191 宗教と科学(15)複雑で自由度の高い人間の「脳内マップ」 

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191 宗教と科学(15)複雑で自由度の高い人間の「脳内マップ」  


前回までは宗教と科学の共通点を指摘した。次いで清水博東大名誉教授(生物システム学)が取り上げるのは生物としての人間にひそむ宗教的要素と科学的要素である。

生命にはいくつものシステムが作用しているが、それらのシステムはそれぞれユニークな特異性や個性を持つとともに、普遍的な性質も併せ持っている。これが生命システムの大きな特徴だ。
たとえばシステムを構成するいくつもの要素は要素同士の関係や、システム全体の状態によって容易に変化する。この不均質なシステムであることがかえって生命システムの柔軟性、安定性、発展性に役立っている。ところがこの不均質システムの原理について科学はなにも解明できていない。

動物が歩くには数百、数千の筋肉が一定の組み合わせで収縮と弛緩を繰り返さねばならない。しかも組み合わせは状況に応じてそのつど変わるのだ。大脳から出される歩行の指令は簡単だが、それによってなぜ多数の筋肉が組み合わせを変幻自在に変えながら運動できるのか。

生物は複雑な環境変化の中で行動し、生命を維持しなければならない。そのためには初めて遭遇する不測の事態にも対応する能力が必要だ。規定不可能な環境の中で生き残るには生物もまた規定不可能な柔軟性を備えていなければならないことを意味している。

生物の生存にとって安定性は必要な条件だが、一方で、安定した状態が固まってしまうと新しい環境の変化に対応する柔軟性(不完結性)を失ってしまう。そこはよくしたもので、生物はいったん安定した状態を内部からわざと不安定にして環境から新しい情報を取り入れようとする。

以上のような生物の特徴・性質はどのような科学的原理に基づくのか、まだほとんど明らかにされていない。謎のままだ。

生命システムを理解する上でキーワードとなるのは「規定不可能性」である。たとえば野生の動物は次の瞬間に自分の身の上に何が起きるか予見できない。経験したことのない動物に出会うかもしれない。天変地異に遭遇するかもしれない。「一寸先は闇」の状態だ。動物のシステム内部ではこうした突発事件に対する対応法は事前には用意されていない。しかし、動物たちは多様な予測できない問題にもそのつど臨機応変に対応する変幻自在なシステムを次々と編み出す。このよく知られた例が「動物の免疫システム」だ。動物がどのような病原を受け取ったかによってそれにマッチした新しい抗体分子が作り出されるのである。

このほかたとえば遺伝子も、それだけでは不完全だ。その周りの細胞質が環境情報を提供してはじめて機能する。その細胞質にしてもそのまた周囲の細胞との相互作用によって決まる。この不完全さ、臨機応変さこそが、動植物の柔軟な形成や修復を可能にしているのだ。
このように生命システムは自分自身だけでは自分の状態を決められない。それは自分単独では不完全な存在であるということだ。生物と環境が一つになって初めてシステムとして完全になるようにできている。

人間は動物の中でも際立って不完全な姿で生まれるが、だからこそ環境から情報を取り込み新しい自分に編成していく余地が大きい、柔軟性が豊かだ。このようにして人間は脳のなかに自家製の世界マップを築きあげていく。自家製マップはそれぞれの人生観と言い換えてもいいかもしれない。生まれつき規定不可能なスペース(白紙部分)が大きい分、世界マップは多彩になり、自らが創造した領域が多くなるというわけだ。

人間に与えられた世界マップ作成用紙は白紙部分が多い。自由なスペースが広い。それが、一方は「宗教的マップ」、一方は「科学的マップ」と種類の異なる二つのマップを作ることができる。人間が「宗教」と「科学」を併せ持つ唯一の動物である大きな理由だ。
ただし、いうまでもなく、この2種類のマップの作成法は正反対だ。本ブログ184回で説明したように、宗教はトップダウン型論理、科学はボトムアップ型論理で構成されているからである。

ところで清水さんは「人間とは何と矛盾した存在であろうか」と慨嘆めいたことを述べている。
規定不可能性が多く不完全で自由スペースが広く外部の環境情報を受け入れやすいという複雑性を内部に抱えていることが人間の発展を保証している。同時に、外部環境に合わせて生き抜いていくためには内部でも矛盾のない状態、ある程度の安定性をつねに維持しておかねばならない。不安定性と安定性、ふたつの矛盾する要請にこたえつつ、人間は進化していく宿命を持っているのだ。

その矛盾性が宗教と科学という一見、対立するモノを内包しながら、人間の歴史を刻んできたのだろうか。(つづく)