247 宗教を科学する(33) 身障者仲間からも孤立し、実家へ戻る 

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 247
247 宗教を科学する(33) 身障者仲間からも孤立し、実家へ戻る 

盆休みで川口さんは家に帰省する。
「悪戦苦闘の連続。つい、介護してくれる母に当たり散らす。障害者といわれることにも抵抗をおぼえ、嫌になる。自分が劣等感を持っているからだろう。考えてみろ、誰だって病気はする。軽いか重いか、治るか治らないか、後遺症が残るか残らないかの違いだけなのだ。病気になったからと言って本人も周囲の人も障害者と思うだろうか。私は病気や障害に克己心を持って立ち向かってきた。その虚勢が隠れ蓑になり、家族さえも私を病人とみずに、障害者として扱っている。」
●病人と障害者の違いに川口さんは一家言をもっているのだ。病人より障害者と呼ばれることに劣等感を抱く。自分は元をただせば病人であり、たまたま後遺症が残ったため、障害者となっただけだ。だれだって病気ぐらいするではないか。病気になった人をひとくくりに障害者とは呼ばないだろう、という理屈である。分かるような分からないような、川口さんの八つ当たり的アピール。

病気は治る可能性を持つ、だから病人の方がまだましというのだろうか。いったん固まった障害は治らない、だから障害者は嫌だというのだろうか。
川口さんの症状はつぎつぎ進行する。障害が固定していない。病人ではあるが、治る見通しはなく、逆に障害は進むばかりだ。どっちつかずというより、病人であり、障害者でもある。そこに川口さんの負けず嫌いが立ち向かう。人間では抗いようのないことに川口さんは挑み続ける。体当たりを繰り返す。不屈の根性に比例して、苦しみは長く大きいのに。このいらだちは誰も解決できない。赤ちゃんのようにお母さんに泣き喚き、怒るだけだ。

泣き疲れたあと、川口さんは少し落ち着き、自分の立ち位置を冷静に見るようになる。以前のがむしゃらさや、一方的なやる気満々さや、進行する症状への悲嘆さはだんだん薄れてくる。盆が終わり、施設に戻る日が近づいたとき、日記にこんなことが書かれている。
「私が障害者施設に入ったのはやはりまちがいだった。病の進行と身体の衰弱からしだいに同僚たちからも孤立していくのを感じる。はじめは障害の程度が軽く、精神的余裕もあって、同僚たちともうまく同調してきたが、いまはその余裕がない。やはり施設を出よう。すっかり寝込んでしまう前に、退園したほうがいい。」
●以前は優越意識を持っていた障害者仲間にもついていけなくなった。症状が進むぶん、症状の固定した障害者に遅れていくのだ。病院では治らないから、障害者施設では症状が進むから、スタッフや仲間からも孤立を深める川口さん。

自宅に帰省中、チメちゃんがきた。
「(明日はわかれる)最後の夜、幻のエンゲージリングをチメの左手薬指にはめた。チメは戸惑いながらも喜び、代々こどもに受け継がせるといってくれた。思えば、妹、のような気持で接していたのがいつしか異性を感じ、心の支えとするようになった。不幸にしてはならないと自制する一方で、チメを求める自分。チメも貴重な青春をささげてくれた。明日を最後に会うのをやめようと提案する。チメの相手はなかなか好青年のようだ。幸せな家庭を築いてくれるだろう。夜遅くまで思い出話が続いた。これからの人生に希望を持つ者と、死を待つ者との差が鮮明に浮かぶ。明日から思い出を支えに執念で生き抜くようにがんばろう。」
●チメちゃんが結婚する。嫉妬で苦しんだが、いまはそれも薄らいだ。チメちゃんの幸福を心から願い、新しい門出を祝福している。今夜かぎりで会うのをやめよう、と川口さんの方から切り出した。そして、明日からは「思い出を支えに」生きようと誓っている。ここはフランクルの「妻との架空会話」に通じる。記憶の中のチメちゃんと話すことでこれから生きる張り合いと糧を得ていこうというのだ。

その年の暮れ。川口さんは障害者施設を退園した。役員会でも進行する症状を持つ川口さんは退園して病院に移ったほうがいいのでないか、と話が出ていたし、同僚の間でも、いろいろギャップが出始めていた。川口さんは書く。
「残された人生を病人として終えるより、むしろ障害者として力強く生きたいという一種の開き直りの心からみずから希望して入れてもらった施設だ。しかし、病いが進行するにつれて、私は障害者にもついていけず、一緒に生活する事ができなくなった。障害が一定の段階で止まっている者と、どんどん悪化する者とではどうしても考え方やその他でギャップが生じてしまう。私は障害者からまた病人へと立ちもどった。」
●退園の弁が淡々とつづられている。ずいぶん穏やかになった。

施設を出た川口さんがまず落ち着いたのは実家の応接間だ。両親と弟一家が住んでいる。
「朝、みんなが一段落するのを待って起こしてもらう。眠れぬ私には待ち遠しいひとときだ。ひとりで遅い朝食を食べるのは味気ない。噛んだり、呑みこんだりするのが思うようにできない。もう少し面倒を見てくれてもいいじゃないかと家族を恨みたくなるが、しかし、これでいいのだ。食事と排泄のて助けをしてくれるだけでありがたいと思わねば。年をとり不自由になっていく母。恍惚状態の父。義妹や私や親の間に入り苦労する弟。早く家から出たいが、不治の病で付き添ってくれる人も金もないわが身ではどの病院からも敬遠される。全身が不自由になったいまは自殺も満足にできない。失敗したら、狂言だとののしられる。」
●施設は出たものの、病院にも行けない。付き添う人も金もない。認知症の父と老いて不自由な母。かといって自殺もままならない。八方ふさがりに見えるが、筆遣いは意外に和やかだ。(つづく)