246 宗教を科学する(32) そろそろ宗教の出番?

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 246
246 宗教を科学する(32) そろそろ宗教の出番?

川口さんの日記を続ける。
欲を出さず運命に任せて精いっぱい生きれば、悔いはない。この穏やかな気持ちも2週間たらずで様変わり。医者へ、看護婦へ、仲間の寮生へ、さらに施設そのものへ、批判の矛先を向ける。

「朝礼で職能チェックの実施と訓練の話がやっと出る。寮生の個々の能力を把握して適切な指導を1日も早くやってもらいたい。
半年も前に提案したというのに、決めるのにそんなに時間のかかる問題か。
寮生の外出にストップがかかる。風邪がはやっているときは一度も顔を見せず、下火になってから出しゃばってきて威厳を振りかざして外出を禁止する医者。看護婦も医者のロボットと化して患者への配慮に欠けている。
寮生も養われていることに満足して、自分を啓発しようと努力しない。
この園も安住の場所ではない。
今日は愚痴ばかり書いてやった。すこしは気持ちが楽になった。」
●プライド、負けん気、運命への抵抗と拒否。あとから考えると、その最後のあがきだったかもしれない。

「寮母さんに着替えの介助を受けているとき、『訓練は人一倍やっているのに、だんだん悪くなってくるね』と言われる。同情か慰めか。複雑な気持ちだ。床に接する身体の部分がしびれ、寝返りをくりかえすたびに布団がずり落ち悪戦苦闘。でも寮母さんを呼ぶのがためらわれる。『昨夜は起こされて、眠れなかった』とグチを聞くのが耐えられない。」
●〈あなた、がんばっているのに成績アカンね〉、と小学生時代、おばはん教師に言われてなんともこたえたのを思い出す。彼女もボクも相互に嫌いあっているのが子ども心にも了解されていた。

「『あまり気を使わず、のんきに過ごせば』と職員は言ってくれるが、性格は変わらないし、変えようとも思わない。身体が衰弱すると余裕も失せて、楽しく愉快に過ごすということがない。明るくふるまっていてそんな風には見えないらしいが、虚勢を張っているだけ。意固地になっているのが自分でもわかる」
●虚勢、意固地、ボクも似ている。二人ともあまり人に好かれないなあ。

「役員会で私の症状が話題になり、入院か退園をすすめてはとの話が出たが、園長は『彼の判断に任せるべきだ』と制止してくれたそうだ。この先、症状がどう変化するかわからない。重度の障害者になってみんなの厄介者になるのも忍びがたい。いつ退園を決断するかは難しい問題だ」
●川口さんはいよいよ分かれ道にさしかかっている。病院から障害者施設へ。さて、このつぎはどこへいこうというのだろうか。

「オセロゲームでみんな夢中になっている。私もやり始めると負けず嫌いの性格が出て熱中する。手足も動かず、起きていることさえ苦痛な人間が何をバカなことを、という気もするがそういう身であればこそ、つまらぬことにも情熱を燃やし生きていることを確かめたくなる。」
●負けず嫌いは死ぬまで直らない?

「食事のテーブル替えがあり、私は軽度の席から重度の席に転落する。よく自覚しているつもりでも、いざ現実にこうだと指摘され、隅に追いやられると身の置き場所がない。食事ものどを通らず、途中で投げ出す。ショックで年甲斐もなく醜態をさらして寮母に心配をかけた。車いすに乗っているのがつらい。なぜ苦しむことが私の運命なのか。」
●症状の進行はおおげさにいえば、運命だ。運命を受け入れることのむつかしさ。結局、人間は運命には抗しきれない。このとき人は、人間を超えた存在に目覚めるのだろう。その典型例が宗教だ。

「何回くりかえしてもうまくしゃべれない。だんだん無口になっていく。病人ほど苦痛や孤独から逃れるために会話を必要とするものはないのに、それが奪われていく。パニック状態に陥る。鏡で舌を観察した。驚くほど細く薄くなり、表面が凸凹で、こきざみにふるえている。これでは声がでないはずだ。ものを噛んでも奥へ運べないはずだ。」
●会話にはむろん相手がいる。会話能力を喪失することはすなわち相手を失うこと。細く薄く凸凹な舌はだれのためにあるのかを川口さんは考えたろう。

「訓練がなかった。ほっとする自分が情けない。自分のためである訓練が重荷に感じられるのは末期症状だ。人一倍励んでも効果がないばかりか、心身に苦痛と疲労が残るのを身体は知っているからか。」
●負けん気も限界にきたような川口さんの症状。

「スローペースだが、確実に病が進行している。それを冷静に眺めて暮らしている自分。末期症状を想像し、日夜苦悶していた自分がうそのようだ。日ごろ、私は怒ることもなく笑っている。感情の処理はどうしているのかと聞かれる。私は激しい気性だ。ひとりでいるときはきびしい顔で、苦悩や苦痛が自然と表面に出ているのがわかる。それを人に悟られないために笑ってごましているだけだ。」
●だんだんニヒルに、虚脱状態になっていく。宗教への分岐点?(つづく)