212 宗教と科学(36)〈無〉からポロリと飛び出した宇宙の卵

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212 宗教と科学(36)〈無〉からポロリと飛び出した宇宙の卵

 広大無限の宇宙をさかのぼると「特異な1点」に達する、と科学は主張する。その特異点は科学的に計算すると温度も密度も重力も「無限大」にならねばならない。けれど実際には「無限」という数値は存在しない。科学の方程式では使えない。だから結局、科学は宇宙の始まりを解明することができないのか。科学はここにきて立ち止まってしまう。

宇宙の始まりはやっぱり科学以外の、神のみぞ知る、ということなのかーー科学者たちの間でもそんな声が出始めた1983年、ウクライナ生まれの物理学者ビレンケンは開き直ったような仮説を発表した。
「宇宙は物質も時間も空間もない〈無〉から生まれた」というのだ。

これについて勝彦先生は少年向けの本に書いている。
 「宇宙が〈無〉から生まれたなんて、なんとも奇妙なアイデアに思えます。でも、宇宙が〈何か〉から生まれたとしたら,『ではその〈何か〉は何から生まれたのか』ということになり、次々きりがありませんよね。そこでビレンケンは〈無〉から〈有〉が生じたという論法を持ち出したんです」

 ある存在を別の存在で説明しても説明にならない。その存在の前は…?という問いが絶えず無限に続くからだ。これは論理的にも自明である。だから一足飛びに〈無〉をもってきたのだが、じつはこの無の概念はボクたちの想像するものとはすこし違うらしい。解説書を読んでもよくわからないので勝彦先生がわかりやすく簡略化して書いている個所を抜き書きすることにしよう。

 「量子論が発見した『ミクロの世界における物質の不思議なルール』の1つがこの世に『何もない』という状態は物理的にあり得ない。何も〈無い〉とされる真空中であってもその中にエネルギーは存在している。また、真空中のいたるところでミクロの素粒子が突如としてポッと生まれ、次の瞬間には消えてなくなるということを繰り返している。つまり真空は完全な〈無〉ではなくて常に〈有〉との間を揺らいでいる。このような〈無〉の中から〈有〉すなわち最初のミクロの宇宙が生まれたというのがビレンケンの主張だ。これを無からの宇宙創造論という」
 
 この「宇宙の始まり」はまだ科学的に証明されていないが、多くの科学者が支持しているそうだ。科学者さんもけっこうブレまくるが、念のため、勝彦先生が監修する別の本からも引用しておこう。

「ごくごくミクロの世界では〈無〉の状態であっても時間やエネルギーの値がそろってゼロというわけではなく、〈揺らぐ〉のである。その揺らぎもわれわれがイメージする〈3次元の空間と1次元の時間〉という枠組みでなく、時間と空間の区別もない世界で、超ミクロの宇宙が生まれては滅び、滅んでは生まれ、ゆらゆらと明滅していた。ところが約137億年前にその揺らぎが突然、超ミクロな宇宙としてポロリと出現し、時間が流れ始めたのである」
〈ポロリと出現〉の言い回しが、神話か、おとぎ話のようでなかなか臨場感がある。

ビレンケンはもうひとつ、量子論が明らかにした「トンネル効果」に注目する。野球のボールを壁にぶつけてもボールははね返される。壁を突き抜けるにはボールにすごいエネルギーを与えねばならない。ところがミクロの世界は不思議だ。電子を薄い膜に閉じ込めると電子は十分なエネルギーがないのに膜を突き抜ける。エネルギーを一時的にどこかから借用するのだ、借りたエネルギーはそのあと元通り返す。ミクロの物質のこんな奇妙な性質を量子論はみつけたのだ。

この真理をビレンケンは宇宙誕生にもあてはめる。
最初の宇宙もまたエネルギーゼロ、大きさゼロの〈無〉の状態で生滅していた。それがある時突然、どこかからエネルギーを借りて(トンネル効果によって)極小の大きさをもった〈有〉としてポロリと出現したという論理である。

出来すぎたお話に聞こえるが、一応、科学的にきちんと説明はできるらしい。
これを「無からの宇宙創造論」というそうだ。この理論によって科学は無限大の温度、密度、重力、曲がり率の難問をはらむ特異点を隠してしまったことになる。

ビレンケンの発表からほどなく、あの車いすの天才ホーキングがまたも新説を唱えて名乗りを上げた。約20年前に特異点定理を証明し、宇宙の始まりを科学的に解明する道を自ら閉ざしたかにみえたが、新たに〈虚数〉の概念を持ち出して再び道を切り開こうとするものだ。それは特異点とも関係なく、ビレンケンの「無からの宇宙創造論」説とも異なる、宇宙誕生の謎に挑む第3のアイデアだ。(つづく)