244 宗教を科学する(30)人間の楽屋裏が丸見えの闘病記 

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 244
244 宗教を科学する(30)人間の楽屋裏が丸見えの闘病記 

 世の中には高い思索、すぐれた文章、覚悟のよさ、でちりばめられた闘病記も少なくない。芸術作品のように感動もし、勉強にもなるが、作品以前のデータで削除されているものは多いだろう。読み手を意識して、抑制したり、美意識に照らしたり、カッコよくしたり、逆に偽悪ぶったり、商品化をはかろうとするのは当然だ。1次データを整理整頓しリファインして2次データで精妙に構成している。

その点、川口さんの闘病記は楽屋裏まで丸見えだ。芸術になる前の素材、1次データが未完のまま、精選されないまま、素手で放り出されている。むきになって唾を飛ばしてしゃべりまくっている。恥ずかしながらボクだってそうだろうな、はしたないけど人間の本性はそうだろうな、と思うことを川口さんは行きあたりばったりのように書いている。こういう人はあまり好きになれないな、と思うけど、それは間違いなくボク自身にも潜んでいる傲慢さと自我、自己中心、それにいつまでも続く愚痴っぽさと諦めの悪さだ。

 たとえばーー 
川口さんの怒りや憤慨は、一般の見学者、寮母さんにもおよんでくる。
 「施設の見学者が多数訪れ、われわれの食事の最中をのぞく。同情の声に憤然とするが、自分も健常者であれば、同じ態度を見せたかもしれない。しかし少なくとも、物見遊山のつもりで見学に来るようなそんな失礼なことだけはしないだろう」
 「咳がひどくなる。苦しい。しゃべるのがつらい。寮母さんと衝突し、朝の着替えを意地になって自分でやる。簡単に自分でできるなら、だれが頼んだりするものかと、日ごろの恩も忘れて腹を立ててしまう」

 このころ、チメから「姉に紹介された見合いの相手と交際している」と告げられる。自分にそれをとがめる資格はないとわかっていながら「一生のお願いだ、いましばらくそばにいてほしい」と懇願し、チメは涙を流してうなずいた、という記述も添えられている。

 いったんは諦めたはずの治療にも東奔西走だ。
 38歳の誕生日。「従兄から岡山にすぐれた祈祷師がいると熱心にすすめられ、弟の運転ででかける。母も心配して同行。夜八時過ぎ、市内に入る。みすぼらしい長屋の一角。なりふりかまわず患者のために尽くしているのかと思える。簡単な問診のあと『大丈夫、一週間もすれば元気になる』。宿泊もここでするようにいわれる。朝夕の祈祷とマッサージ。ところが祈祷師は昼間から酒を飲み、治療中に居眠り。ギャンブルはやる、金のことを人前で口にする。嫌気がさして一週間で退散。」

それでも懲りない。
「長野県松本市の病院。一日3百人の難病患者が全国からやってくるといい、待合室は超満員だ。『動脈硬化と心筋塞索の傾向がある』とのこと。秘伝の注射を頭の先から足の先までところかまわず打たれる。これまでの病歴を述べ、治りますか、と問うと、遠回しに『難しい』というニューアンス。万に一つの望みを断たれた思い。『はじめから諦めていましたよ』とこちらも言い返し、あす帰ると告げた。」

身障者として生まれ変わろうとした。しかし、身障者の静かさ、のびやかさ、現状の受容、が物足りず、もっとがんばれ、と川口さんはハッパをかけ続けた。この時点でどこか川口さんには自分の方が上、という意識があったようだ。
だが、それは逆だった。身障者のハンディは見た目に形状がはっきりし、治らない。けれど、進むこともない。それなりに安定しているのだ。
病人は治るかもしれない。身障者より可能性はある。だが、治ることのない病人は、症状が進行する分、固定・安定した身障者より、(川口さん流にいえば)「下位」にあるのだった。

この間の川口さんの心の動きを日記から拾い上げてみよう。
「いやになる。いらいらする。手足を縛られ、さるぐつわをはめられて死を迎えさせられるこの病気の恐ろしさがひしひし押し寄せてくる。他人はわかってくれず、助けてくれない。この恐怖心から逃れたくて、人に話しかけ、触れ合いを求めようとすると、中傷、誹謗が渦巻く。人はしょせん孤独だ」

固定した障害の中でそれなりに落ち着いている身障者。社会復帰を目指してがんばれがんばれ、とハッパをかける川口さんはあるいは煙たがられていたのかもしれない。

「手足が冷たく、身体の動きも極度に鈍い。健康診断を受ける。二人がかりで介助してもらいレントゲン車に上がる。自分の置かれている現状をイヤでも思い知らされる。医者に説明するも分かってもらえず、注射し、睡眠薬を貰うだけ。隣室の寮生が発作を起こし苦しむ。日ごろは生きる希望を捨ててリハビリもやらず、引きこもってばかりいた人間が、痛さに悲鳴を上げ、親や寮母さんの名前を呼ぶ。助けてくれ!と叫んでいる。」

隣室の障害者に、ちょっと揶揄するような、『ふだん怠けているくせに甘えるな!』といっているニューアンスも伝わってくる。(つづく)