218 宗教を科学する(4)神秘主義者エックハルト

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 218

218 宗教を科学する(4)神秘主義エックハルト

「何らかの目標を志し、それに向かって当人なりに真剣に生きるなら、それはすでに宗教である」というのが著名な社会心理学者フロムの宗教の定義だ。だからこの世を真剣に生きようとする人間にとって宗教は欠かせないことになる。フロムによると、この宗教は2つの基本型に分けられる。
ひとつは「権威主義」、もうひとつは「人間主義」である。

権威主義的宗教は、人間以外のものに絶対的な権威を認め、それに盲目的に従う。権威とは例えば神や仏や自然である。こういう権威主義は宗教だけでなく、政治など人間生活のさまざまな領域で姿をあらわす。国家主義ファシズムなどもこの権威主義的宗教の一種にはいるとフロムはいう。

一方の人間主義的宗教は、人間の外の権威を認めず、人間自身のうちに真に尊ぶべき権威を見出す。例えば理性・愛・自由・創造性といった人間性の尊厳のなかに権威を認め、これを育て守り抜こうとする生き方を指すとしている。

もっともこの基本型は特定の宗教にそっくりあてはまるというのでなく、たとえば仏教にもキリスト教にもそれぞれ権威主義的な側面もあれば人間主義的な側面も含まれている。要するに多くの宗教は「尊厳な人間性を開発し練磨していく」働きを備えており、その部分をフロムはヒューマニズムの宗教、と呼ぶわけだ。
一例をあげると、禅仏教は「人間が本来の面目にめざめて突如、根本的な真理を悟る」と説き、キリスト教でも「神の国は汝のうちにあり」とイエスが教えた。これらは人間主義の立場を示している。
人間主義的宗教というと、現代のボクたちにも親しみやすいが、突き詰めていくと神秘主義の要素が濃くなる。

神秘主義というと、有名なキリスト教神秘主義エックハルトの悲劇を思い出す。
エックハルトは中世ドイツの高名な神学者パリ大学の教授やドミニコ会の要職を歴任した。しかし、晩年その神秘主義ゆえに異端とされ、死後600年間、彼のすべての著書は破棄され、著書の保存者までが極刑に処せられた。名誉回復したときは逆に学聖としてまつられたが、彼に関する文献はほとんど残されていなかったという。

彼の神秘主義はたとえば次のような言葉になっている。
「ある人びとは、あたかも神がかなたに立ち、自分たちがこちらに立っていて、まさに神に会おうとしているのだと想像するが、そうではない。神と私、すなわちわれわれはひとつなのである。」
フロムはこの言葉を「神の国は汝らのうちにあり」というイエスの言葉に一脈通じる人間的な響きをもっていると指摘する。
ある意味で、神と個人を対等に位置付けているともいえよう。それゆえ神を絶対者として奉る当時の教皇の怒りを買ったのだろう。

以前、落ち込んだ時、エックハルトの著書「神の慰めの書」を斜め読みしたことがある。読みやすい文章ではないが、例えばこんな箇所が記憶に残った。
「病にかかり肉体の激しい苦痛の中にあるとしても、もし家屋の中に在ることができ、飲食の糧に不足なく、医師や親しい友人らの同情と心づかいがあるならば(略)、彼と同じ苦しみ、あるいはそれ以上の激しい苦しみを受けながら一杯の水すら差し出してくれる人のいないかわいそうな人々はいったいどうなるのか? 彼らはひからびたパンを求めて雨にぬれ雪にうたれ寒さに凍えつつ、さまよわねばならないのである。さればお前が慰めを得んと欲するならば、お前より幸福な人のことを思わず、お前よりはるかに不幸な多くの人々の身の上にお前の心を集中するがよい」
もうひとつ。
「ある人が100マルク持っていたが、そのうち40マルクを失った。彼がどこまでも失われた40マルクのことを思い続けているなら、彼は慰められない。損失と打撃にのみ心を向けているとその痛手はいつまでも彼にまといついて離れない。これに反し、断固として残りの60マルクを凝視し、それとのみ関係するなら彼は必ず慰藉を与えられる。それゆえにソロモンは言った。『苦しみと悲しみの日に楽しき日を忘れることなかれ』と。もしお前が苦悩と不快に陥ったならお前がまだ失わないでいる善きもの快適なるものを思い浮かべ、それを善用せよ。お前がまだ持っている60マルクをもし与えられるなら、王侯貴族になったような富裕な気持ちになり神に感謝をささげる人が幾千人いるかしれないことを考えてみるのもお前の慰藉の種になるだろう」

キリスト教嫌いのニーチェエックハルトを例外的に敬愛した。ニーチェは苦悩に埋もれた生涯だったが、有名なルー・ザロメとの「魂が震えるほど幸福な一瞬」を経験した。この出会いは失恋に終わりニーチェは自殺さえ図ったが、人生がどんなに苦しくても素晴らしい瞬間があるなら、何度でも生きてやろう! ニーチェの難解な『永遠回帰』の思想はここから発想されているという説が有力だ。両者はキリスト教では敵対したが、神秘主義では理解し合ったというべきか。

生命科学者で難病の床から数々の著書を出している柳澤桂子さんもエックハルトの「神の慰めの書」の愛読者で、神秘体験を重視しているひとりだ。次回はそのことを。(つづく)