231 宗教を科学する(17)現在を未来から眺めるトリック 

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 231
231 宗教を科学する(17)現在を未来から眺めるトリック 

きびしい生存条件の強制収容所を耐え抜いたのは頑丈な肉体の持ち主ではなく、むしろ繊細で感じやすい気質の人々に多かったとフランクルはいう。この人々は現実環境と関係なく自分の内面に別の世界を創出する。そこには精神の自由があり、過去の平凡だが和やかな家族たちの暮らし、普通の日々が存在する。
周囲の世界は恐ろしくても一歩そこへ入れば外的条件とは別に内面は異なった世界が開ける。肉体は頑健でなくても、精神的に高い生活をしていた人々は、イメージの世界へ逃げ込み一服することが出来るのだった。フランクルはそれを「内面化」と呼ぶ。

たとえば、前回の妻との架空会話などである。
自分を愛し待ってくれている人がいる! 一人でもそんな人を持っている人は幸福だった。その面影や柔らかな眼差しを思い出すだけで人々は感動し、涙を流すのだった。それが一時的にしろ、周囲の過酷極まりない現実を忘れさせ、耐える回復力をもたらせてくれた。

この内面化の対象は愛する人だけでない。芸術や自然にもついてもいえた。
フランクルはいろいろな例をあげている。
囚人たちがアウシュビッツからバイエルンに鉄道輸送されたとき、ザルツブルグの山々が夕焼けに輝いていた。それを囚人運搬車の鉄格子の覗き窓から囚人たちはうっとり感動的に眺めている。「これがすでにその生涯を片づけられてしまっている人間の顔だろうか」と学者らしくフランクルは観察している。

バイエルンの森で、一日の労働を終え、疲れきってスープの匙を手に持ったまま死んだようにバラックの土間に横たわっていたとき、一人の囚人が飛び込んできて、「早く来い、日没がすばらしい」とみんなを呼びに来た。極度の疲労や厳寒にもまして自然の美しさを見逃させまいとしたのだ。みんなは言われるままに外に出た。
収容所の荒涼とした灰色の掘立小屋と泥だらけの点呼場の上にこの世ならぬ幻想的な色彩の光景が広がっていた。感動の沈黙が数分、そのあとだれかが「世界ってどうしてこんなにきれいなのだろう」とつぶやく声がした。

あるいはこんなこともあった。
労働苦役で囚人たちが堀を作っている。空も、囚人たちの顔色もボロ衣も何もかも灰色だ。灰色の気持ちでフランクルは何千回めかの妻との対話を始める。そしてこれも何千回めかの嘆きと訴えを天に送り始める。なぜ自分はこのような苦しみと犠牲を払わねばならないのか。こうしている間もゆっくりと死が近づいている。こういう私の生きざまにどんな意味があるというのか。その答えを求めてフランクルは苦しみ闘う。背水の陣の闘い、最後の抵抗である。
妻の面影が浮かぶ。妻は手を伸ばせば抱けるほどの近くにきている。フランクルは高揚し、精神の力が周囲の灰色を貫き通すのを感じるのだった。そのとき、バイエルンの朝の絶望的な灰色の地平線の彼方の農家の窓に明かりがポッとついた。それはまさに聖書の「光は闇を照らしき」の一節のように象徴的だった。

囚人たちがもっとも重苦しく思うのは「いつ釈放されるか」その期限がまったくわからないことだ。むろん、いつ理由をつけて抹殺されるかもわからない。普通の人間のように将来に向かって存在することができない。何一つ目的を設定することができない。人間は過去や現在、未来をセットにして生きる動物だ。いわば「永遠の相の下に」存在する。多くの囚人たちは将来を失い、自分のよりどころを失い、壊れていった。現実と異なった世界づくりーー内面化作業には過去をみつめるだけでなく、未来の視点へ逃避することも必要なのだった。

フランクルがイメージした自身の未来図の1シーン。
美しくて暖かい大きな講演会場の演壇から満場の聴衆に語りかけている。講演のテーマは〈強制収容所の心理学〉。現在の自分の苦悩を頭の中で過去のものとして整理分析して未来の視点から報告しているのだ。いま自分をこんなに苦しめ抑圧しているさまざまなことが客観化され、論理化され、科学性のより高い見地から描かれる。未来の視点に立って、現在を過去のように振り返る、このトリックによってフランクルは現在の苦悩する自分自身を心理学的、科学的探究の対象であるかのように突き放して見ることができた。現在の過酷さがすでに過ぎた日々であるかのように見ることもできた。自分を現在の環境、苦悩より上位に置くこともできたのである。

未来をねつ造できない囚人は、やがていろいろな壊れ方をしていく。
ある囚人は、ある日バラックに寝たままで横になり、衣類も着替えず手洗いにもいかず、始業の点呼場にも動こうとしなくなる。懇願、威喝、殴打、すべて無駄である。自己を放棄し、糞尿にまみれて死かガス室かへ向かう。
いつ戦争が終わり,解放されるかを夢で知ったと喜んでいたある著名な作曲家の囚人は、その日がきても戦争は終わらず、失望して発病し死んだ。どんなに小さくても希望がないと人は生きていけない。フランクルのようなトリックは次々更新される必要があるのだった。(つづく)