183 宗教と科学(7) ユングとキュブラー・ロス

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 183

183 宗教と科学(7) ユングとキュブラー・ロス

 死後の生があると〈信じている〉のでない、〈知っている〉のだ、と精神科医キュブラー・ロスはことさらに強調する。それはロスの語ることが個人的な信念や想像でなく、〈事実〉に基づいていることをアピールしたいからだ、と河合隼雄さんはいう。この〈事実〉とは何を意味するのだろう。

たくさんの子どもの死を看取ってきたロスは注目すべき例を報告していると河合さんはつぎの引用をしている。
ロスは子どもたちに死の直前に「もしよかったらいま体験していることを話してほしい」と尋ねる。ある子どもは「母とピーターが待ってくれているから大丈夫」と答えた。この子は家族もろとも交通事故にあい、母親は即死,この子とピーターは別々の病院に収容されていたが、ピーターは実際にこの子の亡くなる数分前に死んでいた。ロスはこのような例を多く調査し「子どもが誰かが待っていると言ったとき、それは当たっていた。多くのこんな例は偶然の一致であろうか?」と明言している。

河合さんはこのほか、アメリカの精神科医ムーディの臨死体験の研究書『かいまみた死後の世界』や、有名な『チベット死者の書』などでも多くの共通する体験談を紹介している。
たとえば「わたしは瀕死の状態だった。医師がわたしの死を宣告しているのが聞こえた。長くて暗いトンネルの中を…。今まで一度も経験したことがないような愛と暖かさに満ちた霊、光の生命が現れた…」。

はっきりいってこれらはあまりかわりばえがしない。立花隆の『臨死体験』にも似たような記述がわんさとある。田舎のおばあさんによく聞いたような話もある。ただ、河合さんをはじめ、著者たちの名前を信用してボクはとりあえず鵜呑みすることにする。

それより問題はロスのいう〈事実〉とは何か、ということだ。
あの世の実在をどんな事実に基づいて〈知っている〉と明言するのだろう。
河合さんによると、それは瀕死体験で一致する度合いが多い、死にゆく人たちから聞いた〈事実〉による。そして河合さんは、そこには「確からしさの手応え」が感じられるというのだ。

これは世界的な精神医学者ユングにも通じる。ユングは死ぬ2年前、BBC放送のインタビューで「神を信じるか」と問われて、しばしの沈黙のあと、力強く「私は神を知っている」と答えたのは有名な話だ。

ユングの自伝によると、ユングの父は牧師で、2人はよく宗教的なことを話し合った。ユングは子どものころから物事をわけもなく信じるのは嫌な性格で、父親は「お前はいつも考えたがっている。考えるより信じるんだ」と口癖のようにユングに説いた。キリスト教の三位一体の教義について尋ねたとき、父親は「ここはじつは私もすこしもわからない」と省略した。ユングは父の正直さに感心するとともに絶望し、以来、ユングは三位一体を信じるのでなく、知ろうとして努力し続けたという。

神を〈信じる〉のでなく、〈知っている〉、と答えたユングには、子どものころ牧師の父親に言われた「考えるより信じろ」という態度を否定し、「よりよく考え、より多く知ろうとする態度にこそ宗教性は深められる」というアピールが込められている。
河合さんは、ユングは事実に関係なく信じるのでなく、自分の経験的事実に基づく。この〈事実〉は外的事実だけでなく、内的事実も含む。それは彼にとってある客観世界なのである、と書いている。ここはわかりにくいが、ロスについての河合さんの次の解説はなんとなくわかる。

 ロスは「死」という人間にとって未知の要因に対して単に理念的に考えたり、特定の宗教の教義に従って考えようとしたり、信じたりしようとしたのでない。人が死に向き合ったとき、まずそこに生じる現象を忠実に観察したのだ。その現象を慎重に〈知る〉ことによって、彼女の死に対する考えや態度が生まれ、培われた。それは一般に言われる〈宗教〉には当たらない。これを強調したくて彼女は〈知る〉という言葉にこだわったのだと思われる。

ロスやユングが〈信じる〉という言葉より〈知る〉という言葉を好むことはよくわかるが、ロスが「死後生」を知る、というのは行き過ぎでないかと河合さんは言う。心情的には理解できるが、あたかも死後生がこの世と同じ現実のように受け取られる。あくまでこの世と類似であって同一ではないのに。

これに対し、ユングは死後生を想うことでわれわれの人生はより豊かに全体性を持つことになる。しかし、死後の世界はあくまでお話を物語る――神話として意味がある、と明言している。むろん、ユングはお話や神話は外的な現実とまったく同等の重みをもつと強調したうえで、この世の現実と峻別しているのである、と。

ボクはこの世とあの世の境界の濃霧をさまよってもやもやした心境だ。次回からは両者をすっきり区別してそれぞれの論点を抜き出そう。 (つづく)