241 宗教を科学する(27) 短髪・ペンダント・胴巻きスタイル 

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 241
241 宗教を科学する(27) 短髪・ペンダント・胴巻きスタイル 

発病して4年。この難病ではまれにみるほど進行が遅い。川口さんにはまだ体力気力が残されていた。テレビで京都の国立宇多野病院が難病患者専門の指定を受け、研究機関も設置されていると知ってさっそく出向いた。筋ジストロフィーの子どもたちががんばっている様子を見物させてもらう。川口さんは露骨にこう書いている。
「変形した体を酷使して、奇声を発しながら訓練にはげむ異様な雰囲気にいたたまれず、その場を逃げ出した」

いったんは逃げ出すが、医師にこの病院には川口さんと同じ症状の人が入院していると聞き、思い直す。入院後、同病の患者が三人いることをつきとめる。

Hさんはまだ若くカーマニアでA級ライセンスを持っている。奥さんと三人の子どもがありながら病気が原因で離婚。発病して4年めで、言語障害がひどく、ほとんど聞き取れない。首も両手もだらりぶらりの状態でやせ細り歩けない。母親が毎日加古川から付き添いに通っている。川口さんは親しみを抱き、車いすに乗せ散歩に連れ出そうとしたが、頑として拒み続けた。
Mさんは川口さんと同年齢。発病後1年半だが、満足にしゃべれない。手足がやっと動かせる程度。訓練所へは車いすを利用し、ほとんど部屋に閉じこもっている。妻子は一度も姿を見せず、家庭は複雑な問題を抱えているようだ。
Kさんは定年まじかな警察官。発病1年。手足が不自由で体全体がやせ細り、いたいたしい。奥さんとは別居中で、近く離婚が成立する、と川口さんに打ち明けた。

重い病に苦しみ、そのあげくに家庭が壊れて行く。これではかわいそうすぎる。浮かばれない。彼らの病名は「筋委縮性側索硬化症」という。聞いたことのない病名だ。医師は川口さんには何も告げていない。ふと川口さんに不安がこみあげてきた。ひょっとして自分も同じ病気なのではないか。だが、すぐに否定した。私は違う。その証拠に発病して4年たつのに、言語障害もない、手も動かせる、足はひきつった感じはするが、まだまだ歩ける…。
川口さんは医師に問い質す。「あなたのは運動神経の疾患だ」と暗に違う、という口ぶりだ。しかし、強く否定しないのが気になる。さらに執拗に問い詰めると、「現段階では判断しかねる。今後の検査と病状をみて決める」という。
川口さんはたまらず、医学書をひもとく。「筋委縮性側索硬化症」の項目には次のような記述があった。
「体全体がマヒし硬化し、まったく自由がきかなくなるーーまぶたの開閉ができなくなるーー脳だけは正常で患者は自分の身体が石のように固まっていくのを冴えた意識で見つめ続けるのみーーむろん意志を伝達する手段はいっさい奪われるーー発病後数年以内に死亡するーー俗称アミトロ。ALS。わが国の一部地域では〈むろ病〉と呼ばれ、死病として恐れるあまり、患者にさるぐつわをかませ、両手両足を縛りつけて自然死に至らせることがひそかに行われてきた。まだ原因不明で確たる治療方法はない。欧米では癌より恐れられ、医師が患者に病名を告げるのはタブーとされている」

川口さんは身震いした。そういえば、これまでの病院で回診のとき、医師たちが川口さんを診ながら「アミトロですね」「うん、ALSだ」と専門用語を暗号のように話していたのを思い出した。それから数日間、川口さんは部屋に閉じこもり、食事もとらず、ひとりでおびえ、震えていた。

一方で、川口さんはこんな情景も描いている。
看護師や実習生ら若い女性が病室へあいさつにきた。川口さんは、短髪に胴巻き、首にはペンダント、といういでたちだ。女性たちは「そんなスタイルでしょ。怖い人かと思ったわ」。川口さんも「へんな奴が入ってきたって言いふらしたんだろ」と軽口で応酬。「アタリ!」と大笑いの女性たち。そのなかに〈チメちゃん〉というニックネームの実習生がいた。川口さんは「やがて私の人生に大きな影響を与える女性」と書いている。

川口さんは多情多感だ。つぎに病院内で難病患者の親睦会の結成を企てる。病院側の看護師やスタッフらは「圧力団体にならないか」と恐れたが、失敗を恐れては何も出来ない、と患者らの病室を回って趣旨書を配布しながら説き伏せ、医長とは直談判、食堂に数十人の患者を集めてとうとう発足させた。会長はむろん川口さん。入浴や暖房時間の延長、洗面所の改善などの要求を突き付け、実現させた。

妻が体調不良を理由に面会に来ない。それが不快で正月の帰省には妻に連絡せず、従兄に迎えを頼んだ。家に帰ると、妻は思ったより元気そうで、一日中、犬や猫たちと遊んでいる。生活ぶりが全般に贅沢すぎるのが腹立たしい。もっと節約しろ! 大晦日にけんかをし、正月はお互いに笑顔をみせず気まずく過ごした。
病院に戻ると、医長が訪ねてきて「親睦会を解散してほしい」といった。国からの予算獲得に支障があるというのだ。川口会長は激怒して断る。さっそく執行部会を開いて対策を話し合ったが、病院側と患者の間で苦しんでいる先生に申し訳ないという声が多かった。こうして親睦会はあっけなく解散。
肩の荷が下りた気分の川口さんは看護学校に通う、あのチメちゃんと電話をしたり、看護婦グループと市内のお好み焼き屋や喫茶店を回る。そんなある日、千葉の義母から突然「家に連絡しても娘の消息がつかめない」と電話が入った。
妻はどこへいったのか? (つづく)