がある。古典文献のように説得が深く緻密になればなるほど、ボクには独善と難渋とおとぎ話の度合いがつのるようにおもわれた。ただし、あまり専門的にならず、浅く、やさしく興味深く噛み砕いた万人向きに解説書はキリスト教であれ、仏教であれ、親しめた。一歩踏み込んでみると、むしろ、宗教のにおいのしない、宗教の灰汁をくぐっていない文献や思想は、ある時期、ボクには浅薄で読む気がしなかった。それは人間にも当てはまり、宗教の影やにおいをどこかで感じさせる人は、そうでない人に比べて味わいが深い、心の苦労人のような陰影をふと見てしまうのである。まあ、どんな宗教にしろ、こちらにピタッとあてはまるタイミングがあるのだね。苦境逆境の時は、タイミングがあいやすい。

車いすで教会に来るのは私が初めてと聞いた。階段ではみなさんに持ち上げていただき、車いすの場所も大きく開けていただき、面映ゆかった。
礼拝が始まったが、聖書を持てない、讃美歌や祈りの言葉を発声することができない。それでもひたすら心を尽くそう。私に与えられた最初で最後の信仰と希望と愛なのだから。
…病魔はとどまるところを知らず、症状は進むので、明日のわが身さえ予測しかねて思い切って洗礼を願い出た。残されたわずかな、見る、聴く、の機能でこの試練をいかに生かしていくかが私に与えられた使命と思う。」
●病院でも身障者施設でも得ることができなかった安住の地を川口さんは教会でみつけたのだ。

:聖書の言葉〈自分が望むことを人に施しなさい。受けるより与えなさい。自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい〉を引用したあとーー。
「どれほどのこともできないが、私なりに恵みに満ちた福音を伝え、ひろめ、一人でも多くの人がキリストを信じ、愛し、救われるようにつとめる」
●川口さんには「祈る」という態度価値のほか、タイプを打って文書を作り、意思を伝える創造価値も残されている。

:聖書の言葉〈人を裁くな、ゆるしてやれ。そうすれば自分も救われるだろう〉を引用したあとーー。
「私には受け身の愛が残されている。人のために祈ることも与えられている。さいわいなることだ。これからも神にすべてをゆだね,御心のままに、残された日々を次の世の準備期間として備えたい。最後に私ごときものを送り迎えし、スロープまでそなえて下さり、感謝いたします。」
信仰告白はこれで終わっている。〈残された日々を次の世の準備期間として…〉というくだりに川口さんの覚悟がうかがえる。この世に生きていても、もう思いはあの世に飛んでいるのだ。

洗礼を受けてから約半年後、川口さんは四国・松山市の松山ベテル病院へ移る。クリスチャンの医師親子がホスピスを目指して建てた病院である。いろいろな事情で川口さんに場所が与えられたのであろう。症状は進んでいくが、クリスチャン川口さんはここでもタイプを打ち続ける。印象に残る個所をリストアップする。

「テレビ局がベテル病院での介助を放送してボランティアを募るそうで、当日、私はモデルとして手押し車に乗っているところを撮影されるとのこと。ぶざまな姿はさらしたくもないが、私で役立つならありがたいことだ。人のためにすることがすべて自分のためになる。喜ばしく感謝にたえない」
●以前、見世物でないぞ、と怒った川口さんがこんなに変わった。

「つぶやきと、うめきばかり。タイプが打ちにくい。環境がかわったからか。病状がまた進んだせいか。また一歩深淵をのぞかないとこの苦悩は除かれないのか。弱いおろか者よ。神にすべてをゆだねているというのは、うそか。安心しろ。神が必ず逃れる道をさずけてくれるだろう。」
●試行錯誤はやっぱり続くのである。当然だ、人間だもの。

「蚊が出始める。追い払うすべのない私は顔をかすかに動かすのがせめてものささやかな抵抗である。年金の十分の一を引き続き教会に献金する。何かと入り用だろうに、と気遣ってくれるが、今の私には贅沢は無縁だ。教会の礼拝の家族的雰囲気がこたえられぬほどうれしい。社会から抹殺しないでくれ。生きているのだ。同じ人間として扱ってくれ。それを望めるのは神の子としての兄弟姉妹だけだ。」
●顔をかすかに動かして蚊に抵抗するとか、年金の献金とか、社会から抹殺しないでくれ、という叫びとか。具体的に川口さんの立場が浮き彫りにわかってくるなあ。(つづく)