208 宗教と科学(32)宇宙人存在説を唱えて火あぶりの刑に!

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 208

208 宗教と科学(32)宇宙人存在説を唱えて火あぶりの刑に!

神学者アクィナスはなぜアリストテレスの合理的な自然学的宇宙観を全面的に否定しなかったのだろうか。むしろ取り入れる姿勢をみせたのだろうか? 宇宙観は、「神の中世」と「学問のルネサンス」のはざまで揺れ動いたのだ。

聖書かアリストテレスかーー神と学問の狭間で宇宙観は揺れる

ヨーロッパのキリスト教による「中世の暗黒時代」は終わりを告げつつあった。埋もれていた古代ギリシャやローマの学問がイスラム世界から里帰りし、ヨーロッパを席巻していた。哲学書天文書などがアラビア語からラテン語に続々と翻訳されていった。そういう空気の中で人々は聖書の「神がある時、宇宙を造った」説とアリストテレスの「宇宙は永遠の過去から永遠の未来まで続く」説の間でとまどっていた。
神学者たちの間には「二重真理説」を唱える動きも出てきた。聖書の記述は「信仰における真理」であり、アリストテレスの自然学は「理性による真理」で、両方とも受け入れよう、というのだ。神が示す真理もあれば、人間の頭が考える真理もあっていいじゃないか、という姿勢だ。

アリストテレスの哲学も科学も道具にすぎぬ、神の召使だ

アクィナスの共存説もこの延長線上にある。
彼は宇宙の始まりは、あるとき神が創造したというのが唯一の真理と信じていたが、宇宙の構造についてはアリストテレスのほうを認めた。矛盾があってもそんなことはどうだっていいじゃないか。だれの手によってであれ、宇宙の仕組みが明らかになるのは神の偉大を明らかにすることになるのだから。
アリストテレスの哲学も自然科学も神の栄光を証明する道具にすぎないーー「哲学(または科学)は神学の召使である」というのがアクィナスの論理だった。
勝彦先生は「アクィナスは神の権威のためにギリシャの学問を召使に雇い入れた。でも、召使はやがて神から自立し、自身の後継者となる近代科学を生みだし、主人であった神を引きずり降ろし、代わって合理性を土台とした近代科学が宇宙に君臨することになる」と神と科学の逆転を告げている。コペルニクスガリレオニュートンらの登場である。

「数学のトリック」とねつ造されたコペルニクスの地動説

ポーランド生まれのコペルニクスルネサンス最盛期のイタリアに留学中にアリストテレスプトレマイオス天文学に接し、地動説を信じるようになった。しかし、故国に戻って教会の役員をしていたコペルニクスは慎重だった。教会は天動説を公認していたからだ。彼は地動説を説明する論文『天球の回転について』を書いたが、一部の親しい人にだけ見せた。ところが、論文の写しがひそかに天文学者や教会関係者の間で回覧され意外にも多くの支持者を得る。当時のローマ教皇でさえ、出版を促す手紙を送ったと伝えられる。

一方、コペルニクスを激しく攻撃する勢力もあった。その筆頭は宗教改革の立役者、ドイツのルターだった。旧約聖書の『ヨシュア記』には「太陽が動く、と書かれている。コペルニクスは聖書を否定し、天地をひっくり返そうとするバカ者」とののしった。コペルニクスはこの世を去る直前に出版を決意し、友人の牧師に論文を渡す。しかし、牧師はルターたちの攻撃を恐れ、この歴史的な本に「この本で紹介する地動説は惑星の動きを簡単に説明するための数学的なトリックにすぎない」と序文を勝手にねつ造した。その本が出た数週間後にコペルニクスは他界した。

彼は地動説を唱えたけれど神を信じていた。宇宙は偉大な創造者の厳粛な作品と認めたうえで「神が造られた美しい宇宙の姿にふさわしいのは天動説よりも地動説なのだ」と確信したのだった。

無限宇宙説や宇宙人存在説も唱えた稀代の天才ブルーノは素人だった

コペルニクスの地動説はヨーロッパ各地に広がった。ミラノ生まれのキリスト教司祭だったブルーノは地動説に賛同したが、太陽が地球の中心にあるというコペルニクスの考えには異議を唱える。太陽だけが特別な存在ではない、宇宙には無数の太陽があり、その周りを回る地球のような星も無数にあり、宇宙は無限の大きさを持っている。

さらに地球のような星が無数にあれば、宇宙には人間のような存在も無数にいる可能性がある。宇宙人の存在まで視野にいれたのだった。ブルーノは天文学者でも科学者でもない。これらの無数の太陽説、無限宇宙説は科学的に考察されたものでない。にもかかわらず、「のちのニュートンと同じ宇宙観を抱くとは稀代の天才」と勝彦先生は驚嘆している。

しかし、この天才の無限宇宙説と宇宙人存在説はあまりに過激で、宇宙は有限、地球も太陽も人間も唯一の存在であるというローマ教会と対立し、宗教裁判で自説を放棄するようにいわれるが、ブルーノは頑として拒む。8年の獄中生活の末、火あぶりの刑に処せられた。
敬虔な司祭で神の偉大を信じた彼は「神が、有限な宇宙や、たった一つの太陽、たった一つの地球しか造れないはずはない」。彼が無限宇宙説を唱えることは神の全能性を称えることだったのに。(つづく)