187 宗教と科学(11) 「科学」、と称する独りよがり 

       ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 187

187 宗教と科学(11) 「科学」、と称する独りよがり 

 近代科学の手法であるボトムアップ型論理は、要素(アトム)をまわりの環境や境界条件から切り離して調べ上げる。いわゆる自他分離型の論理である。この論理はとりわけ生物にはあてはまらない。不適であると考えられる。

生物の大きな特徴は環境に応じてつねに自分自身を変え、新しい自分自身を創り出していくことだ。それは言いかえれば自分と環境との境界を自分で次々と自律的に創り出していくことだ。環境によって刻々と多様に変化する生物システムの仕組みはまだ客観的に論理化されていない。

清水博東大名誉教授は書く。
「これまでの科学では人間が問題を一つ一つ個別的に取り上げて、それを解くための特別な理論を考えて解いてきた。問題を解く過程でコンピュータの助けを借りることはあっても、問題を解くために必要なルールは人間がつくってきた。このルールを問題に合うように人間がつくって、それによって問題を解く、ということが自他分離型の論理の特徴である」

これでは生物のダイナミックで自律的な変化はとらえられない。ここにも近代科学の論理的限界があると清水さんは指摘する。
本ブログ179、180回に書いた「関係性の喪失」とも何かつながりが感じられる。

生物に対する人間の(科学的)観察や意味づけはひょっとすると、人間の側のひとりよがりなのではないだろうか?

私たちに身近な動物たちにしても、それぞれ固有な方法で環境から信号を受け取り、固有なルールでその処理をしながら外界(環境)を認識している。その認識のレベルに応じてそれぞれの世界像がつくられている。
カエルや魚類の目に見える形状とヒトの受け取る映像は異なるらしいし、犬は色がわからないがそのかわりヒトより赤外線をかんじる。ハチとか鳩、蝶は人間が見ることのできない紫外線を感じることができる。モンシロチョウは赤い色は見えないが、黄色に強く反応する。カレらの世界は人間の見る色の世界とはまったく異なったものであるに違いない。ある特別な動物が見る世界だけが正しいとは言えない。色を感じない犬の外界認識の方が色を感じる人間の外界認識よりあるいは正しい世界像をつくるという理屈さえ成り立つ。

すべての動物たちの認識には当然限界があるだろうが、同様に人間の認識にも限界がないという保証はない。もっといえば、私たちが把握している環境についても、どこまでが環境本体の性質で、どこからが人間の内部で創り出したイメージかを的確に分けることも困難だと清水さんはいう。

清水さんは書く。「我々はプリズムに当たって分散する白色光に様々な色を見るが、そもそも電磁光(見える光)そのものに色がついているということを電磁気学の理論から引き出すことはできない。人間や動物が視覚信号を処理する過程で光の波長に依存した色を感じるように(一種の意味をつけて)認識しているのだ。色は外界にあるのでなく、人間の脳の中にあると言ってもよい。」
門外漢のボクにはこの文章をわかりやすく説明することはできないが、なんとなく言わんとするところは察しがつく。

ついでに、もっと難しく、しかし、重要と思われる文章を抜き書きしておこう。
「(以上のことは)精密な測定や観察を通じて人間が構築してきた世界が、じつは一種の自己言及的な論理構造によって構築された世界である可能性が高いことを示している。このような世界から外へ出ることが可能かどうかも不明である。しかし他方、限界はあるものの、人間はなぜ相互に意志を通じ合うことができるのだろうか。また時には人間と犬の間にも細やかな意志疎通が可能であるが、それはなぜだろうか。人間や動物が互いに興味を持ち合うということは、その自己言及性とどのように関係しているのだろうか」

自己言及的、というのを仮に「自分本位・恣意的・自分だけの価値観」と言い換えてみた。
そして荒っぽく自己流に翻訳すると、[私たちは科学的につかんできた世界像を本物と信じているが、宇宙レベル、自然レベルでいえば、本当かどうかわからないのだよ。人間という一つの種が自分勝手に客観的と思いこんでいるだけという可能性が高い。

思えばこのギャップは人間同士の、個人と個人についてもいえるね。それぞれ独自の性格や人生経験をへて自分本位の価値観でものをみてしまうから。人間と他の動物についてこのギャップは一層広く大きくなるはずだ。真に科学しようとするなら、私たちはこの≪自分の壁]から抜け出さねばならない。
とはいえ、私たちはときに相手の気持ちを察することもある。人間同士の連帯を感じる時も。

いや、動物たちとだって気持の通じ合う瞬間を意識するじゃないか。きのうもそうだった。元ノラ猫嬢とベランダで遊び疲れてぼんやりしていたら、膝に乗ってきたカノジョがボクを見上げている。見下ろすボクと目が合った。カノジョの目の奥は深く、灰色がかった黄色のマンダラ模様がどこまでも広がっている。カノジョの宇宙とボクの宇宙が秋の夕暮れに融け合った、みたいな一瞬だった。人と猫、二つの意識の境界条件が変化したのかな ]

次回も引き続き、清水論文の紹介です。(つづく)