176 生老病呆死(39) デモクリトス・マルクス・カント

    176 生老病呆死(39) デモクリトスマルクス・カント

 岸根卓郎さんの「いのちと宇宙論」の締めくくりで、独演の舞台だ。

 岸根さんは前回までのデータと情報論を合成して「宇宙には情報と物質の二極対立があり、しかも情報が先にあってそれにしたがって、物質が配列され変形されコントロールされている」との結論にたどりつく。

そこから持論の展開。
「宇宙には一定の目的(宇宙情報)がないという人もいる。しかし、人間が謙虚になって宇宙の法則を知ろうとすればするほど、宇宙には目的があるとしか思えない。すなわち、宇宙には合目的で精密な宇宙のソフトウエアとしての〈宇宙情報〉が備わっていて、物質をコントロールしているとしか考えられない。」

「たとえば、植物の種子は土にまかれると、芽を出し、葉をつけ、花を開き、ふたたび種子をつくって次代に備える。種子は植物の再生産に必要な一定の〈宇宙目的〉、生命維持のための一定の〈宇宙情報〉、すなわち〈命〉をもっているということだ。むろん、物質としての種子そのものは、その〈宇宙情報〉を実現するための単なる〈容器〉にすぎない。」

種子の背後で宇宙情報が一定の目的に沿ってコントロールしているというのである。

「このようにして、宇宙の万物は実に驚くべき精密な〈宇宙情報〉、すなわち〈命〉によって操作されている。宇宙論・情報論のふたつの見方から、宇宙には目に見える、ハードな世界の物質をコントロールするための、目に見えない、ソフトな世界の先験的宇宙情報が備わっていて、それこそが宇宙の目的であり、神であり、命である、と考えられる。」

ここでいう宇宙情報を一定のシステムと言い換えてもいいのだろうか。とにかくそのシステムによって宇宙のチリ、星くずから奇跡的に私たちを含めすべての命が誕生したことは事実だ。万物はこれによって生かされているのも事実だ。
宇宙そのものも含め万物が神によってつくられ、イエス・キリストは「神」の子である、という理屈よりこっちのほうがどうも科学的だと思われる。むろん、キリスト教の神も、神の子も、それぞれ比喩、物語として使われているのだろうが、やっぱりすんなりとは飲みこめない。

岸根さんはここぞとたたみかけてくる。
「この厳粛な事実を知ることで初めて科学的な根拠のもとに〈神〉とは?〈命〉とは?についての明確な解答を得ることができる」

「宇宙の先験的情報こそが〈神〉であり、〈命〉であるという理解があってこそ、私たちが自然信仰を通じて直感してきた〈神は万物に宿る〉とか〈万物は神の分身である〉といったことが科学的根拠をもちうるわけだ」

最後に唯物論の祖・ギリシャの哲学者デモクリトスやその完成者としてのマルクスにも言及する。
デモクリトスは世界は原子(物質)からなり、それら原子が離合集散して物や心が生まれると考えた。後世の哲学者は彼を唯物論の祖と呼び、マルクス弁証法唯物論をその完成とみなしてきた。しかし、これは間違っている。デモクリトスの考えた原子は確かに物質だが、その離合集散はこれまで述べてきたように〈情報〉でコントロールされている。デモクリトスは物質と情報の相互作用を示唆した、物心一元論の祖、と呼ぶべきだ。むろん、デモクリトスのいう心とは、情報のことだ。」

理屈そのものは筋が通っている。次いでマルクスについて。
マルクスは人間の〈心〉は脳という物質の運動にすぎないと考えた。しかし、まさにこの運動こそが先験的宇宙情報にコントロールされている。その結果、人間の脳に生まれた新しい情報が、さらに高度な情報としての思想や心を生みだし、それらがさらに自己増殖して、神や命などのより高度な宇宙情報を認識する。だから、神や命は情報的実在そのものである」

話がややこしくなった。要するに、原子も脳も物質だというわけで、デモクリトスマルクスもこれを精神(情報)と分離して考えた。しかし、岸根さんは原子や脳という物質をじつは背後で支配している宇宙情報の存在を強調するのである。そしてデモクリトスの場合は、原子の離合集散によって、物と同時に心も生まれるとした。これがはからずも、物心一元論に適う考え方だといっているのだ。

アインシュタイン、ホーキング、プラトン、それにデモクリトスマルクス。歴史上の超有名人が勢ぞろいしたが、先験的宇宙情報、の科学的根拠がいまひとつピンとこない。脳の働きが悪い割に疑い深いボクには理解するのは当面ムリかもしれない。開き直ってこれも超有名人のカントを登場させよう。

カントは神の存在は理論的客観的には証明できないとした。普通の人間には「知覚も経験もされない」神を存在するとはだれも断言できまい。無限の宇宙をくまなく探すことはできないのだから。かといって未来永劫にわたって神は存在しないと言い切ることもできない。事例がひとつでもみつかるとその存在否定の主張は覆るのだからーーという論法である。

岸根さんは先験的宇宙情報がじつは「神」であるという。とても魅力的だが、それを否定することも肯定することもいまのボクにはむつかしすぎる。