159 命のシステムを改組酷使する人間どもへ豚インフルエンザの反

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 159

159 命のシステムを改組酷使する人間どもへ豚インフルエンザの反撃

豚インフルエンザについて「人間が他の生きものの生命のシステムを徹底的に酷使した結果……」とテレビでコメントしているのを立ち聞きした。飽くなき欲望と効率に身を焦がす人間のことだ。専門的なことは知らないが、より安く、より大量に、より儲かるように、豚の命を精密機械さながらにいじくりまわし、食材としての生と死の仕組みを極限まで追求しているのだろう。そのアンバランスから生じたハプニングだというのだ。

「他者の命のシステムまで自分の都合のよいように作り変え、搾り取る悪魔め!」。人間の狂気への、豚たちの怒りがインフルエンザになったとおもえばわかりやすい。さきごろの鳥インフルエンザに続く生きものたちの反撃だ。聖書によると、神が人間をそういう位置に創造したという。それなら人間だけでなく、神そのものへの逆襲ということになるが。

小さな連想がいろいろ浮かんでくる。
ウン10年前、お見合いをすすめられた。さばさばと明るい美少女で、金持ちのお嬢さんだという。会社をクビになっても食いっぱくれがないぞ、と仲に入った上司はいった。何度かデートを重ね、お互いその気になっていた。「今日はひとつ、キスでもしてやろう」とある日、山道のドライブに誘った。くねくねした農道を走り抜けると、静かな林にぶつかる。肩を抱き寄せようとしたとき、目に入ったのが林の中の鶏舎だ。人影も動いている。興ざめして車を降りた。

わざと薄暗くした空間に身動きもできないほどぎっしり詰め込まれた鳥たちは機械的に与えられる餌を機械的に食い続けている。こどものころ、田舎のわが家の鶏は庭を群れでうろつき、けんかし合いながらコケコッコーと空に向かって誇らしげに鳴いていた。いま目の前にいる鶏たちは生き物でなく機械の1部分だった。「この鶏たちは何のために生まれてきたのだろう。何が楽しみなのだろう」。それはボク自身にも問われていて、いまも答えられないのだが、とにかくはじめてみるブロイラーの飼育現場はショックだった。
黙りっこくなったボクに、美少女は「わたし、鶏肉大好きよ」と明るくいった。その屈託ののなさがボクをへこました。帰りの車の中で、ボクはいっそう黙りっこくなり、とうとうキスもせずに別れた。

もうひとつ、正反対のケース。東京の獣医・中野真樹子さんの高校時代のエピソードである。本ブログ92回に紹介したが、その要点を再録する。
当時、仙台の高校生だった中野さんは東京の医大を受験した。答案を書いているとき、ただならぬ犬の悲鳴、絶叫を耳にする。試験のあと、会場の周りを探すと、動物実験をしている研究棟があった。立ち入り禁止だ。

 試験は不合格だった。浪人を覚悟していたが、それより密室の動物たちの運命が気になった。分厚いコンクリートの中で動物たちはどんな目にあっても逃げ場がない、訴えていくところもない、ヒトの言葉も話せない。中野さんの想像がふくらんだ。

 東京の国際畜産見本市や各地の農場を見学する。
一片の土も太陽もない工場に押し込められた、例えばヒヨコたち。過密状態だと気がたって傷つけ合う。それを避けるために流れ作業でヒヨコのくちばしをつぎつぎ折っていく。
「自分の番になると、ヒヨコはね、おびえて小さな目をつぶるんです。それでもときどき機械は誤ってヒヨコの舌を切り落としてしまうんですよね。あんなちっちゃなヒヨコにもおびえる心がある、わたしたちと同じ命を生きてるんだなって。でも、ヒヨコはどうすることもできないでしょ。ちいさな命に襲いかかる、大きな大きな絶望みたいなものを感じて、とてもつらかった…… 」。中野さんも屈託ない話しぶりだったが、その感受性が伝わってきた。

女子高校生の「ヒヨコ」は美少女の「ブロイラー」となり、餌を詰め込まれる機械の一部となり、人間のバーゲン安売り食材となって小さな短い命を終える。ただそれだけの話だが、老境の春、ボクはいま老人性感傷症候群のひとつにかかっているらしい。

なお、ついでながら現在、中野さんは山谷や釜が崎のホームレスの人たちが飼っている犬や猫の病気をボランティアで治す活動をしている。
「捨てられた動物たちをかわいそうだとホームレスの人たちが飼っているんです。涙の出るようなこともあります。獣医としてこれくらいのことはしなくては」と中野さんは安い運賃の高速バスを利用して東京・大阪を行き来している。
すすめてくれる出版社があり、こうしたホームレスの人たちやホームレスの犬や猫との交流を近く1冊の本にまとめる予定だという。期待しています。