196 宗教と科学(20) 立花隆さんの癌ルポ特集から

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196 宗教と科学(20) 立花隆さんの癌ルポ特集から

生物に続いて、話題を「宇宙」に転じる予定だったが、今回は番外で「癌」にまつわる話。
立花隆さんが、がん征圧に取り組む最前線をルポする3時間のNHK特集をみた。ここで明らかにされた癌細胞は、これまでに紹介した清水博東大名誉教授の〈生物システム〉を地で行くものだ。その臨機応変な働きは最新科学でも予測不可能、どうにも手に負えないらしい。
そして印象的だったのは特集のおしまいに登場する鳥取県の末期がん患者である。先端科学や研究の成果にもまして、この老女のどこか宗教的で素朴な一言が特集の締めくくりに置かれていた。

 うろ覚えながら、順不同でルポの要点を並べよう。
 いちばんピンときたのは「同じ部位の癌、同じ病名の癌でも、個人によって癌細胞の働きや性質は異なる」ということだ。これまでもときどき耳にしたことはあるが、えらい学者によって「科学的」に説明されるとあらためて癌のふしぎ、生命のふしぎさを考えさせられた。
 癌細胞は、人それぞれ、固有のものなのに、いまの医学はワンパターンに分類してだれにも同じような治療法を適用している。「こんなおおざっぱなやり方では治療法とはいえませんよ。いつになっても癌は征圧できません」とえらい先生は言い放っておられた。おなじ大腸がんになっても、ボクと彼と君とあなたでは、それぞれ性質や働きの違う大腸がん細胞を持っていることになる。当然、治療法も異なってくるはずだ。人それぞれの癌細胞に対応し、人それぞれの治療法を編み出さねばならないのだ。

 ではどうすればいいのか。
 もっともっともっと、できるだけたくさんの人の癌細胞を集め、いちいちその働きや性質を見極めていかねばならない。そのサンプルは多ければ多いほどいい。
 そのうえ、癌細胞は個人によって異なるだけでなく、機能や働きの仕方がこれまた千差万別。清水さんがいうように、関係性、相互依存性によってそれぞれに異なってくる。科学では予期できない、あらかじめ規定できない働きをするのだ。だからまわりの細胞との組み合わせに応じて分類を細分化し、原理・論理を集大成せねばならない。ひとつひとつのケースを分離し、対象化し、科学し、最後にそれぞれの対策・治療法を編み出さねばならないのだ。いったいどれだけの歳月と科学と経験と知識を費やせば可能なのだろう。知の超人、立花さんも呆然としていた。

 つぎに癌も身の内、というが、抗がん剤の攻撃を受けた癌細胞を、正常な細胞が身の内に包み隠して保護する映像もあった。「正常な細胞の裏切り」というキャッチフレーズがあったが、正常な細胞も、癌細胞も共同戦線を張っている。じつはどちらも私たち人間を構成する「正常な」細胞でないのか、敵と味方に分けて考えるほうがおかしいのじゃないか、と一瞬ボクは錯覚した。

 それというのも別のシーンで、人間と癌細胞の古い古い、切っても切れない深いつながりが説明されていたからだ。人間の祖先は約6億年前、単細胞から多細胞へスタートしたが、組み込まれた遺伝子の原理はそれ以来進化していない。現在、人類の細胞は60兆個あり、進化の極致にいるが、遺伝子のメカニズムは最古のまま。人もハエも同じ遺伝子のシステムだという。癌細胞はそこに組み込まれ、ボクやあなたとともに進化を歩いてきた本来の固有な要素なのだ。

 このほか、がん治療の泣きどころである「癌細胞の転移」も、人間や他の生物の「正常な細胞」の働きに見られる共通の行動パターンだ。また、人間には「正常な幹細胞」を毒や放射能から守る仕組みが備わっているが、つぎつぎ癌細胞を増殖させる癌の幹細胞にも同じ機能を持つ保護装置がある。正常細胞と癌細胞の違う点は、正常細胞は数日から数カ月で入れ替わるが、癌細胞はつぎつぎ増え続けることだという。
こんな話を聞くと、造物主は正常細胞よりむしろ癌細胞を愛し給うのでないか? と思いたくなる。いや、そこまで言わなくても、人間のまっとうな「死に時」を造物主の指示で癌細胞が教えてくれているのかもしれない。

 ルポの終わり、立花さんは鳥取ホスピス医療に携わる名物医師・徳永進さんの診療所を訪ねる。大沢さんという末期がんの老女に「何を支えに生きてきましたか」と問うと、「家族…」と答えたあと、大沢さんは「泣きつくして涙は枯れてしまいました。けれど、周囲の人たちにありがとう、感謝の気持ちを伝えて死んでいきたいです」と笑顔でお辞儀をした。

 立花さんの最後の締めくくりのコメントの要旨はボクの理解ではつぎのようなものだ。
「癌の取材を通じて、あらためて人間は必ず死なねばならない存在であることを知った。しかしまた、それを知ることで人間は死を乗り越えることもできる。命は大沢さんのいうように、周囲に支えられて横につながる連環体だ。その連環体が縦に連続してより大きな全体の命になる。命は連環体でつながる連続体ともいえる。」

さて、立花隆さんは69歳。膀胱がんの手術を受けている。再発すれば治療法はもうない。再発率は60−80%といわれているそうだ。
 このコメントの底に、ボクは立花さんの思想や意図とはまったく関係なく、宗教的なもの、とりわけ、仏教の色合いを感じとった。(おわり)