171  生老病呆死(34) 人間と大腸菌とトウモロコシは濃い親

    ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 171

171  生老病呆死(34) 人間と大腸菌とトウモロコシは濃い親戚筋

 会社でも結局えらくなれず、金もなくセックス力も衰え、この世の滞在日数さえ先が見えてきたいまのボクに唯一、ほの明るい慰めと安心を与えてくれるのが宗教書だ。性欲旺盛な青年期は文学、知性的ぶりたがる中年期は哲学、寂しさと諦めの老年期は宗教、というのが一般的な男性のたどる精神史、内面史でなかろうか。
 
ただし、いざ宗教の門へ、となると案外ハードルが高い。宗教とは縁のない家庭で育ち、学校でもそんな環境はなかった。宗教と対極の中で暮らしてきた気がする。老年になったいまでも宗教と向き合うと、思わず合理性、科学、事実、論理、といったフィルターを持ち出そうとする。人間の精神の闇や、宇宙の時空はこんなものでチェックできないとよくよく承知しているのに、つい、習慣になっている。
だからなんとなく学問的、科学的な裏付けのありそうな、また、闘病など具体的な体験談、事実に根ざしているような、そんな雰囲気のある宗教書はとっつきやすいのだ。

ほんまかいな?!と目をこすりながらも、ひきつけられていったのは京大名誉教授の岸根卓郎さんの『いのちと宇宙論』である。仏教大学が先年催した公開講座の講演集「いのちを考える」(法蔵館)に収められている。岸根さんは同様の趣旨の著書を何冊か出しているが、この一文が簡潔でわかりやすい。

つぎのような歯切れのよい、豪快な論旨でスタートする。
「最近、アメーバの運動、植物細胞の流動運動、高度に発達した人間の筋肉運動までもがすべて同じエネルギー源によっていることが明らかにされた。生物に共通する遺伝子(DNA)が、地上の命の源はひとつ、ということを証明している。生物は多種多様に進化してきたが、そこには〈宇宙〉から〈地球〉をへて〈命〉にいたる1本の糸が貫通している。それがDNAだ。漆黒の大宇宙に漂う地球上で、宇宙塵に含まれた有機物が何十億年という歳月をかけて命を獲得し、その最初の命が今日まで連綿と継承されながら、1本の糸状のDNAとなってそれぞれの生物の各細胞に含まれているということだ。」
「人間の1細胞に含まれるDNAはごく微量だが、1本の糸に伸ばすと180?にもなる。そのなかに単細胞から人間に進化するまでの何十億年もかけた〈命の歴史〉が遺伝情報として組み込まれている。一人の人間のもつ細胞は60兆個、各細胞のもつDNAの糸を全部つなぐと1千億キロメートルにもなる。光の速さのロケットに乗っても四泊五日はかかる途方もない長さ…」

科学、事実、数字をふんだんにからめながら、DNAとか命、見えない宇宙とか仏教・神へと話はつながっていく。その展開は次回以降にまわすことにして、「命の源はひとつ」という一カ所だけでボクはじゅうぶんに驚いた。蚊もアブラムシも、むろん野良猫も…すべての生き物は人間と同じご先祖なんだって!!
無学をさらけだすようでお恥ずかしいが、ボクはこの年になるまで知らなかった。

 遺伝学者で生命科学者の中村桂子さんは鶴見和子さんとの対談でつぎのような趣旨を述べている。
「地球上の数千万種ともいわれる多様な生物はすべてDNAを遺伝物質としてもっている。同じ構造、同じ働きのものもあり、ヒトと大腸菌とトウモロコシの遺伝子DNAは同一。生物はすべて基本的には同じであり、同じ祖先から生まれたと考えてもよいと現代生物学は明確に示している。」

 「だが、一つ一つの生き物はそれぞれ違っており、それぞれの特徴を持っている。アリはアリとして生き、ヒトはヒトとして生きるのが生きるということではないか。ある生物を構成する細胞の核内に存在するDNAの総体を「ゲノム」といい、その生物を生物たらしめる基本情報を持っている。ヒトはヒトゲノムをもち、アリはアリゲノムをもつ。DNAという共通の物質でありながら、それぞれの生物の内発的発展を支えているのがゲノムといえる」

「私という存在は生命の起源以来、40億年近い時間を経て生まれたものであり、その歴史を背負っている。もちろん、アリも同じだけの歴史を持って生まれたものだ。
 そんなことをかんがえると、自然への親しみと怖れが生まれる。馬や狐や猫、いや大腸菌だって仲間だという感覚が自然に湧き出てくる。地球上の全生物が40億年近い歴史を背負っているという事実は生き物の存在そのものへの畏敬を呼び起こす。」

「そして生と死。じつはDNA研究は、生の中に死があり、死あってこその生であることを示したのだ。一例がアポトーシス(細胞死)である。私たちが人間のかたちをして生まれてくるためには胚の頃に体を作り上げる細胞の一部が死ななければならない。生まれるためには死が不可欠なのである。生と死は入れ子になっている。アニミズムは直観で感じ取った自然の素直な表現であろう。現代科学もいま、分析・還元という一面的な自然への対処の仕方に限界を感じ、自然そのものに向き合おうとし始めているのである。アニミズムと科学は最も遠いものとされてきたが、いまや、それはもっとも近いとかんがえてよい。」

私たちと大腸菌とトウモロコシの三者はもっとも近い遺伝子なんだって!!