213 宗教と科学(37)宇宙の「虚数」と蝉の幼虫

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213 宗教と科学(37)宇宙の「虚数」と蝉の幼虫

ホーキングが持ち出した〈虚数〉とは何だろう。
ボクらが普通に使う「実数」は二乗すると必ずプラスになる。ところが虚数は二乗するとマイナスの値になる。いわば『想像上の数』だ。これが量子論ではまじめに用いられるらしい。この虚数で表わされる時間とはどんなものか。それは宇宙誕生とどんなかかわりをもつのだろうか。

勝彦先生は理論抜きで、図を使って簡単に説明している。たとえば地上に出る前の段階――地下の隠れた部分ですでに時間はカウントされていると仮定する。これを虚数の時間という。
宇宙はいわば見えない地下で誕生し、この虚数の時間を育つ。そして一定期間を経て地上に姿をあらわす。その瞬間をわれわれは宇宙の起源といっているが、宇宙は実際には地下で生まれ虚数の歳月を過ごしてきたのだ。だから地上に出てきた宇宙について誕生の最初の1点を見極めることはできないという理屈である。

なんだかセミ(蝉)を連想してしまうなあ。地上にあらわれてけたたましく夏を叫ぶけど、それは誕生の瞬間ではない。それ以前にずっと地下で生息していたのだ。これを宇宙に例えるなら、「地下にいたセミの幼虫時代は知らないが、地上に出たときなら科学で計測できる。宇宙の地下時代は隠れているからとりあえず『虚数の時間』ということにして、地上に出た瞬間を宇宙の誕生ということにしよう」といっているのだ。

ホーキングは「宇宙はある1点から始まったのではない。虚数の時間においてどこから始まったのかわからないようにして始まった」と主張し、さらに「宇宙の境界にはそもそも果てというものがない。強いて〈果て〉といいたいなら、それは決して尖った1点ではなく、ツルっとした平べったい時空だ。そこからすべては始まる。」と表現している。これがホーキングの「宇宙の無境界仮説」と呼ばれる学説だ。

どう理屈づけようと、この説に従えば宇宙は虚数の時間として始まらねばならない。虚数なんて、「ユーレイ(幽霊)」というのに似ているじゃないか。これが科学といえるのか。万人が納得できるのか? ボクのような無知で疑い深い素人衆をホーキングもお見通しだったようだ。勝彦先生によると、ホーキングはこんなことをいっている。

虚数を使うのは単なる数学的トリックにすぎないではないか、実体や時間の本質について私が何も語っていないとみなさんが疑うならそれでもかまわない。しかし、私のように実証主義者の立場に立てば実体に対する問いは何ら意味を持たない。観測結果を説明する数学的モデルを定式化するのに虚数の時間が役立つかどうかということだけが重要なのだ」(ホーキングの『最新宇宙論』)
そして勝彦先生自身も、この著書の解説で「虚数の時間は実在の時間と同じように存在するのだと考えて思考を展開した方がイメージが浮かび研究が進むのであるから、実在すると考えた方がいいのでないか」と書いた。

ボクのような科学信奉者からみると、科学者って随分いい加減だなと思ってしまう。虚数の時間って要するに、自分の思うことをごり押しして正当化するための便法なのかしら。宗教の、たとえば「奇跡」などに似ているなあ。

事実、勝彦先生は宇宙創造の一般向け講演では『現代の創世記』と旧約聖書ばりのタイトルをつける。それというのも現代の宇宙創造を科学的に説明するのは理論的にも実証的にも難問矛盾が山ほど残っているからだ。(宇宙創造は万有引力相対性理論量子論をミックスした『量子重力論』が担うが、これがまだまだ未完の代物なのだ)

科学得意の実験ひとつできない。相手は無限の宇宙の、それも137億年?前にさかのぼる時空なのだから手がつけられないというのが現状だ。
従来の物理学的宇宙研究の基本は地上の実験で確認された法則を天空にあてはめたものだ。ニュートン力学ではこれは正しかった。しかし、その後相対性理論量子論が生まれたことでこれまでの宇宙研究の不備が相次いで明らかになっている。

これからの宇宙研究はどう進んでいくのだろうか。
悲観的な見方も多い。
:そもそも人間の脳や認識力には限界があって宇宙の始まりや果てなどわからない。

:実験用のミニ空間モデルでは宇宙の大きさを時間で代用するが、宇宙が収縮する段階の応用が難しい。

:これまでの宇宙観測は地上での単純な確率で試算していたが、量子論が導入されたことで宇宙の複雑な推移の条件を考えねばならなくなった。宇宙の空間と時間は複雑に分岐と合体を繰り広げているのだ。「量子重力論」は基礎的な理論さえまだできていないという。(つづく)