185 宗教と科学(9) 神や仏を信じねばならない理由!?

        ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 185

185 宗教と科学(9) 神や仏を信じねばならない理由!?

 近代科学の特徴は前回述べたようにボトムアップ型論理だ。個から全体へ積み上げていく方式。個を分析し解明し、そのつらなりとして全体の分析・解明を推測するわけである。

このやりかたを可能にしたのは多数のアトム・原子の集まりに力学を応用することでさまざまな自然現象を予見・推測することができるようになったからだ。これを可能にしたのは19世紀後期に創造された統計力学のおかげだという。それまで原子の存在は一般に受け入れられず、統計力学創始者ボルツマンは多くの反論の中で自殺した。その直後に原子の実在を示す証拠が次々発見され、ボルツマンの正しさがわかった。まことに科学は訂正の歴史でもあるのだ。

清水博東大名誉教授の受け売りを続ける。
統計力学というルールを使ってミクロな世界のアトムの集まりの性質から、私たちの日常世界のできごとを推測・説明する、「要素還元論」の考え方に従って近代科学は飛躍的に発展してきた。

大戦後、それは生命の領域にもおよび、分子生物学が誕生した。いのちのヴェールはつぎつぎはぎとられ、いまや神秘の極みとされてきた遺伝子にも踏み込んできた。遺伝子を操作し、新しい生物を作り出すことを目的とする遺伝子工学というジャンルもできた。

一方、近代科学は素粒子の世界の法則性を、広大な宇宙空間に適用できるために、宇宙の過去と未来、人間が直接経験することができない過去の時間や空間のなかで起きたできごと、さらに人間が生存できないはるかな未来についても知識をもつこと、推測・予見することが計算上はできることになった。

ここで近代科学の方法を整理してみよう。
●まず、アトムが従う法則を発見する。
●次にそれを多数のアトムの集まりに適用する。――そのことで多様なアトムの諸性質や諸現象について推測・説明をする。
●アトムの個と集まりに共通する法則性をみつける。
●この法則性からより大きいシステムに関する見通し・予見・説明をし、新しい法則をみつける。
●こうして最小単位であるアトム・素粒子から、次々とより大きなシステムへ新しい法則の発見と予見・説明が繰り返され、積み上げられていく。
●近代科学とは「アトムを媒介に数多くの知識をつなぐ論理の体系・ネットワーク構造」にほかならない。

ボトムアップ型論理のネットワークは、自然の最小から極大、物質・生命・宇宙の隅々まで推測・見通せるはずだった。
だが、おっとどっこい、そうは問屋が卸さないのだ。
すぐれた科学者・清水さんは近代科学の有無を言わせぬ強み、有効性、客観性を畳みかけるように弁じてきたが、ここにきて一転、「もしそうであったら、人間は神や仏を信じる必要などないのだが」と意味深長に前置きし、近代科学の方法論そのもののほころびを次々と暴いてみせる。

近代科学の中核である論理ネットワークの最大の弱みは「人間自身」の側にある。観測者である人間(科学者)自体が、認識限界をもっているというのだ。

清水さんによると、限界の第一は、科学者がデータとしての情報をどのようにして獲得するかどうかに関係する。
(ボクの注・非科学者のボクはこの項目がじつはいまひとつわかりにくい。なんとなくわかるのだが、具体的に説明できない。ただ、このあとの清水論文を読み進めていくと、総合的にわかったような気にはなった)

限界の第二は、人間の頭脳のハード的限界。人間の頭脳は確かにハード的にも大きな容量をもっているが、無限に大きいわけでなく、認識のために一回に処理できる情報量は意外に少ない。
(ボクの注・これはそのままわかる)

第三は、脳が情報を処理するときに使うルールのソフト的限界または特徴からくる認識上の拘束。これは人間以外のどのような動物ももっている。人間だけが例外というわけにいかない。
(ボクの注・清水さんは科学的にも正確を期すために緻密な言葉づかいをされている。ルールとは論理ネットワークのことだろう。ボクは〈認識上の拘束〉を仮に〈癖〉と置き換えてみた。するとよくわかる気がした。ボクたちはだれでも嗜好が違うように性格、感じ方、考え方など、人さまざまの癖がある。個性がある。個人を人類とおきかえると、人類に共通の見方、考え方、感じ方の癖があるというのはおもしろい。人間以外の動物もそれぞれ種に応じて脳に癖をもっているというのもおもしろい。人間の脳の癖は、近代科学の中核である論理ネットワーク、法則、理論を作成のときにも、また、それを適用するときにも人間独自の、いわば歪んだ処理をすることであろう。これを限界の第一にあげた情報獲得のときにあてはめると、ボクはよく理解できた。観察者人間は、基礎情報を収集するときに、すでに誤りを犯している。なぜなら、人間の脳は他の動物たちと同様に生来、ある癖をもっており、宇宙的レベルでの絶対的客観的判断はできないのだから。)
(つづく)