199 宗教と科学(23) 赤ちゃん宇宙の前は…!? 

    ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 199

199 宗教と科学(23) 赤ちゃん宇宙の前は…!? 

 宇宙の起源はいまのところ、ビッグバン、ということになっている。これは科学陣営の推論の結果であるが、宗教陣営(とくにカトリック教会)にとってもウエルカムらしい。

というのはキリスト教――カトリック教会の教義ではいまの宇宙は神のみわざによってあるとき創り出され、また、神のみわざによって、いずれ滅びていかねばならないのである。始まりも終わりもない永遠性の宇宙では困るのである。なぜなら神の出番がない、神の存在証明が危うくなる。
ビッグバン説以前は、むかしむかし大昔、人類や科学のはるかおよばぬ遠いむかし、神がつくりたもうた、と天地創造のタイミングがぼやけていた。明確でなかった。ビッグバン説が登場したことによって、神が宇宙をつくった日取りが明らかになった。ここでは宗教も科学も一致する。仲よく共存である。

ビッグバンはいまから180億年前(ほかに150億年前、137億年前など諸説あり。どっちみち大差はないが)、宇宙は大爆発し、今日に至る。以来宇宙の歴史は180億年ということになるが、それはいったいどれくらいの長さなのか。米国の科学者カール・セーガンは〈宇宙カレンダー〉というものを作成して実感させてくれる。
宇宙の歴史を1年間に縮めたこのカレンダーによると、元旦に創造された宇宙に私たちの住む地球が誕生したのは9月初秋のころ(約40億年前)。その地球上に原始人のホモサビエンスが生まれたのは大晦日の午後11時48分(約40万年前)、古代文明の成立は午後11時59分53秒(約4000年前)となる。私たち人類が文明の歴史と考えてきたものは大晦日の最後の数秒間に起きた出来事に過ぎないのだ。

広さはどうだろう。
私たちの地球が所属する「天の川銀河」には2000億個の星がちらばっているが、宇宙全体からみると、この銀河そのものがありふれた島宇宙のひとつにすぎない。全体ではこんな銀河・島宇宙が1000億以上も広がっていると推計される。

人間の感覚ではどうしようもない広大な時間と空間だが、人類の科学はすごい。
時間的にいえば、180億年の歳月を極限に近いまでさかのぼり、ビッグバンの直後にまで歴史をたぐり寄せたのだ。
一方、空間的にはなんと宇宙が「半径1センチ」のころまでさかのぼって赤ちゃん宇宙を突き止めることができたのだ。わが国の代表的な宇宙論者で京大名誉教授の佐藤文隆さんは「宇宙が1センチだったころまでは物理学者が実証性を持ってさかのぼることができる」と断言している。

同時に佐藤さんはつぎのようにも書いている。
「宇宙の始まりについて語ろうとすると、具体的な話に入る前にとたんに深遠な根本問題に入ってしまう。それは『宇宙の始まりの、その前は何か?』という問いである。人々は宇宙と聞くと急にむきになって形而上学者たろうとする。そして『自分は始まりという根本問題だけを聞けば十分だ』といって途中の推論に耳を貸さない」

その通りだ。ボク自身がいまそうなのだ。宇宙の根源的起源とはーー「180億年前」の「1センチの赤ちゃん宇宙」と科学は解明したと言われたって、でも、その前があるだろ、その前は何だったんだ、と言いたくなる。結論的に言ってその先のことはさまざまな仮説が入り混じり定説はまだない。ここでは仮説の代表例を2つあげよう。

ひとつは米国の物理学者アレクサンダー・ビレンキレンの「真空の揺らぎ」説。難解な理論は省略するが、完璧な空虚、無の状態でも揺らぎは生じる、それによって宇宙の胎児がポロリとこぼれ落ちビッグバンに至ったという。「無からの創造」はかつてはキリスト教神学のドグマだったが、ここにきて現代物理学とつながるわけか。
もうひとりは、かの車いすの天才、英国の物理学者スティーブン・ホーキングである。

1981年にバチカンイエズス会が催した宇宙論会議でローマ法王は「ビッグバン以後の宇宙の進化を研究するのは大いに結構だが、ビッグバンそれ自体は探求してはならない。それは創造の瞬間であり、神のみわざなのだから」とスピーチした。
これに対してホーキングはつぎのように反論した。田中さんらの文章を要約する。
アウグスティヌスが指摘したように、時間はただ宇宙の内部のみで定義され、その外部には存在しない。一般相対性理論では時間は宇宙の中の出来事にラベルを貼る座標にすぎない。時間空間の外部ではいかなる意味ももたない。宇宙が始まる前に何が起きたかを問うことはナンセンスである。単に定義されていないのである。創造され、おそらくは終末に達する宇宙について語るより、人は単に『宇宙はある』というべきだろう」
宇宙は自己完結的で創造主など無用であるとローマ法王を切り捨てているのだ。

でもボクは時間、空間は宇宙の内部だけの話であり、その外側を問うのは無意味と言われても、つい思ってしまう。ポロリとこぼれ落ちる赤ちゃん宇宙のその前は、とつい問いかけたくなる。カントが人知の限界と言ったのはそのあたりのことを指しているのでないだろうか。人知の限界の向こう側に人間や科学を超える何かがひかえているような…。

田中さんは「神と宇宙の関係について、このような意見の対立そのものをより次元の高いレベルで総合的に見直す新しい観点が必要ではないか」と指摘している。