242 宗教を科学する(28)離婚・自殺未遂・多情多恨  

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 242
242 宗教を科学する(28)離婚・自殺未遂・多情多恨  

 妻が自分にも実家にも無断でどこかへ行っている。
 川口さんは腹が煮えくりかえる気持ちで外泊許可を取り、家にかけつけた。犬と猫がいるだけで妻はいない。二階にはすでに荷物がまとめて置かれている。川口さんはピンときた。妻は翌日帰ってきた。東南アジアを旅行していたといい、座り直して「私には妻の資格がない」と別れ話を切り出した。13年間の結婚生活にピリオドが打たれた。

 病院にも変化があった。
 同病のHさんは亡くなり、Mさん、Kさんも退院することになった。全治しての退院ではない、治療のめどが立たないから家に帰るのだ。前夜は仲間うちでささやかな酒宴を開き、翌朝、二人は車いすで病院を出て行った。見送るのは同僚数人だけ。さみしい退院風景だ。
 川口さんも病院を出ることにした。これといった治療法もなく、治る見込みはない。病院に閉じこもったまま人生を終わるより、外の空気にふれ、やれるだけのことをして死にたい。

 妻のいない家に戻って来た。
 浴室、トイレを掃除し、家財道具を引っ張り出して整えた。
 食事は弟夫婦に頼み、障害者年金から実費を支払うことにした。贅沢をしなければやっていけるだろう。
 ゴールデンウイークを利用してチメが訪ねてきた。昼食をしながら「文通しません?」という。少女趣味で気恥しかったが、手の運動にもなるといわれ、うなずいた。帰りがけに「今度は泊りがけで来てもいい?」といった。
チメはこまめに手紙と電話をくれた。
二度目に泊りがけで来たときは、二人でビールを飲んで話がはずんだ。三日間が過ぎて帰るとき、チメは川口さんの胸に顔を埋めてきた。

夏の夜、伊豆からチメが長距離電話をかけてきた。友だちとキャンプにきているという。はしゃいで夕食の説明までした後、「でも、川口さんと一緒でなくてつまんない」と声を落として切った。
チメと一緒だったらどんなに楽しいだろう。
いろんなシーンを想像する。沖合の岩場まで泳ぎきる二人。夜は浜辺で肩を寄せ合って水面の月をいつまでもみている。健康なチメの水着姿…、対照的にやせ衰えた無残な自分が浮かぶ。医学書の記述が流れる。やがて石のように身動きひとつできなくなる、体を拭いてもらい、便や尿の世話までしてもらい、意識があるだけ植物人間より悲惨な運命。
チメの電話はとびあがるほどうれしかったが、受話器を切った後は逆になにもかもいやになった。そうだ、ぶざまな格好になる前に死んで楽になろう!

死ぬ日をきめると心が落ち着いた。チメが自分への慕いを初めて打ち明けた手紙も焼いた。その夜はビールを飲みながらチメに「頑張って卒業して幸せになって」と励ましの電話。何も知らぬチメの元気な返事。戸締りをし、睡眠薬を80錠飲み、プロパンガスの栓を開いた。――だが自殺は失敗した。戸外にあるボンベの元栓を開けるのを忘れ、睡眠薬は無意識に吐き出していたらしい。

年老いた両親や弟に泣かれ、怒られ、川口さんは激しく後悔する。どうせ一度は捨てた命だ、不自由な体のまま開き直ろう。病気は治そうとせず、障害者として生まれ変わろう。折しも、かねて受験していた合成書士の合格通知が届いた。やればやれるのだ。勇気がわく。身障者でも社会のために何かをやりたい。そのためにはやはり施設に入るのがよい。
7か月前に三重県下で唯一の身障者療護施設「エビノ園」がオープンしていた。「あなたの行くところではないと思いますが…」と渋る役所に強引に頼みこんで入所手続きをとりにいくことになった。小高い山の上にあり、環境抜群。しかし、いかにも人里離れた印象だ。

廊下のあちこちにいる入居者たちが口々にあいさつしてくれる。どの顔も表情が底抜けに明るい。しかし、――川口さんはこう書いている。
「想像以上の重度の障害者や先天性の障害者に接して、私は立ちすくむ思いだった。淡い夢も一瞬にして吹っ飛び、今なら取り消しても間に合うぞと、心の中でもう1人の自分が叫ぶ。この人たちの中に入って、ともに暮らしていける自信が、正直言って私には湧いてこなかった」
しかし、無理に頼んだ手前、もう後へはひけなかった。

中年の難病患者川口さんは、多情多感、直情径行、自我むき出しだ。その立場に自分を置きかえると、ボクもそうなるかもしれないが、若い女性とのロマンに酔い、将来をはかなんで自殺を図り、障害者としての再生を誓い、強引に施設への入所を頼みこみ、いざ障害者の人たちに直面すると、あとずさりし…。そして入所十日目にはもう寮生への批判と一流の負けん気とやる気が頭をもたげて、ここも安住の場とはならないのだ。(つづく)