243 宗教を科学する(29) 「日々を楽しく過ごすな!」

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 243
243 宗教を科学する(29) 「日々を楽しく過ごすな!」

 病院にいても難病は治らない。妻とは離婚した。若い看護実習生と愛し合っても、将来に希望が持てない。体は不自由になっていくばかりだ。自殺を図るが失敗。認知症の父、病弱の母に泣かれ、励まされ、川口さんは開き直る。病気を治そうとするのでなく、症状を受け入れよう。これからは病人ではなく、身障者として生まれ変わろうーー。

川口さんは再生を誓って、最後の安住の地として障害者施設に入った。だが、もともと健康体で自我・自意識の強い川口さんには想像以上に抵抗が大きかったようだ。
無理に頼んで入所しながら、重い障害者を見て立ちすくみ、逃げ出そうとしたり(242回)、国立宇多野病院では機能訓練をする筋ジストロフィーの子どもたちのことを、「変形した体を酷使して、奇声を発しながら訓練にはげむ異様な雰囲気にいたたまれず、その場を逃げ出した」と書いている(241回)。

身障者療護施設「エビノ園」に入所した日の日記は「交通事故で脊髄障害を起こした人、脳性マヒ、原因不明の病気の人と同室。郷に入れば郷に従え、で相手かまわず話しかける。消灯時間が来てもなかなか寝つかれない。ここが生活の場になるという実感がわいてこない。あまりに環境が違うせいだろうか」

翌日の日記は「風呂は寝たきりの人を対象の機械風呂と、座れる人が対象の傾斜風呂がある。私は傾斜風呂。指導員や寮母さんが介助してくれる。私は自力で入れるが、介助の人に見守られながら入るのは気恥しい。
入居者のほとんどは車いすに乗って移動する。私のように(車いすを)押しながらでも歩く姿は珍しく、自力で歩けるのは非常に幸せに思える。今日も一日何もせずに終わる。」

重い障害を持つ人たちの中でウロウロ。自分の居場所のみつからない様子がうかがえるが、十日目の日記には早くも川口さんらしさが出てくる。
「脳性マヒ、小児マヒ、筋ジストロフィー、リウマチ、交通事故で半身不随の人たちがいるが、園内は明るくて朗らかだ。とくに先天性の障害者は無邪気で底抜けに明るい。安全に保護されている安心感からか、みんなノビノビしている」とほめたうえで、川口節が炸裂する。
「しかし、これでいいのか。疑問がわく。楽しく毎日を過ごすだけで、前向きの姿勢に欠けているのではないか。リハビリも、やれといわれるからやるという感じで、自分から取り組んで、社会復帰するのだという積極性が見られない。なんとかこの空気を打ち破り、生きる喜びや生きがいを、一緒に探してゆけないものか」


ーー〈楽しく毎日を過ごす〉だけでいいじゃないか、それこそ人生の最終目標じゃないか、ほかにどんないいことがあるというのかネーーといまのボクはだれに対しても大見栄をきることができる。じつは、こんなことを言えるようになったのは今年の夏からだ。ことしの夏は暑かった。定年後、隠居仕事みたいな宮仕えを手伝わせてもらっているが、年のせいか疲れる。休日や夏休みは一日中、仕事も家事も読書も遊びも、何もせずに気がつくと、ぼんやりビールを飲んでいる。

そのくせ現役時代の習わしで一日の終わりには「きょうは何をしたか?」とつい具体的な成果を問うてしまう。無の日は柄にもなく空しくなり、口惜しく、ソンをした気分になる。そんな日がこの夏は多かった。先日もそうだった。だが、ふと気付いた。それがどうした!
ええ年して、いつまでもガツガツしている方が卑しいじゃないか。なにごとも年相応がいいのだ。ボクのかつての職場でも、ガツガツして出世はしたもののそれを晩年まで持ち越して、みなさん、それぞれにあさましく、不幸だった。わが職場関係者だけでない、有名人の晩年のありさまを調べたことがあるが、似たようなものだった。ムリをした反動はどこかにしわ寄せするのだね。

えらそうに言えない。ボク自身だってエラクなろうとガツガツしたではないか。エラクなれなかっただけの話だ。だがもういいのだ。わがガツガツの季節は過ぎたのだ。いまはポカーンとしているのが似合う季節だ。だいたい人生というものは…一席ぶちたいところだが長くなる。別の機会に譲ろう。
ともあれ、それ以来、「今日も一日無為に過ごした。よかったなあ」がビールを飲むときの合言葉になっている

川口さんの日記を続けると、復活したやる気満々は相変わらず。
自治会をつくろう」
「この病室をモデルルームにしよう」
「みんなはリハビリに熱が入らない。仕方なくやっている。連鎖反応で気を抜いている自分に腹が立つ。みんなのためにも率先してやらねばならない」などの語句が連なる。
反比例して、身体の不自由度は増していく。
「身障者手帳は2級から1級へ、この現実を認めねばならない身がつらい。」「散歩の途中、常識のない入居者に押され、転倒、頭を強打した」
「眠れないので安定剤を飲んだら、朝になっても体が重く口を開くのもおっくうだ。同僚に馬鹿にされた。こいつは常識がない奴だと無視することに。」

心のハッスルとうらはらに、だんだん不自由になってくる体への不安。
それに仲間たちへのお説教や不満や怒りの言葉が多くなる。(つづく)