184 宗教と科学(8) 近代科学はなぜ強いか

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184 宗教と科学(8) 近代科学はなぜ強いか

「いのち」をテーマに宗教と科学それぞれの問題点を簡潔に明快に、いわば科学的に切り取って教えてくれたのは東大名誉教授(生物システム学)の清水博さんの論文『論点としての〈生命〉』である。ストンと腑に落ちるところがあった。抽象的でメモ書き風で専門用語も多いが、しんぼうして読んでよかった。細部は省いて要約する。

「近代科学と宗教に共通するのは、ともに1つの体系的論理構造を樹立していることである。歴史に見られる宗教と科学の争いは双方の論理的体系の対立だし、宗教間の対立も論理的体系が両立しないからだ。ところで、人間は論理をつくり、それを好む生物である。実際は感情や利害、さまざまな原因のよる対立であってもそれを論理的体系の対立に形を変えて拡大していく。直接的に関係のない人々の間にも対立が共有され、拡大される。これは論理的体系のもつ普遍的な拘束力がいかに大きいかを示している。体系化された論理は人々を隷属化し、それを利用する人に権威や権力を与えていく」

ここまで読んできて、近代科学や政治の世界にもあてはまる権威づけのことを指している、と察しがつく。清水さんはこれからその論理・権威が成立されるまでのプロセスや機能を解きほぐそうとしているのだ。
そのまえに宗教と近代科学とでは論理の働きが対照的なことを知っておこう。

「論理から見た近代科学は要素(個物)から全体(宇宙)を捉えようとするところにあり、これが全体(宗教宇宙)から個物を捉えようとする、とくに仏教の論理と逆の関係になっている。近代科学の方をボトムアップ型論理、宗教をトップダウン型論理と呼ぶことにする。」

近代科学のボトムアップ型論理は個から全体へ積み上げていく、宗教のトップダウン型論理は全体から個へ狭まりながらおよんでいく、ということだ。

さて清水さんの「近代科学の論理」の解剖。
「科学者にも科学における理論の役割を実験データの整理と考えている人が少なくないが、これは大きな誤解である。ある論理的な考えが理論になることによって客観化され、予見性を獲得するのである」

ポイントはこの〈予見性〉、つまり推理なのである。推理をどんどん推し進め、積み重ねていって、結果的にそれが正しいかどうか、が最終的に問われるわけだ。清水さんは科学者の立場から近代科学の強さと緻密さを述べながら、後半はその落とし穴を容赦なく摘出していく。その落とし穴こそ逆に宗教の強みになるのだ。清水さんの文章を続けて読もう。

「(予見性を持った理論に)論理的なつながりが発見されて、論理のネットワーク化が進み、体系化した論理にまとめられる。この体系化された論理とそれによってつながった多くの知識の体系を利用することによって、未知なできごとに出会ったときに、それを説明したり、原因を推定することができる」

宇宙ロケットや宇宙ステーションを考えてみよう。まだ経験していない天体で作業する機械をどのように設計するのか。そこの気象条件をどのように知るのか。それはすべて地上の力学の予見性に依存している。この力学理論はその天体でも一定の条件のもとに通用するであろう、という予見性に基づいて作業は行われるのだ。病気の診断や治療も同じである。

さらにーーー。
「科学はいろいろな手法で以上のようなチェックを重ね、多方面からの検証を根気よく進めねばならない。だれをも納得させる裏付けと厳密な論理に基づいた科学的結論は、適用範囲に限界があっても本質的に正しいと確信している。
これに対し近代科学批判の多くは科学的な意味では確認のとれていない仮説だったり、感覚的な議論に偏りすぎる。科学批判で重要なことは、上記の予見性の有無を論理的に示すことである。それがないと説得力と妥当性を欠き、有効な科学批判にならない」

近代科学が中世の占星術錬金術と大きく異なるのは予見のプロセスを客観化、理論化して、だれにでも通用、利用できるようにしたことである。特定の現象だけでなく、まだ経験していない現象についても人々は近代科学の「理論」をあてはめることで、その現象を論理的に推測し、オープンに説明することが可能になったのだ。だれにも通用する客観的な理屈、原理と公認・証明されたものだから、そこからはみ出たものは「非論理的であり非科学的」と排除される。異議の唱えようがない。近代科学の出現は人間の精神のありかたにとっても、特筆すべきできごとだった。
清水さんの近代科学の強さと飛躍的発展の理由――さらにその思わぬ弱点、落とし穴などの解説はまだまだ続くが、スペースの関係で次回にまわす。

ところでボクは〈理論〉と〈論理〉の区別がややこしくなってしまった。国語辞典で調べてみた。

理論とは「個々の現象を法則的、統一的に説明できるように筋道を立てて組み立てられた知識の体系。また実践に対応する純粋な論理的知識」
論理とは「考えや議論などを進めていく筋道。思考の妥当性が保証される法則や形式。事物の間にある法則的な連関」とある。

まだすっきりしないが、とりあえず、わかったことにしよう。(つづく)