155 生老病呆死(28)聖書の神と哲学・一般教養の神

    ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 155

155 生老病呆死(28)聖書の神と哲学・一般教養の神

 イエスの戸籍調べなど瑣末なことだ、キリストの教えそのものが大事なのでないか。もっとキリスト教精神の本質を問題にせよ、とボクもおもう。しかし、たまたまかもしれないが、ボクの接したクリスチャンの人たちもじつに融通がきかない。

 わが家を定期的に訪問してくれるクリスチャンの上品な中年女性がいる。にこやかにパンフ類を渡してくれる。ときにはエンジニアのご主人を伴っている。ある日、ボクは夫妻に家にあがってもらった。復活とか奇跡の、ほんとうの意味を聞かせてもらおうとおもったのだ。結果からいうと、話にならなかった。二言目には「聖書ではこうなっています」だ。お二人は飽きもせず、にこやかにそう繰り返す。こちらはだんだんいらだってきて「聖書を一字一句、数学や憲法みたいに扱うのはどうかな。聖書って、要するに民話、伝聞とか伝説で成り立っているんでしょ。そこを流れる本質や大意をくみ取って!」とやりかえしたが、相手はとにかく聖書の語句を暗唱するばかりだ。

 もう一人、知り合いの美しくて聡明なクリスチャン嬢と何度か話した。お酒とセックスは教義に従ってご法度ということで、居酒屋でボクだけがコップ酒をあおりながら挑戦した。彼女は細いきれいな字で書きこんだ大型の聖書を開いて、ボクの質問に対し、ひとつひとつ丁寧に該当箇所を照合して示してくれるだけだ。アンタの意見や疑問はないのかと叫びたくなる。近所の教会を訪ねたこともあるが牧師さん夫妻も似たような対応だった。

 聖書を一皮剥いたところで、ボクのような初心者でも常識的に理解できるように書かれたもの。長いのは退屈だから、一口で読めるぐらい短くて、しかし総合的正統的な解釈。キリスト教に向かうスタンスとして、最低限これだけは知っておいたほうがいい。そして、これだけで十分。そんななキリスト教心得帳はないのかしら。

ボクの乏しい読書経験の中で、それにもっともちかいと思われたのは北森嘉蔵牧師の著書「創世記講話」の〈天地創造〉の章である。触りの個所をメモしてみた。
なお、北森牧師は10年ほど前に亡くなられたが、著書「神の痛みの神学」で世界的に知られた神学者で著書も40冊以上にのぼる。

創世記の冒頭、「はじめに神は天と地を創造された」はだれでも知っているが、ボクのような非信仰者は、まずここからいちゃもんをつけたくなる。「宇宙論でいうビッグバンはどうなるのだ!」「ダーウィンの進化論との関わりは?」などと鬼の首をとったようにはやしたてたいところだが、北森先生はさすがだ。現代の我々からみて、あまりに非科学的と思われるところ、聖書のどうしようもない弱みとみられるところを逆手にとって、聖書の神と、一般にいう哲学・教養などの神との違いをはっきりさせる。いままでそんなことも知らなかったのかといわれそうだが、ボクには目からウロコの鮮やかな切り口だった。硬い話が続くが、そのメモーーー。

『聖書の神と哲学の神の違い』
神が天地を創造した、とあるのは、神が私たち人間を含む世界と密接につながっていることを強調した表現。哲学や教養などでいう神・絶対者は、人間と無関係でも頭の中でいろいろ考えることができる。こういう神はいわば舞台の上にあがっていて私たちは見物人にすぎない。神を見る態度は、物に対するのと同じ関係といってよい。これでは哲学のまがいもの程度で終わってしまう。キリスト教は、私たち人間も見物席から立ち上がり舞台にあがらねばならない。眺めておもしろがっているわけにはいかなくなる。聖書の神は私たちと関係する神だから、こちら側である私どもも関係の内に取り入れられるのだ。神は私たち人間と直接関係のある相手方なのだ。これが天地創造を理解する第一のカギだという。

目からウロコといったのはこの個所だ。ボクが「神」という場合、思い浮かべるのは、もろもろの宗教的なもの、あるいは宇宙論、科学的な理屈によるもの、さらに哲学的というか教養的というか、ばくぜんとしたある種の超越者、絶対的存在者、造物主みたいなものーー以上が整理分析されないまま、全部ごっちゃになって「神」のイメージを醸成している。むろんキリスト教の神も、神の子イエスなども一緒くたにはいっていた。だからよけいあいまいになる、というのは北森先生のご指摘の通りだ。

余談だが、グアムに長期滞在する友人が先日、「ここで暮らしていると万物に神が宿るというアニミズムに魅かれてくる。キリスト教や仏教のような一神教はどうもいけない」と便りをくれた。仏教は一神教どころか、いわゆる神は存在しないのにこんな誤解のされ方をしている。けっこう教養のあると思われるこの友人でさえ、これほどに神の概念はごった煮なのかと改めて思った。
ただし、北森先生の講話も目からウロコの場面ばかりではない。なーんだ、やっぱり、とがっかりさせられるシーンも続出するが、しばらくメモを続けよう。
(次回に続く)