207 宗教と科学(31)古代ギリシャに突如出現した「合理的宇宙観」

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207 宗教と科学(31)古代ギリシャに突如出現した「合理的宇宙観」

ここらで宇宙論をめぐる「宗教と科学」の歴史をまとめておこう。ボクが理解できる範囲で勝彦先生の多くの著書・監修書から要約する。中心になるのは論文『現代物理学の宇宙観』(岩波書店)である。

天文学は古代に誕生した最古の科学だ。しかし、この科学の主役は神だった。古代の人々の営みはさまざまな自然現象と密接につながっていたが、自然現象は神の行為と信じられていた。天文学は神のメッセージを知るための科学だったのだ。こうした古代人の宇宙観は世界各地の神話にあらわれている。科学と神話(宗教)の共存時代だ。

それが今から約2500年前、古代ギリシャに突如、異色の合理的・科学的な宇宙観が出現した。なぜだろう? それは当時のギリシャで芽生え始めたデモクラシー、民主主義の影響である。政治形態がどうして宇宙に関係するのか。その理由はつぎの二つ。
1、神話は『支配者のための物語』の側面を持つ。「この世界を造ったのは神であり、われらの王は神の子孫であり、人々は王に従わねばならない」というパターン。だが、そのころギリシャでは商工業を営む民衆が富を蓄え、農民も戦闘に参加するなど、支配階級の力が弱まり、民主主義の動きが活発になってきた。それは支配者用の神話・宇宙観の弱体化につながる。
2、海上交易がさかんになり、異国の神話に接触する機会が増える。神話にあらわれた宇宙観は国によって違う。いったい、どっちが本当なのか。ギリシャの人々は神話を疑いだし、神話に示された宇宙像を鵜呑みしなくなった。こうして神話の代わりに、人間の頭で合理的に考えようとする『自然哲学』が生まれ、宇宙観の洗い直しが始まったのだ。

 「大地が宙に浮いている」、「大地は球体であるという地球説」、「地球が太陽のまわりをまわっているという地動説」、これらはすべて古代ギリシャで発想された。

やがてヨーロッパはキリスト教が人々の生活と思想を支配する「中世の暗黒」と呼ばれる時代にはいる。教会はキリスト教の都合のいいように「地球が宇宙の中心であり、他のすべての天体は地球のまわりを回っている」という天動説などを人々に押し付け、異なった考え方は封殺された。古代ギリシャの合理的・科学的な考えから生まれた宇宙像は埋没していった。

この中世の時代、宇宙論でもっとも注目されるのはキリスト教会最大の教父といわれた神学者アウグスティヌスの〈宇宙の始まり〉論だ。彼の書いた『告白』は世界最初の自伝で、時間論、哲学書としても名高いが、このなかで「神はなにもないところから宇宙を造り上げた」と宇宙の〈無からの創造〉説を述べている。それまで宇宙の始まりは「最初に何かがあって、その何か」から宇宙や世界は誕生した、というのが当時の常識だった。

しかし、アウグスティヌスは「偉大で全能の神は無から世界を創造した」と神を称え、また、「神は宇宙・空間とともに時間を作り出した。宇宙が始まる前に時間は存在しなかった」という有名な時間論を展開している。

アウグスティヌスは4世紀から5世紀にかけての人だが、「宇宙は無から生まれた」「宇宙が始まる前に時間はなかった」という二つの主張は現代の最新宇宙論と一致する。彼はギリシャの合理的な宇宙観を批判し、「自然や宇宙を造ったのは神だ」とあくまで宗教的立場を貫いたが、皮肉にもギリシャの自然哲学の流れを汲む現代科学とここで合流することになった。

一方、イスラム世界に受け継がれていた古代ギリシャ古代ローマの自然学・天文学・哲学は12世紀になってヨーロッパに逆輸入される。約1000年ぶりの浮上だ。人々は先人の合理的思考(科学)に驚嘆するとともに聖書(宗教)とのギャップに悩む。
たとえば古代ギリシャアリストテレスは「宇宙は永遠の過去から永遠の未来まで続く」と考えた。しかし、聖書には「神は世界を創造した。宇宙はある時から始まった」と書かれている。この矛盾をどう解消すればいいのだろう?

ここで登場するのが中世最大の神学者アクィナス(13世紀)だ。彼はあくまで神が世界を創造したこと、宇宙には始まりがあること、それが唯一の真理と信じた。しかし、アリストテレスの宇宙観を否定するのでなく矛盾のないかたちで聖書の宇宙観に取り入れることに心を砕いた。その結果、アクィナスは「宇宙に始まりがあるというのは、信じるべきことであって、論証すべきことでない」と主張した。人間の理性には限界がある、宇宙の始まりを知ることはその限界を超える。議論しても始まらない、ただ聖書を信じればいいのだ、という考え方だ。ちなみに、アクィナスは「信」と「知」を明確に区別したうえで両者を有機的に組み合わせて神学を樹立したことで歴史上名高い。

勝彦先生は「宇宙の始まりは信仰の問題で、理性的(科学的)に論証することは不可能だと、このときアクィナスは考えた。しかし現代の宇宙論は違う。いまや科学的に宇宙の始まりを議論しているのだ」と誇らしげに付け加えている。                        (つづく)