150 生老病呆死(23)身代わりを申し出て死んでいったコルベ神父

        ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 150

150 生老病呆死(23)身代わりを申し出て死んでいったコルベ神父

 難病を治した、萎えた足を立てるようにした、そんな超能力者イエスの「奇跡物語」より、いつも弱い人、貧しい人、悩む人のそばにいて、苦しみを分かち合ってくれる無力なイエス。そういう「慰めの物語」の方に魅かれると作家・遠藤周作はいう。
 前回、遠藤は身近な3つの体験から「同伴者イエス」をイメージしたが、つぎにその決定版というべきとっておきのエピソードを書いている。アウシュヴィッツ強制収容所におけるコルベ神父の行為で、これは遠藤だけでなく、世界中で引用される「現代の奇跡物語」だ。

 そのポーランド人の神父は日本にも縁がある。第二次大戦の前に来日し、長崎に孤児の施設をつくった。見ず知らずの地元の人たちも神父の熱意に感動して金品を寄付したという。
戦争が激化し、施設の経営資金が乏しくなったので神父は故国で寄付を募ろうと帰国したが、反ナチ的だという理由でドイツ軍に捕まった。強制収容所で神父は他の収容者と同様に1日にパン1個と湯のようなスープ1皿で重労働をさせられた。極限状態に耐えかねて脱走事件が相次いだ。ナチは脱走者が出た収容所では残った収容者から脱走者と同数の人を無差別に殺すというシステムをとったが、それでも脱走者はたえず、ある日、神父の建物から数人が脱走しようとして捕まった。

その囚人たちはナチの将校から飢餓死を宣告された。食べ物をいっさい与えられず殺される刑だ。すると、囚人の1人が泣き出した。「自分には妻も2人の子供もいる」。そのとき、神父は進み出て「自分は神父で妻も子供もいない。私が死んでも直接、悲しむ人はいない。この若者の身代りに私を飢餓室に放り込んでほしい」と頼んだ。しばらくの沈黙のあと、ナチの親衛隊長はそれを許した。

神父はほかの脱走者とともに身動きもできない箱のような飢餓室に入れられ、水一滴、パン一片も与えられず、結局死んでいった。

遠藤はこう書く。
「この事実こそ、奇跡だと言いたい。イエスが十字架にかけられても、最後まで誰も助けに来なかった。神様だって手を差し伸べようとしなかったように、外見的には見えた。にもかかわらず、イエスは自分をそうさせた人間、裏切った弟子に対して少しも憎しみの感情を持とうとはしなかった。むしろ、彼らを許してやってくれ、と言った。それと同じ投影がこの神父の中にもある。普通の人間にできないようなことを、この人が愛の力でしたから、これをキリスト教のいう本当の奇跡だというのです。」

そして遠藤は読者に問いかけ、自分で答えている。
神父の行為には自己満足や虚栄心があったのでないか、と思われるかもしれない。たしかに日常生活でそういうこともありがちだ。
しかし、死に方の中でもいちばん苦しいとされる飢餓死を自己満足や虚栄心でやれるものだろうか。もしそういうものがあったとしても、そこにプラスXが加わらなくてはとてもできないはずだ。そのXが、気障な言葉だが、「愛」だった。この愛こそが奇跡だと私は思う。

自問自答がもうひとつ。
この神父さんは特別に偉い人だからこういうことができたのだと思われるかもしれない。
この問いに遠藤が用意するのはウイーンの精神医学者フランクルのよく知られた著書「夜と霧」に出てくる普通の市民のエピソードである。フランクルもまたコルベ神父と同じようにアウシュヴィッツ強制収容所に入れられ、そこでの人間の心理を小さな紙切れに書きつけ、戦後本にまとめた。
遠藤はこの本に非常な感銘を受けたといい、自分の志が低くなったと感じたとき、とくに感動した部分の何カ所かを読み返す習慣があるそうだ。

たとえばこんな個所がある。
収容所内で発疹チフスが流行した。毎朝の激しい労働に出ることができない何人かの病人は寝かされている。朝、まだ夜の明けないうちに、みんなは強制労働に出ていく。そのとき、ごく少数の人だったが、病人の枕元に自分の一日分の全食糧であるコッペパンを病人の枕元にそっとおいていった。それは神父でもなく、もし、生き残っておれば、薬屋さんをやったり、八百屋さんをやったり、会社勤めをしているふつうの人たちだったろう。

「これこそ、キリスト教でいう本当の奇跡だと私は思う。やはり、人間は捨てたものでない。この名もない人たちが人間の尊厳を保っていてくれたと感銘せざるをえない」と遠藤は書く。

当時、強制収容所では病人は労働に耐えないとしてガス室に送られた。囚人たちは病人とみられるのを恐れた。ひげが伸びていても、病人に間違われると、囚人たちは道端に落ちているガラスの破片でひげを剃ったとフランクルは別の個所で書いている。パンを食べないで重労働をするとフラフラになったであろう。それでも病人に自分のパンを残してなにげなく労働に出ていった普通の市民がいたのである。(次回に続く)