147 生老病呆死(20)信仰とは90%の疑いと10%の希望


       ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 147

147 生老病呆死(20)信仰とは90%の疑いと10%の希望

「洗礼を受けないと本当の信仰は得られない」と遠藤周作にいわれ、加賀乙彦さんは洗礼を受けた。洗礼の前後、理屈ではない喜悦の感覚に全身を包まれた。しかし、洗礼のあとも困難な精神状態は何度か生じ、かつての安らいだ喜悦の感情を呼び戻そうとしても帰ってこない。教会で「あの感情よ。また起これ、また起これ」と祈ってもめったに再現されない。とはいえ、ときどき、ふっと起こることがある。

加賀さんのこの率直な記述に関連して思い浮かぶのはスペインのキリスト教作家ベルナノスの「信仰というものは90%の疑いと10%の希望だ」という言葉である。遠藤周作はこの言葉がよほど気に入っているとみえ、あちこちで引用している。それを読んでボクは遠藤に親しみを覚え、キリスト教にも納得できる部分が生まれた。キリスト教といえば、1分の隙もなく理論武装された完全無欠な、計算高い秀才と思っていたが、そうではないのである。あちこちに隙間風が吹き抜ける中で、必死に耐えようとしている、信じようとしている、ごく普通に悩んでいる、けなげなイメージが立ち上ってくる。

洗礼について、遠藤周作の「お仕着せ洋服論」がわかりやすい。
こどものころ、両親が離婚し、遠藤は母親に引き取られる。母親は悲しみに耐えるため遠藤を連れて教会へ通い出すが、教会で遠藤は同じ年ごろの子どもたちと遊んでばかりいた。やがて親の言いつけで子どもたちもフランス人の神父さんから、たどたどしい日本語でキリスト教の公教理を聞かされることになった。遠藤はおもしろくなく、遊びのことばかり頭にあり、よく居眠りをして神父さんに叱られた。こうして12歳の時、洗礼の式を受ける。

神父さんが「神さまを信じますか」と尋ねる。「はい」と子どもたちは口をそろえる。遠藤もみんなに混じって「はい」。「キリストを信じますか」。同じように「はい」。このように洗礼の式は終わったが、遠藤はキリスト教を本当に信じていたわけではなかった。その後、永い歳月が過ぎ、大学生になり、フランスに留学し、それでも遠藤はキリスト教がよくわからない。そればかりか、神様がいるということや、なかば無理やり読まされた聖書も、無味乾燥で荒唐無稽な物語とおもうようにさえなったのだ。この間、教会を離れたり、また戻ったり、また離れたりした。

「母親がくれたキリスト教という洋服はあるところは丈が長く、あるところはズボンが短く、自分の体にはなかなかぴったり合わない。西洋の洋服と日本人の私の間にはいつも隙間があり、ダブダブだったりして絶えず違和感に苦しんだ」

でもなぜ、キリスト教を捨てなかったのか。人間は何か身にまとう衣服が必要だが、ほかに着たいとおもう衣服がなかったのだという。
青春期、マルキシズムがあった。しかし、日本では許されない状況だった。軍国主義はいくら物知らずの自分でも狂気じみているのがわかった。
そこで遠藤は書く。
「母親が着せてくれたキリスト教という洋服には不満だが、新しい洋服を買うお金がない少年と同じように、私はその洋服をそのままずっと着つづけていた」

もう1つ、遠藤は理由をあげる。
母が死んだ。母への愛着が非常に強かったので、その母が信じて生きたものを究めないで捨てるのは申し訳ない気がした。よくよく研究してみよう。それでだめならこの服を脱ぎ捨てようと思い直した。というわけで、お仕着せ洋服(キリスト教)をしばらく着つづけたのだという。

ここからさらに遠藤の考えは深まる。
「人間というのはたくさんの情熱で生きていくことはできない、人間というのは自分の生まれた環境、自分の生まれた場所、そういうものを背中に背負って生きていかざるをえないのだ、という考えを持つようになった」

日本に生まれるのは自分の意志でないにせよ、生まれた時から、日本人であるという外面的、内面的規定を受けて生きてきた。そこから出てくるいい面、悪い面、いろいろな問題もきょうまで背負わなければならなかった。自分の自由意志であれこれ選択することができるのでなく、持って生まれた状況のすべてを背負って生きていかなくてはならない。人生にはこういうことがたくさんある。
「私の場合、この人生の中で肩に背負っていかなくてならないものは、母親に対する愛着、あるいは、母親がくれたキリスト教という洋服だったのだろう」

ある日、遠藤は自分の後半生をかけて、母のくれた洋服を自分の体に合う和服に仕立てなおそう、と決意する。その働きが小説家としての1つの仕事の方向にもなっていった。(次回につづく)