178 宗教と科学(2)近代科学の創始者たちは「宗教」と共存

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178 宗教と科学(2)近代科学の創始者たちは「宗教」と共存

 宗教と科学の間で妥協、歩み寄り、話し合いのようなものが成り立つのだろうか。だれでも思い浮かべるのは、「それでも地球は回っている」といってキリスト教教会に殺された科学者ガリレオの話だろう。宗教と科学の共通項はお互いが自分を〈絶対〉と信じ込んでいることだ。宗教は背中に問答無用の教義・絶対者・超越者を背負っているし、科学は独善的な論理性・普遍性・客観性で構成する「真理」をふりかざす。そこには妥協の余地はなく、水と油、敵対のイメージが強い。

そのあたりの事情を京大名誉教授で文化庁長官も務めたユング派の臨床心理学者で知られる河合隼雄さんの論文『宗教と科学・対話の条件』を紹介しながら考えてみよう。

ともに絶対をいただく宗教家と科学者の対話が現実には不可能であっても、しかし、本来はだれでも自分の心の中で「宗教家」と「科学者」が同居し、知らず知らずに対話をしているのだ、と河合さんはつぎのように書く。

「たとえば筆者の心の中の宗教家が輪廻転生を信じているとすると、心の中の科学者に〈そんなことってあるのだろうか?〉と話しかけるだろう。科学者は〈そんなバカなことはあり得ない〉と言う。両者の論戦で科学者が勝利すると、筆者は輪廻転生などということを棄却することになる。」
「しかし、現代はこんな対話も成立しにくくなってきたように思う。心の中の科学者が優位になり、その人は無宗教無神論を唱えることになる。現代日本にはこんな人が多いのでないか。」

そして河合さんは1人の小学生女児のエピソードを引いている。
その少女は河合さんに宇宙の構造をいろいろ質問した。銀河系や星のことも聞いたあと、少女の死んだ母親はいまどこにいるのかと尋ねた。多くの大人たちは少女の母親が亡くなったとき、「お母さんは天国にいった。また、いつか会えるからね」と慰めたのだった。
それを聞くと、少女の中の宗教者は信じたくなる。一方、少女の中の科学者は否定する。少女の中で両者の対話はむつかしい。大人たちはこんなとき、心の中でどんな対話をどのように行っているのだろうか、少女はそれを知りたくて自分に問いかけたのだと河合さんは察する。
大人たちは自分自身の心の中のそんな対話を抜きにして、自分でもよく考えずわからないのに、単に口先だけの慰めを少女に言っているのだとしたら、そんなものにはだまされないという少女の意思表示なのだという。

さて、宗教と科学の対話を考えるとき、私たちは自分自身の心の中の対話についても考える必要がある、と前置きして、河合さんはじつは近代科学の有名な創始者たちの心の中には「宗教者」と「科学者」は完全に共存していた、と強調する。
河合さんはここで科学史家・科学哲学者として著名な東大名誉教授の村上陽一郎さんの著書『近代科学と聖俗革命』を引用しながら次のような趣旨を述べている。

「今日われわれが自然科学という言葉で呼ぶ知識体系はほとんど17世紀に集中して形成された。たとえばケプラーの『新天文学』、ガリレオの『天文対話』、デカルトの『哲学原理』など枚挙にいとまがない。これらの人たちを現在われわれが用いているような意味で〈科学者〉と同じと考えるべきでない、と村上は警告する。近代から現代への過程で、一般の科学者たちは17世紀の近代科学の創始者たちの考え方や業績のなかから自分たちが〈科学的〉と思う部分だけを取り出してきて〈科学〉と呼んでいる、というのだ」


ニュートンなども登場させ、これら創始者たちの業績に含む宗教家の側面を具体的にあげているが、煩雑なので省略。

「17世紀の〈科学者〉たちは神と人間と自然との関係について考えた。神の存在のなかにのみ把握できる自然に関する真理を人間がいかにして知るか、について努力した。それが現代では、〈神の存在のなかに〉ある真理が、〈人間の心のなかに〉と書き換えられ、〈信仰〉は〈理性〉へ、〈教会〉は〈実験室〉へ転換してしまった。これはまさに聖俗革命といってよい。」

つまり自然についての知識は人間と神との間で問われていた。それが時の流れとともに気がついたら神は放り出され、知識は人間と自然の関係のなかだけで問われるようになった。神の存在を前提にせずに人間は自然に関する真理を知ることができる、と考えるようになったというのだ。
このように二人の碩学は力をこめて説くが、ボクにはなぜそんなに強調するのか、どこに問題があるのか、よくわからない。当然じゃないかと思ってしまう。きっとボクが問題意識もなく現代科学文明にどっぷり浸かってしまっているからだろう。

さて、やがて科学はテクノロジーと手を結んで全世界にその有効性をみせつける。そこで得たものと失ったものは何であったのか。科学の一人勝ちでもないし、宗教の全面巻き返しでもない…。理屈っぽい話が続くが、次回も引き続き河合さんの論文を紹介していく。(つづく)