148 生老病呆死(21)聖書最大のナゾーー〈復活〉

      ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 148

148 生老病呆死(21)聖書最大のナゾーー〈復活〉

遠藤周作の「お仕着せ洋服論」はキリスト教入信のきっかけを平明に示してくれたが、「復活」と「奇跡」についても、遠藤によってボクははじめて合点することができた。キリスト教のこの2大難問について、それまでずさんな斜め読みながら聖書や一般啓蒙書を開いてみたが、死んだはずのイエスが墓から抜け出た、手品のように魚を増やした、歩けない人が歩けるようになった、という子供だましのような記述が素顔で並んでいる。いや、これらに触れずじまいの本も多い。こちらもやる気がなく、放置していたが、30代後半になって遠藤のいくつかの解説書に出会って、なるほどと思うことができた。

「復活」は聖書最大の謎だ、と遠藤は前置きし、「聖書をそのまま信じるなら、イエスは十字架につけられた後、三日目に彼の体がなくなって、そして再び人々の前に現れた、これを復活というわけだ。こういうことが実際にあったのか、と疑われる方も多いだろう」と引き下がった後、反転していく。
キーワード風に先に言ってしまうと、復活と蘇生は違うということだ。

12人の弟子たちは全員がイエスを裏切り、見捨てた。ユダはわずか銀三十枚と引き換えに最愛の師を密告し、死刑が決まると、自責の念に耐え切れず、銀貨を投げ捨て首をくくって果てた。最高の弟子といわれたペトロさえもついにイエスを否認し、引き換えに弟子たちは当局の追及を免れた。その間の消息を聖書は「主はふりむいてペトロを見つめられた。ペトロは外に出て烈しく泣いた」と伝えている。

ここで遠藤は問題提起する。
弟子たちは、師からいい話を聞こうという気持は多少あっても、信念もなく、卑怯で、そのくせうぬぼれと世俗的野心だけは強い。いってみれば、われわれと同じような普通の人間たちだった。
こうした連中が、イエスの死後、なぜにわかに目覚め、立ち直ったのか。なぜ彼らは内部的な変貌を遂げて、単なる弟子から使徒に変わることができたのか。いかなる迫害や死をも恐れず、布教していくようになるのはなぜなのか。この重大な理由を聖書はどこにも書いていない。じつは、ここが「復活」理解のポイントなのだと。
弟子たちの裏切りと取引の結果、イエスは狭く暑いエルサレムの道を70キロの十字架を背負ってゴルゴタの処刑場に引き回されて行く。一睡もしていないイエスは幾度も倒れ、ローマ兵の怒声と鞭で起き上がり、のろのろと歩み続ける。無抵抗の無力で惨めなイエスを群集は罵り、あざ笑う。到着すると、まず両手を自分の運んできた十字架に釘付けされ、つぎに両足にも2本の釘が打ち込まれる。真昼から3時間、イエスは言語に絶する苦痛のすえに、結局、なんの奇跡も起こらず、「神の子」は息を引き取った。

エルサレム近郊にいた弟子たちにもこの状況は当然伝わった。イエスはわれわれを憎み、恨みながら死んでいったろう。どんな英雄偉人も、自分を裏切った者を歴史上、許した例はない。だが、伝わってきたイエスの臨終の言葉は衝撃的だった。よく知られているように「主よ、彼らを許したまえ。」「主よ、主よ。なんぞ我を見捨てたまうや」「主よ、すべてを御手に委ねたてまつる」
驚くべきことにそこには弟子への怒りや罰を求める言葉は一言もなく、代わりに弟子たちの救いを神に願っていた。弟子たちは驚愕した。これまで預言者は多かったが、これほどの愛と、神への信頼を持った人を知らなかった。
「まこと、この人は神の子なり」(聖書マタイ伝)

現実には無力だったイエス。奇跡や現実の効果などを重視しなかったイエス。そのためにやがて群集から追われ、多くの弟子が離れていったイエス。だが、奇跡や地位や富や力などよりもっと高く、永遠なものが何であるかを、イエスが短い生涯を通して言おうとしたたった1つのことを、このとき、彼らはおぼろげながら会得したに違いない。

――ここまで書いて、遠藤は弟子たちが会得したものを具体的に挙げていない。一般的には「それは愛だ」と続くところだろうが、そうは書いていない。
こう書いている。
「彼らは、イエスがまだ、自分たちのそばにいるがごとき感じがした。子どもにとって、失った母が、その死後も、いつも横にいる気持ちと同じような心理になったわけだ。それがイエスの復活のはじまりだった」
「イエスが死んでも自分たちのそばにいる、という生き生きした感情がいつの間にか生まれてきたに違いない。抽象的な観念でなく、具体的な感情だったと思われる。それゆえ弟子たちはイエスの復活を心から信じることができた」
遠藤の、ユニークな「イエス同伴者論」の始まりでもあるが、これは次回以降にまわそう。

なお、遠藤は別の個所で、復活についてこんな説明を加えている。
「当時の考え方として復活というのは、神の永遠の生命の中へ戻るということと、その理念を誰かに受け継がれることを意味した。当時の象徴的な言い方として復活といっているのであって、死んでいた肉体が息を吹き返す《蘇生》とは別だ」(次回に続く)