234 宗教を科学する(20) それでも人生にイエスと言う

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 234
234 宗教を科学する(20) それでも人生にイエスと言う

フランクルの講演集『それでも人生にイエスと言う』には強制収容所の囚人仲間のたどる心理が3段階に分けて描かれている。『夜と霧』の記述と突き合わせて紹介しよう。絶望の中の囚人たちの心の支えや、苦悩の意味、さらに解放されたあとの不満と失望などが語られる。

▼第一段階。
アウシュビッツ収容所の場合、連行された人の95%が駅からまっすぐガス室へ運ばれ処分された。フランクルを含め、残り5%は収容所へ。消毒槽に押し込められるが、ここで身につけていたものはすべて取り上げられる。衣服はむろん体中の毛も一本残らず刈り取られ、文字通り全裸になる。こうしてこれまでの全人生は消去されるのだ。

はじめのころ、囚人は高電圧のかかった鉄条網に触って自殺を図ろうとする。それは実際よく起きた。しかし、まもなくそんな必要はないとわかる。わざわざ自殺しなくても、つぎつぎ「ガス室」送りになって消えていくからだ。
ある日、フランクルら新参組のところへすでに数週間前に入っていた先輩格の仲間が忍び込んできた。いろいろ収容所での心得をアドバイスしてくれたが、とりわけ強調したのは「健康体で働いている」という印象を当局に与えることだった。病弱、不健康、障害があると判断されると即座にガス室行きになるという。

たとえば靴が足に合っていなかったせいで、片足を引きずっているだけで、ナチの親衛隊員は即座に手招きして呼び寄せ、ガス室に送りこむ。ここでは働ける人間だけが生き続けることを許され、残りのすべての人間は生きている価値のない存在なのだった。
さらにその仲間はガラスの破片などで顔のひげを剃ることをすすめた。顔色がピンク色に元気そうに見えるからだといった。最後に「さしあたり、みんな健康そうでガス室に送られる心配はなさそうだ。ただ、フランクル君、君は気をつけないと次回にもガス室に送られそうだ」と注意してくれた。

▼第二段階。
自分の運命に対する無関心が進む。部外者には想像できないありとあらゆるおぞましい環境、できごと、印象に最初の2,3日は恐怖や憤激、吐き気が起こるが、囚人の多くはどんどん無感覚、無感動になり、情緒そのものが最小限に減ってしまう。その日1日をなんとか生き延びることだけに関心が集中するようになる。そうでもしないと、心も身も粉々に打ち砕かれるような圧倒的な毎日。そこからなんとか自分を救い出すには無関心になるほかはない。この時期を無感情の段階と特徴づけることができる。囚人の内面は動物、それも群居動物の水準に下がってしまう。原始的な存在に退行していく。

たとえば、囚人は移動するとき5列に隊列を組まされるが、我先に隊列の真ん中にもぐり込もうとする。外側にいると監視兵に蹴られることが多いから目立たないように群れの中に隠れるのだ。囚人の見る夢はだいたい、パン、たばこ、本物のコーヒー、入浴、と決まっていた。
 
――この段階で問題になるのは囚人の「心の支え」と「苦悩の意味」だ。極限状況を生き抜くこの重要な要素と両者の関係をフランクルは次のように説く。

ほとんどの人が惨めな囚人気質に落ちていくが、それは「心の支え」をなくすのがきっかけだ。心の支えには2種類の基盤がある。ほとんどの人はそれを「将来」に置く。ごく少数の人は「永遠」に置く。後者はむろん宗教的な人だ。永遠を念頭に置いているから当面の、強制収容所で生き延びるという無理な要求を限られた将来に期待しなくてもいい。だから気持ちをしっかり持つことができた。

一方、将来に期待をつなぐ人たちは悲惨だった。将来のいつ解放されるのか、何の手掛かりもないのだ。「6週間後にわれわれは解放される」「もうすぐ戦争は終わるらしい」。そんなうわさが毎日飛び交い、その期日になるといつも延期された。期待は必ず幻滅となり、それが重なるたびに人々の心の空虚はいよいよ深まり、実際、ある著名な音楽家囚人は衰弱し、死んでしまった。自殺者も後を絶たない。

このような囚人の心を精神医学者の立場から治療する方法はないものか。
フランクルニーチェの言葉をおもう。「生きることに理由のある人、つまり生きがいのある人はどんな生活状況にも耐えることができる」

囚人たちの生きがいは生き延びることだった。しかし、現実には生き延びる可能性は絶無に近い。その絶望の中で、生き延びる意志を持ち続け、奮い立たせる方法はあるのか。医者による「心の癒し」といってよいものだが、それはたいへんな難事だった。フランクルは収容所で実際に体験した事実から処方箋を組み立てていく。

それは「生きることそれ自体に意味があること」。また、「死や苦悩も人生を構成する要素であり意味があること」を自覚してもらうことだった。このふたつが組み合わさったとき、絶望の状況の中にも生き延びようとする意志が生まれるに違いなかった。(つづく)