250 宗教を科学する(36)寝たきりの自分に神が与えてくれた天職

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 250
250 宗教を科学する(36)寝たきりの自分に神が与えてくれた天職

『祈る』といえば、川口さんと似たような難病(進行性筋ジストロフィー)の患者、石川正一さんを思い出す。横道にそれるが、あわせて紹介しておきたい。
 正一君が発病したのは2歳のとき。症状が少しずつ進み10歳の夏、家族と海辺で遊んでいるとき、歩行が不自由になった。両親は詳しいことを子どもに言わなかった。しかし、早熟な正一君は進行する病気からぼんやり死を予感していた。彼もまた自分が死を心配しているのを知ると親がかわいそうだと話題を避けていた。14歳のとき、父親と風呂に入ったとき、思い切って話しかける。
(正一君の闘病記『たとえぼくに明日はなくとも』にこのときの父子の会話が描かれている。お互いを気遣いながらのやりとりは印象的だ。)

 「ねえ、お父さん、きょうは男同士で、裸と裸で、何でもお話しようよ。お母さんにも聞こえないんだから」
ぼくがそこまでいったときだった。それまで何を考えていたのか、黙っていたおとうさんが、背中へいきおいよくお湯をかけながら、「正ちゃん、わかったよ」と決心がついたようにいった。
「ぼくの病気はなおるの?」
「正ちゃん、お父さんははっきり言ってしまうけど、この病気は現在のところ、なおらない、といってもいいんだよ」
今度はお父さんのほうがすごく落ち着いているみたいだった。
「お父さん、ぼくは死ぬんだろう?」
お父さんは黙っていたっけ。お父さんはそのとき気が付かなかったんだね。黙っていることが実はその返事だということが。
「じゃ、はっきり聞くけど、ぼくはいつまで生きられるの?」
「そうだね、正ちゃんの筋ジスのタイプは、ふつう二十歳までしか」
「ふうーん、二十歳か」
正直に言うと、ぼくにとってもそれは意外だった。早すぎるよ。
お父さんは急に浴槽の中からお湯をくんではつづけさまにぼくの背中に浴びせ始めたんだよ。「正ちゃん、勇気を出せよ。いつもの正ちゃんらしくないじゃないか」
おフロを出てお母さんが用意してくれた新しい衣服をぼくに着せてくれながら、「でもね、正ちゃん、人間はいつまで生きられるかではなくて、どんな風に生きたかが問題なんだよ」おとうさんはそういった。

 このおとうさんの言葉はフランクルの「人生から何をわれわれはまだ期待できるか」を問題にするのでなく、逆に、「人生が何をわれわれから期待しているのか」が問題だ、という考え方に通じるものがある。

 さて、祈る、という態度価値は、正一君とおとうさんの共著『めぐり逢うべき誰かのために』の中に出てくる。

 正一君の症状は進み、ほとんど寝たきりになる。ある日、おとうさんの学生時代の友人の牧師が訪れる。正一君はキリスト教信者になっているが、全身マヒで「ぼくには祈ることしかできない」といくぶん不満そうにアピールした。もっと積極的に何かをやりたかった。社会に参加したかったのだ。そのとき、牧師は「祈りを仕事にしなさい」とつぎのようにいう。

「健康者は朝から晩まで働きづめで忙しい。時間に追われて、お祈りも自分のことを祈るのがやっとかもしれない。だけど筋ジストロフィー患者のあなたの一生はなるほど短いには違いないけど、一日のうちの自由な時間ははるかに健康者よりも恵まれているからね。みんなのために祈りを仕事にしなさい」

おとうさんによると、このメッセージは、神の言葉のように正一君に閃いた。「祈ることしかできない寝たきりの自分」という消極的なイメージは、「神様から人のために祈ることを天職とする特別な役目を与えられた自分」という積極的な立ち向かうイメージに生まれ変わったのだった。

簡単にいってしまえば、ものは考えようとなってしまうが、この暗示のもたらすもの、発想の転換は大きいと思う。

たとえば、私事で卑近な例だが、親戚に高名な哲学教授がいる。先般、脳梗塞で倒れ、左半身と右手が麻痺し、終日じつに不機嫌に病院のベッドで寝ている。病状は落ち着いたのに部屋から出ず、朝礼や患者の懇親会などの集いにも一切出ない。「気晴らしに出席されたら」、と看護師さんらがすすめると、「あんな連中と話しても、話があわない。自分と話の合う人以外とは話したくない」と突っぱねるらしい。
日ごろ、片時も離さなかった本も、いまは見向きもせず、一日ベッドの上でじっとしている。暗い雰囲気にたまりかねて、付き添いの夫人も鬱状態になり、「子どもも独立したし、夫婦で心中してもいい」と半ば本気で持ちかけると、「失敗するのはいやだ」。「失敗しないように私が先にあなたを殺してあげる」というと、「ぼくは死なない」と応じないという。ちなみにこの夫婦は無神論者だ。

その後の経過は聞いていないが、ときどきボクが彼の立場になったら、どうするだろう、と想像することがある。彼には川口さんのように心のうちを相談し、打ち明ける相手がだれかいるのだろうか。身体が不自由になってしまった彼はもう何もすることができないのだろうか。(つづく)