245 宗教を科学する(31) 見栄もある、夢精もある。

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 245
245 宗教を科学する(31) 見栄もある、夢精もある。

あっちにぶつかり、こっちにぶつかり、煩悩の密室を転げまわる川口さんの心情をしばらく日記から察していくことにしよう。

「施設を見学した人が『隔絶された園には魅力がなく哀れに映る』と書いてあり、反省させられた。やはり親睦会をつくろう。いちど拒絶されているので、慎重に計画しよう。」
●国立宇多野病院につづいて、身障者施設でも入居者の組織作りを計画して拒まれたらしい。それでもつくろうと決意する。見学者に、哀れ、といわれて川口さんのプライドが憤怒したのだ。

リュウマチに悩む女子寮生がいる。九州にいい病院があると記事で見たので、手紙を出して打診してはどうか、とすすめた。ところが、病院からの返事は入院費用があまりに高く、介添えも必要だということでしょんぼりしていた。いい女性なのに。世の中はどうして弱い者にばかりしわ寄せがくるのか。」
●いくぶん独りよがりの気配はうかがわれるが、面倒見がいい。その結果としての慨嘆。

「体がだるくて食事もせずに床についたまま。寮母さんが『このごろ、リハビリもやっていないけど、どうしたの?』と聞いてくれる。いくらやっても病いの進行に追いつけず、かえって疲れを助長させるので控えていると答えた。入浴も苦痛になってきた。」
●身障者と違って、川口さんは症状が進むのだ。

「秋のレクレーション。春には自力で乗降できたリフトバスも今度はダメで介助を頼む。外出は気分がよいが、遠くから注がれる、異様なものを見るようなまなざしが楽しい気持ちに水をさす。だが、恥ずかしがってはならない。手を差し伸べて手助けしてくれた人もいた。自分たちの方から積極的に接近していくことが大切だ。」
●こんな立場になると、ボクもきっとこういう気持ちになるだろう。

「別れた妻を夢に見る。忘れているつもりでも心の底に未練が残っているのだろうか.気分が憂うつで頭が重く痛い。朝も昼も欠食。床に伏せっていると急に寂しさが襲う。同僚の元気さがうらやましい。死は怖くない。不安もない。生き延びるのは苦悩を深めるだけだ。家で死にたい。」
●かつて優越意識を抱いていた同僚の身障者をいまや羨むようになった。

「障害者もすすんで外に出て、一般の人と交流を持つべきだ。障害の身を人目にさらすのを恥ずかしがったり、心ない人たちの、好奇の目を怖がっていてはダメ打と思う。健常者と交わり、その温かい心に触れることによって生きる喜びもわいてくる。まず見栄を捨て裸になって飛び込んでいくことだが、それがなかなかできない。文化祭に出品する作品も過去の幻影にとらわれ、良い作品が出来なければ止めてしまう見栄っ張りな自分を叱る。」
●見栄を捨てなければ、とわかっているけど、まだまだ煩悩が燃え盛る。

「夢精をしてしまう。後始末が大変だ。自分ひとりでは下着も替えられない。職員は私が甘えていると思うのか、動作が緩慢だと嫌みをいう。入園したときは障害も軽かったからはた目にはそう映るのだろう。私だって自分で出来れば、人の世話など受けるものか。完全に寝込んでしまったら、やはり家に戻らなければあまりにみじめだ。そして迷惑をかけないうちに楽になりたい、といつしか逃げている自分が腹立たしい」
●川口さんはまだ40歳前なのだ。男盛りなのだ。その後も夢精をときどきするが、『仮眠妨害だ』といわれるのがいやで、ナースコールはしないと書いている。で、後始末は結局、どうなったのだろう、とつまらぬことが気になる。

「便所で悪戦苦闘する。便器から立ち上がるのが手すりをつかんでも何度やっても失敗。やっと立ち上がれたかと思うと、バランスを崩して倒れてしまう。はじめて便所の介助をうける。ついに下の世話まで頼まねばならなくなった。全身から力が抜け、なんとも言えず悲しい。」
●長生きすればだれでもこうなる。そのときボクはどうすればいいのだろう、と真剣に想像した。

「せめて両親より先に旅立たせて下さいと祈る。三日でいい、自由に行動できる日がほしい。1日は自分自身の反省と整理に、2日目は恩を受けた人へのお礼とお返しに、3日目は人のためになることに使う。病を忘れて思い切り働きたい。夢でもいいからそんな日を見たい。」
●ボクはまだ自由に動ける。でもいつか動けなくなる日が来るのは確実だ。明日からせめて三日間はこんな気持ちで過ごしてみよう。
「やはりこの病は治らない。欲を出さず運命に任すべきで、精一杯生きればそれで悔いはない。そういい聞かせ、一時は平静な気持になるが、明日はまた支離滅裂になってしまう。」
●おたがい、普通の人だものね。川口さんもボクもあなたも似たようなことを繰り返しているのだ。(つづく)