145 生老病呆死(18)人類は光の帯、と説く加賀乙彦さんの死後観

ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 145

145 生老病呆死(18)人類は光の帯、と説く加賀乙彦さんの死後観

同じキリスト教作家でも加賀乙彦さんはだいぶ前、週刊誌に死後の世界を次のように書いている。

「科学が進むに従って死後の世界は味気なくなってきた。死ねば腐敗と消滅しかないとは、何と物悲しい世紀に私たちは生きていることか。こういう悲観にひたりながらふと手にとった本に慰められた。ハイデガーの『形而上学とは何か』という書物を開いているうち、私たちがこの世界に生きているというのは、いわば仮の姿にすぎなくて、私たちの小さな生を支えているのは暗黒の虚無だという考察を読んで、私は心がふるえるほど強い印象をうけた。人は生まれる前には暗黒の虚無にいた。死後もそうだ。とすれば人生とは、暗黒から暗黒へのわずかな束の間にすぎない。人は死ねば、生まれる前の状態へもどっていくという考え方に私は慰められたのである」

同じクリスチャンでも精神科医というもうひとつの職業のせいか、〈科学的〉である。
   
30年ほど前、赴任先の小倉の転勤者寮でこの人の代表作「宣告」を読んだ。実在の死刑囚をモデルに罪と罰と復活を綴った物語である。ボクは末期癌の父を伴っていた。その重苦しさがあったからだろう、この長い暗い話を一気にむさぼった。内容はほとんど忘れたが、いま開いてみると、次の個所に赤線が引いてある。

「人類は闇の彼方より来てこの世に光る存在となったのです。そして一人一人がこの世を照らす小さな光でした。一人一人は死んで小さな光は消えましたが、人類という光の帯は残ったのです。しかし、それに初めがあったということは終わりがあるのです。いつか人類は亡び、光は消えねばなりません。人類は闇の彼方に去るのです。」

事業に失敗し、妻に裏切られ、憔悴の果てにいま、死の床にいる父が不憫だった。けれど、この記述によると、父は、死んでも人類の光の帯に紛れ込んで生き延びることができるのだ。無力で孤独だった父も、死後は過去に死んだ、そしてこれから死ぬであろう、無数の人々とともに、人類の一員として宇宙の一角を構成するのだ。そう思うと、広々と心が和んできた。
そのころ妻とよく夕食後、海鳴りを聞きながら門司の裏道を歩いた。冬の門司はボクの育った関西より凍てつく。見上げると星くずの中で父が笑っている。寒くないか、暑くないか、痛くないか、とボクらは問う。父は手を振って、心配無用じゃ、気にするな、といっている。ボクにも妻にも、遠慮ばかりしていた父は、宇宙に帰っても、やっぱり気を遣っている。いや、父はいまきっと、乳母車に乗っているのだ。末期癌の痛みもない、何の心配もない、寒くも暑くもない、赤ちゃんのような世界に父は遊んでいるのだ。光の帯のエアポケットで父はだれに遠慮することもなく、にこにこしているのだ。

加賀さんは最近の本でキリスト教に入信したいきさつを書いている。
「中学1年のころ、空を見ていて不思議な思いにとらわれた。人間の寿命は50年から100年くらいなのに、宇宙は何百億年という長さだ。宇宙が始まった前にも時間はあったということだ。宇宙には永遠の時間がある、それなのに人生はどうして50年から100年くらいの短い時間なのかという疑問。空間的にいっても宇宙の大きさは無限で、そういうものの中にどうして(小さな)自分は存在しているのだろうか。これらの疑問は今も解けていないが、このときの永遠と無限への不思議な思い。それがキリスト教に入信した1つのきっかけになった」

全く同感。ボクが宗教に接近したきっかけもこんなものだった。永遠と束の間、無限と有限。そのギャップを繋ごう、埋めよう、補おうとしたとき、宗教への回路が芽生えたのだと思う。


ところでわからないのは、加賀さんは上記の文章のあとで「それは仏教的な諸行無常とか万物流転とは違った思いだった」と続けていることだ。

そうかな? ボクはちょっと違う。宇宙の誕生や創造にボクも人類のだれも立ち会っていない。だからその秘密はだれも分からないとへりくだったところから仏教はスタートする。それらを前提に宇宙環境や自然の運行の有り様や人間・生き物関係を分析し、縁起とか空とか真理とか法とか業とか関係性、相互依存性のルールを抽出してみせる。仏教に超越者はいない。神はいないし、仏はだれでもなれる存在として定義されている。
神が世界を造り給うたとする奇跡づくめの人格神のキリスト教より、はるかに〈科学的〉〈現代的〉〈実証的〉と、ボクは思うのだが。
次回は加賀さんのカトリック洗礼の代父をつとめた遠藤周作との話もからめてその辺を書いてみよう。遠藤周作はもっとも仏教に近い考え方のクリスチャン作家として知られている。(次回に続く)